かつて「大人マンガ」というジャンルがあった(詳しくは「マンガのスコア 園山俊二」参照)。この周辺には、ファインアートと踵を接する作家たちが数多く存在する。タイガー立石もその一人。1982年、工作舎から刊行された『虎の巻』は、まさしくオトナのためのマンガの最極北。いいお酒といっしょにちびちび味わいたい。
独自の編集稽古プログラムに沿って、3つの物語を編んでいく[遊・物語講座]。そのひとつ、「編伝1910」は1910年の前後10年に活躍した人物の物語を描くのですが、このとき、時代を知るのに欠かせない1冊がこれ、『コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史』(小林章夫/講談社学術文庫)です。[物語講座]が大切にしてきた本を、さて師範はどう読み解いたのでしょうか。
第90回感門之盟「読奏エディストリート」の特別連載12回目。「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる師範の声の重なりをどうぞ。
〔一六五七年発刊の新聞『パブリック・アドヴァタイザー』〕第一号(五月十九日火曜日発行)に、コーヒーの広告が出される。(中略)
この他、乳母の求人、語学教師の求職広告、見習いを募集する床屋の広告などがあり、十七世紀中頃のイギリスの日常生活を知る上で、格好の資料となっている。(161~162ページ)
給仕が通れるよう中央があいた楕円のテーブル、蒸気の立つポット、雑誌『タトラー』『スペクテイター』、ライオンの頭のかたちの投書箱。コーヒー・ハウスは、著者いわく《十八世紀イギリスという時代を映し出す一つの鏡》だ。
為政者の名前や政治体制を説明するのではなく、モノやシーンをつぶさに書くことで時代を語る。イシスの物語編集術でも重視しているこの技法は、小さなモノ、些細なエピソード、記録の断片に要約された情報を読み取り、他の情報と関連づけながら世界観を立ち上げていくメソッドだ。
コーヒー・ハウスに政治家も商人も文士もイカサマ師も集ったように、一杯のカップ、新聞広告の一行にも、世界のあらゆる情報が殺到しているのだ。(石黒好美)
店内には貴顕紳士から、イカサマ師、泥棒の類に至るまで種々雑多の人間が寄せ集まり、いわば「人間の〈るつぼ〉」的様相を示していた。政治が語られる一方では、最近流行のファッションが話題になり、文学論がロ角泡を飛ばして戦わされる一方、インチキ薬の効能をまことしやかに説明するものもある。商売人同士が取引の話をしている隣のテープルでは、泥棒が聞き耳を立て、金を奪う手筈を考えている。(266ページ)
現代のるつぼはネットに場を移し、より複雑に不信と情念が交錯するグローバルな情報空間となった。無境界なカオスは二十世紀ヨーロッパの戦禍と混乱の元となった「民族共生の夢」を伝搬して、安全な社会生活を保証した日本の棲み分けの構造に綻びを生み出している。あれこれの人と情報が無制限に回遊してくる時代、あの頃のコーヒーハウスの喧噪よりも苛烈に、隣人との関係性や生活感覚が変化する軋みと痛みを、肌感覚で追体験することになる。そこに、日本の新しい物語空間が生まれる。(森井一徳)
コーヒー・ハウスがイギリスの社会、文化に与えた影響は決して小さいものではなかったのであり、この時代に現れた有名無名の人間の姿は、コーヒー・ハウスという鏡をあてることによって、さまざまの相貌をみせてくるといっても過言ではないのである。(275ページ)
サロン文化と対照的だ。十八世紀のコーヒー・ハウスは貸本屋やチャップマンなる商いが派生し、図書館のような役割を果たすものも出現した。自由な言論の中で先買いやジャーナルが生まれ、『スペクテイター』が即席の読書会や討論の場をリードする。未生の読者が、言葉に追いつこうとするための読み物だ。そこには社会風俗が自然に書き込まれていった。大学や学校といった、整然と分節された「正当な学び」とは別に、猥雑で実験的で、教育か啓蒙かも固まらない、独特の誘引力をもつ場があった。私たちはつい、慣れ親しんでいる「制度化された後の場」を、当然の風景として受け入れてしまう。わかりきらない言葉を抱えたまま人々が集い、読み、話し、発現していく場が、コーヒーと共にあった。(平野しのぶ)
講談社学術文庫/2000年10月刊/1463円(税込)
■目次
第1章 18世紀イギリスの生活史──ロンドン、ペスト、大火
第2章 ジャーナリズムの誕生──クラブ、政党、雑誌
第3章 ウィットたちの世界──文学サークル、科学実験、チャップ・ブック
アイキャッチ、レイアウト/阿久津健(56[守]師範)
編集/新井陽大(55[破]評匠)、角山祥道(44[花]錬成師範)
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む [バックナンバー]
#02『うたげと孤心』(原田淳子、山下雅弘、牛山惠子)
#03『ことばと身体』(古谷奈々、大濱朋子、得原藍)
#04『ゲーテはすべてを言った』(阿久津健、一倉広美、相部礼子)
#05『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(奥本英宏、石井梨香、北原ひでお、山崎智章)
#12『コーヒー・ハウス』(石黒好美、森井一徳、平野しのぶ)
ISIS core project
イシス編集学校[当期師範&学林]チーム
「Pauca sed Matura」の言葉を背負い、守破離花遊の全指導陣が一挙集結する[ISIScore]。感門プランニング、エディットツアー運営、編集知のリバース・エンジニアリング、全てがここで交差する。知を組み立て、知を裏返し、知を書きなおしていく編集分子たちの風姿を垣間見よ。
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#11『守破離の思想』
44[花]の演習が佳境のさなか、花伝生の背を押すような本が刊行されました。「型」や「離見の見」、「稽古」などを語る西平直の『守破離の思想』(岩波書店)です。 師範の「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる、第9 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#10『赤光』
55[破]破天講(師範代の勉強会)で、歌人でもある天野陽子師範が物語編集術のレクチャーとして用いたのが、大正2年に刊行された斎藤茂吉の歌集『赤光』(新潮文庫)でした。改めて3人の師範が、茂吉の短歌に物語を与えます。 &n […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#09『地球星人』
[遊・物語講座]には、「文叢」という名の教室があります。今期[18綴]は、産霊山ランデヴー文叢、地球星人服従文叢、沼地の果ての温室文叢の3文叢。いずれも「2つの物語の一種合成」によりネーミングされ、担当師範代の「らしさ」 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#08『手の倫理』
[花伝所]のクライマックスは、2日間におよぶエディットカフェ上のキャンプです。今期44[花]では、ハイパー茶会をテーマにプランが練られましたが、この時、客人に選ばれたのが美学者・伊藤亜紗。彼ら花伝生の思いも引き受けつつ、 […]
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#07『百書繚乱』
全ページオールカラーのビジュアルブックガイド『百書繚乱』(アルテスパブリッシング)。松岡正剛が自身を形作る500冊超の本とのインタースコアを試みた同書は、イシス人必読の書といえるでしょう。 第90回感門之盟 […]
コメント
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2026-03-05
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2026-02-24
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