【ISIS co-mission INTERVIEW01】田中優子学長―イシス編集学校という「別世」で

2024/10/26(土)08:06
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イシス編集学校には、松岡正剛の編集的世界観に〈共命(コミッション)〉するアドバイザリーボード[ISIS co-mission]があります。そのISIS co-missionのひとりが、法政大学名誉教授で江戸文化研究者の田中優子氏。田中氏はイシス編集学校の「学長」も務めます。田中氏は、法政大学総長時代に、イシス編集学校の基本コース[守]、応用コース[破]、世界読書奥義伝[離]、[遊]風韻講座を修了。

大学現場での長年の経験や、千夜千冊を20年以上読み続けた体験などをもとに、イシス編集学校の可能性を語っていただきました。

 

聞き手:吉村堅樹

 

田中優子 イシス編集学校学長、法政大学名誉教授、江戸文化研究者

 
1952年、横浜市生まれ。法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了。法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』(ちくま文庫)で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、毎日新聞書評委員などを歴任。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。

 

 

 

■イシス編集学校は「別世」である

 個人と社会の可能性を開くために

 

――優子先生は、イシス編集学校を江戸の人々がもっていた「別世」に近いものと考えておられますよね。そのこころを教えていただけますか。

 

田中:私は、「別世」を自分の暮らしのなかに共存させる必要があると考えています。江戸時代、「別世」をもつ人の多くは武士でした。武士は息苦しいんです。生まれたときから役割が決まっていて、真面目な人であればあるほど、その役割をまっとうしようとしましたから。

 

――かなり閉塞感が強そうですね。

 

田中:でも、それだけではまずいと感じる人もいました。道を歩いていれば、三味線の音が聞こえてくる。本が店頭に並んでいて、浮世絵も飾られている……。そんな様子を見て「こんな世界があるのか」と気づくのです。

 

江戸には「連」がありました。「連」とは、働く時間を削ってでも「別世」に所属する時間をつくろうという発想でうまれた集いです。狂歌や川柳をつくるなど、さまざまな連がありました。そこに誘われて入ってみれば、今まで知らなかったサブカルチャーの世界が広がっています。武士たちはそこでイキイキしてくるのです。これまでになかったものが、自分のなかで息づいてくるからです。

 

――ふだんの日常とは異なる価値観に出合い、ふだんとは違う自分に出会うのが「別世」なんですね。

 

田中:ええ。でも、いまは、その別世がなかなかありません。生きるのに精一杯で、現実にからめとられている人がほとんどです。稼ぐことにあくせくしている状態では、本を読まなくなります。

本を読まないと、自分のなかに入ってくる言葉は、自分のまわりで聞こえているものだけに限定されてしまいます。それでは別世に所属することはおろか、脳のなかに別の回路をつくることさえ困難です。

 

――たしかに、ほとんどの現代人が、資本主義社会で生き残るという価値観に縛られて生きていますね。

 

田中:本来なら学校で、現実世界とは異なる「別世」があることを教えるべきですが、いまの学校現場は現実世界で暮らしていくノウハウを伝えることが第一の目的になってしまっていますね。せめて、本を読んで、「働く自分」ではない自分に出会う別世をもってほしいのです。

それに、個人が別世をもたないということは、社会にとっても損失です。社会のなかに、現実世界で生き延びるための価値観しかなくなり、その価値観にみんなが流れてしまうことになるからです。社会のオルタナティブな可能性が閉じられてしまいます。

 

■「読むこと」と「書くこと」

 自分を豊かにするための言葉

 

――本を読む人が激減した社会のなかで、イシス編集学校は本を読むことをたいへん重視しています。

 

田中:イシス編集学校の特筆すべきところは、たんに「本を読む」だけでなく、本を通じて、さまざまなことを経験する場だということです。講座でいえば、世界読書奥義伝[離]はとくにそうです。読むべき本の多さや課題の難しさ、想像を絶する締切の短さに青ざめながらも、必死になってなんとかしていく体験をします。その体験は、イシスの外ではなかなか経験できないものです。

 

――しかも、編集学校では「読んだら書く」ということが基本で、読みっぱなしにせず、書くことまでワンセットになっているのが特徴ですよね。

 

