べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六

2025/09/26(金)22:00 img
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 「酷暑」という新しい気象用語が生まれそうな程暑かった夏も終わり、ようやく朝晩、過ごしやすくなり、秋空には鰯雲。それにあわせるかのように、彼らの熱い時もまた終わりに向かっているのでしょうか。あの人が、あの人らしく、舞台を去っていきました。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 



第36回「鸚鵡のけりは鴨」

 

誰かを泣かせてまでやる遊び?

 

 前回は黄表紙に取り上げられてのぼせ上がっていた定信も、自身が推進する政策をあからさまにバカにされれば、さすがに気づきます。その怒りは諸家の当主を通じ、家臣一統にまで行き渡ることになったのでした。
 出羽国久保田藩の江戸城留守居役、つまり今でいうところの外交官という、実は結構な重役だった朋誠堂喜三二は、当主に泣いて怒られて(「怒られちまってさぁ」)、筆を折る決心をします。止めようとした蔦重に

遊びってぇのは、誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしな

 

 といった、この言葉が、蔦重のそれ以上の説得の言葉を奪ったのです。

 

 ですが。

 

 「宝暦の色男」。ただでは江戸を去りません。喜三二の送別会は蔦重主催で吉原の綺麗どころも顔を出し、大サイン大会へと。亡八衆、大田南畝、歌麿、北尾政寅らが「これに名前を…」と、喜三二が書いた名作を突き出すと、蔦重たちが仕組んだこととわかりながらも、喜三二の心は揺れます。


私の密かな誇り

 

 春町が仕えるところの松平信義は、定信の改革が行き詰まることを見透かしていた人物です。今回は名を改め、つまりは倉橋格としての死を宣し、戯作者として生きていく決意を伝えた春町にこう語りかけました。

当家はたかが一万石。何の目立ったところも際立ったところもない家じゃ。表だって云えぬが、恋川春町は当家唯一の自慢。
私の密かな誇りであった。そなたの筆が生き延びるのであれば、頭なぞいくらでも下げようぞ。

 

 何と部下思いの上司なのでしょうか。今回、まさに白眉の一節でした。

 

 しかし。しつこい定信は、春町は病気だ、と言っているのに、しつこく(あ、繰り返してしまった…)信義の家に本当の病かどうか確かめるために押しかけると言います。進退窮まった筈の信義は、それでも春町に蓄電せよ、と言います。どれだけ自分に罪がのしかかるかもわかった上で、それでも生き延びてほしいと。

 

 ここまで上司に思われた春町が選んだのは自死でした。どのような死に様だったのか。のちに信義は、涙ながらに蔦重の言葉として、定信にこう伝えました。

 

腹を切り、かつ、豆腐の角に頭をぶつけて。
ご公儀を謀ったことに、倉橋格としては腹を切って詫びるべきと。恋川春町としては、死してなお世を笑わすべきと考えたのではないかと、版元の蔦屋重三郎は申しておりました。
一人のしごく真面目な男が、武家として戯作者としての分をそれぞれわきまえ全うしたのではないかと、越中守様にお伝えいただきたい、そして、たわければ腹を切らねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか。学のない本屋風情にはわかりかねるとそう申しておりました。

 

 信義の言葉に合わせるように、蔦重が豆腐桶に春町の作品の数々をそっと置いていく画面が重なりました。信義もまた、蔦重の言葉を伝えるのには相当な覚悟が必要だった筈です。そして蔦重の言葉を借りながら、実は信義本人の最も言いたいことでもあったのでしょう。

 

夏の終わり

 

 たとえばわたしが“夏”と言っても、それを聞いた人はそれぞれの個人的なイメージでとらえるだろうし、それはわたしのイメージするものとはぜんぜんちがっているだろう。そのとおりだ。だがわたしにとって、“夏”といえば、つねに、ポケットの小銭をじゃらじゃらと鳴らし、ケッズの運動靴をはいて、摂氏三十二度の炎天下をフロリダ・マーケットへ走っていった日のことを意味する。

 

と書いたのは、スティーブン・キングです。映画「スタンド・バイ・ミー」の原作となった「死体」は、「一九〇七年以来のもっとも乾燥した、もっとも暑い夏─」の終わりに、四人の少年がブルーベリー摘みに出かけて行方不明になった少年の死体を探しに行く2日間の冒険を描いています。作家志望で語り手となるゴーディ、仲間を導くリーダー格のクリス、無鉄砲なテディ、もっとも子どもっぽさの残るバーン。親から愛されていなかったり、不良の兄を持つゆえに常に疑いの目を向けられたり、戦争で精神を病んだ父の暴力で心身に傷を負ったり。

 

 それでも彼らはわくわくしながら森の奥へと向かいます。鉄橋を渡る途中で列車が迫り命がけで逃げたり、沼で蛭に吸い付かれたり。せっかく死体を見つけたのに、車で楽して着いた不良グループに第一発見者の座を横取りされそうになったりします。

 

 しかし死体を見たこと。それが彼らに強く生と死の現実を強く刻みつけました。死んでしまった少年が、もう二度とできないあれこれを思った時、彼らは自分たちが「生きている」という事実をより強く感じとったに違いありません。

 冒険の旅を終えた四人は、結局、ばらばらになってしまいます。夏の終わりは、少年時代の終わりでもあった。蔦重が支え、盛り立ててきた狂歌や戯作、黄表紙も、また暑い夏の時代の象徴であったように思えるのです。みながふざけ、楽しく、笑いながらいきいきとしていた時代。たわけても腹を切らなくてよい世。

 

 大人になったゴーディは、ブルーベリー摘みに出た少年が持っていた筈の容器(多分、バケツ?)を探しに行きたくなる─、そう書いています。

 この手の中にくだんのバケツを持つ、というのは単なる考えにすぎない。それは、彼が死んだのと同様にわたしが生きていることの象徴であり、どの少年──五人のうちのどの少年──が死んだのかという証拠なのだ。

 

 蔦重が春町の作品を置いた豆腐桶もまた、春町の死と、喜三二や蔦重たち仲間の生の象徴のように思えるのです。

 

 空が高くなった秋はまた、台風の季節でもあります。どうか蔦重たちを大きな台風が襲いませんように、と願わずにいられません。

 


 

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