魚の眼をもつ師範が語る編集道 ― 44[花]敢談儀

2026/01/27(火)12:04 img
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敢えて語られ、敢えて受け取られる。敢談儀とは、正解を持ち帰る場ではない。語りと沈黙のあいだに立ち上がる〈気配〉を、それぞれが持ち帰るための儀といえる。編集学校には、学びの段階に応じた位階があり、教室運営を担う師範代や実践知を語る師範が存在する。先達の語りを手がかりに、自身の来し方と行く先を同時に編集する場だ。千秋楽となるこの日、次第の二つ目は「形代万化(かたしろばんか)」。他者の来た道を形代として借り受け、自身のこれからを仮留めする作法である。自身の近影をAとして差し出し、語り部の歩みを形代に、A´を仮置きする。ここで求められるのは完成像ではなく〈なりゆく私〉を、場に預ける覚悟でもある。花伝所で伝承されるメソッドは、テキストにとどまらない。先達の経験は、語りとして、態度として、口伝でも手渡されている。


 

釣り師モデルによる語り

この日の語り部は、現在56[守]師範を務める稲森久純
MBAか編集学校か――比較の末、Newspicksでみた編集工学研究所代表の安藤昭子に感化され46[守]に入門以来、編集道はおよそ五年になる。市役所勤務の傍ら、休日は三世代続く魚釣りの好事家として海に出る。入門と同時に経産省へ出向し、環境変化をものともせず「面白そうな方へ」と舵を切り、カオティックな道を選んで師範代となった。仕事のフィールドも、子ども教育から産業支援へと転化した。すべて偶然である。中小企業向けビジネス相談を担い、新製品開発や販路開拓まで、未知の釣り場へと身を移しながらチャンスメイクの日々を重ねている。

初登板は50[守]釣果そうか!教室を冠名したが、成果は一様ではなかった。それでも稲森が潮を呼び込み、場に反応を引き出したのは、めげず動じず「場」を信じ、その時を待つカマエと、数奇を欠かさず差し出し続けた編集態度にあった。物語講座や多読ジムを受講し、「近大番」という横断ロールが舞い込んだ52[守]が起点となる。マグロ養殖でリブランドに挑む近畿大学の学生と自身が編集道をどう歩き、どう揺らぎ、どう場に留まり続けたか──その〈型〉を差し出すために座した。

 

魚群探知機のごとく

教室を横断して学衆の性向を観るその眼には、多くの発見が映った。大学生は社会人以上に忙しい。試験や行事による独自のカレンダーをもち、読んでも即レスはしない。一方で、自分の琴線に触れるものには敏感に反応する。SlackやLINEを自在に行き交う学生たち。稲森は、魚の大小だけでなく、波やうねり、風向きまでも含めて漁場を観察していた。毎月の交流会では自作のプレゼン資料を携え、身近なアニキ分として寄り添う。目を凝らし生態を知り尽くすと、一人ひとりがまったく別の魚に見えてくるという。──釣り師の眼が、そのまま教室の眼となっていた。黒膜衆で近大番長の衣笠景司の注ぐ熱量も編集エンジンを温めた。

満を持して55[守]に再登板。近大生のみで構成された「マグロワンダフル教室」を拝命すると、まさに水を得た魚となる。本人曰く、好物はマグロよりブリ。個体差はもちろん、類型を読む力に長けているのだろう。パターンを掴み、網をかける動作そのものが教室運営に活かされていった。

 

凪も受け止める度量

結果だけを見れば、全10名中9名が卒門している。しかし、その裏で二週間、応答ゼロの日々が続いた。オンライン汁講を設定しても、参加者は師範のみ。待てど暮らせど誰も現れず、参加者ゼロの場にも遭遇した。だがそれは欠如ではなく、沈黙<凪>だった。場が語るのをやめたとき、師範代は何を信じ、どこに立ち続けるのか。稲森は魚がいなければ「漁場の戦略会議」へと転じ、場を畳まなかった。凪を異常と見ず、自然として引き受ける。機会あらば釣果を持ち帰る。そのタフネスとポジティブな見立てが漁場を離れず、辞めない態度となって現れていた。

毎日欠かさず勧学会へ声を届け、一対一の学衆を思い浮かべながら投下するのは「片思いのアプローチ」だと語る。声掛けと数奇(餌)に問いかけ、まだ見ぬ芽吹きのために種を蒔き続けた。凪は試練ではなくあるがままの姿であり、場は深いところで常に動いている。そのアブダクションは現実となり、最終週には181投稿という驚異的な追い上げの波がおこる。

 

深海魚には眼がない

水深百メートルの海底では、強い水圧にアフォードされた魚が生きている。ヒラメにはヒラメの眼があり、深海魚には眼(視覚)に代わる別の機能がある。それぞれの環境に適応した進化のかたちだ。魚の眼は一様ではない。深海魚に眼がないように、編集にも可視化されない眼がある。それは場に身を置き続けた者だけが獲得する感覚だ。


稲森の編集宣言は「カオスを掴みたい」。必要なのは、五十グラムの勇気と半歩先を見て偶発性を愉しむ、回遊魚の眼差しのような感覚でもある。言い換えればそれは方法ではなく、編集学校から手渡されたひとつの態度(スタイル)であった。

晴れて放伝生となった9名は、この先も編集道を遠写し続ける先達・稲森の振る舞いに感化され、生物に擬態するようにすでに歩み出している。それは相似であり類似であり、「真似び」の原型でもある。編集とは、状況に応じて自分の「目」をつくり替えていく営みともいえる。

※稲森が商品開発に携わった”アイロン煎餅”。一種合成されたネーミングが想像を掻き立てる。

アイキャッチ写真/畑本ヒロノブ

 

  • 平野しのぶ

    編集的先達:スーザン・ソンタグ
    今日は石垣、明日はタイ、昨日は香港、お次はシンガポール。日夜、世界の空を飛び回る感ビジネスレディ。いかなるロールに挑んでも、どっしり肝が座っている。断捨離を料理シーンに活かすべくフードロスの転換ビジネスを考案中。