田中:そうですね。イシス編集学校では、「書く」ことを大事にする姿勢もつくれます。「本を読む」ということは、アタマのなかだけで完結する行為に思えますが、じつはそうではありません。私たちは生身の人間として生きていますから、「考える」だけでなく「感じる」ということが起きています。

読書をしていても、苦しかったりモヤモヤしたり、何かを感じる。その感覚や感情を「書く」という行為を通じて言葉に置き換えていくことで、読みがさらに深まるわけです。書いたものは自分の記録として残ります。それがつぎの自分をつくっていきます。言葉を使うことで、自分を育て、自分を豊かにしていくことができます。

 

――書くことで、世界を豊かにしていけるのですね。

 

田中:しかし言葉がじゅうぶんに耕されていないと、「書く」といっても、自分を目立たせるために刺激的な言葉を使ったり、攻撃的な言葉で注意を集めたりするほうへ奔ってしまいます。しかも、それによってお金を稼ぐことができる時代です。言ってみれば、言葉の暴力で仕事が成り立つということが、社会に定着しつつあります。

 

――自分を豊かにするように、言葉の訓練をしていくためにはどうしたらよいのでしょう。

 

「書く」ということを、自分ひとりで続けるのはたいへんです。私だって、原稿の締切がなければ、読んだり、書いたりしなくなってしまうかもしれない。でも、読み書きを怠るのは、すごくもったいないことです。人間には豊かな能力が備わっているはずなのに、それが伸びないままになってしまいますから。その点、イシスに関わっていると、強制的に締切がやってくるのでありがたいですね(笑)。

 

■千夜千冊は「扉」である

 松岡正剛をモデルに

 

――イシス編集学校での「読み」「書き」のモデルになっているのは、校長松岡正剛が紡いできた千夜千冊です。優子先生は、千夜千冊をどんなふうにご覧になっていますか。

 

千夜千冊は、たんなる書評ではありません。ふつう書評といえば、本の内容を解説するもの。私は長らく新聞の書評委員を務めてきましたが、文字数の制約もあり、その本以外のことをなかなか盛り込めないものです。でも、千夜千冊は違います。

 

――どう違うのでしょう?

 

千夜千冊は「扉」です。ひとつの扉を開けてみると、その本の内容がわかるだけでなく、ほかの本のつながりも見えてきます。扉を開けて「ふむふむ、この本はこういう内容なのか」と扉を閉めるわけにはいかないのです。なかに入ったら、あの本のあの言葉が別の本や言葉につながっているということがどんどん見えてきて、抜けられなくなるんです。

 

――千夜千冊は、扉を開けたが最後、出られなくなる知の迷宮……ですか。

 

千夜を読むのは、知識を広げるためではありません。知識量を増やしたいなら、辞書を読めばいい。千夜千冊を読むと、たとえば経済の問題が宇宙の問題とつながっていたことに気づきます。自分のなかにある問題意識に接続されることもあります。千夜千冊を読むと、「読み」を広げることと深まることが同時に起こるのです。

 

――これまで古今東西の1800冊以上が紹介されていますから、読みたい本があったらまず千夜千冊の扉の前に立ってみるとよさそうです。

 

みなさんが出会う本のなかには、とっつきにくい本も関心が湧かない本もあるでしょう。そういうときにも、まず千夜千冊を読めばいい。該当千夜を読んでみて、「やっぱりこの本を読みたい」と思い直すこともあれば、「この本は松岡校長の言葉だけで十分だ」と判断することもあるでしょう。ときには、松岡校長の読み方は違うと感じることもあるでしょう。

 

――千夜に違和感をおぼえることもあるんですか。

 

ありますよ。たとえば、千夜千冊『折りたく柴の記』についての言葉は、私とは違うものです。でも、そういうふうに違いを感じるということは、「自分なりの読み方があるのだ」と発見することですよね。松岡校長と自分の違いを感じながら読むというのも、大事な方法です。

 

――読むことによって「自分」が浮き彫りになってくるんですね。

 

そうです。本を読み、書くことを通じて、この自分というのは「狭い、いつもの私」ではなくて、いろいろな私がいることに気づきます。「たくさんの私」に気づいていく場として、イシス編集学校の仕組みはじつに整っています。みなさんとイシス編集学校でともに学べることを楽しみにしています。

 

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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