発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

[守]の教室から聞こえてくる「声」がある。家庭の中には稽古から漏れ出してくる「音」がある。微かな声と音に耳を澄ませるのは、今秋開講したイシス編集学校の基本コース[守]に、10代の息子を送り込んだ「元師範代の母」だ。
わが子は何かを見つけるだろうか。それよりついて行けるだろうか。母と同じように楽しんでくれるだろうか。不安と期待を両手いっぱいに抱えながら、わが子とわが子の背中越しに見える稽古模様を綴る新連載、題して【元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた】。第2回のオノマトペは「ちくたく」、“母子時間騒動”をお届けします。
【ちくたく】
時計が時を刻む音。もとは振り子時計の振り子が揺れる音を表していたが、やがて時計全般の秒針が動く音を表すようになった。
『暮らしのことば 擬音・擬態語辞典』(山口仲美/講談社)
「え、もう回答したの?」
「うん」
「え、30分経ってないよね?」
「笑」
「(ぅおぉぉぉっっいっ!)」
[守]の編集稽古は15週間だ。だから38番あるお題は、ほぼ1日おきに学衆の元へ届く。母が仕事から家に帰ると、長男はいつもパソコンの前に座っている。よしよしいいぞ、ではない。開いているのはエディットカフェではなく、たいていYouTubeだ。
「006番、出題されてるんじゃない?」
「えー、もうきてるのー? あー、ほんとだ」
長男は見ていたYouTubeを傍にやり、エディットカフェを開く。「家に帰ったらエディットカフェ」という約束は早々に破られ、かわりに「母が声をかける」という手順が段取りに追加された。
今日のお題【006番:カブキっぽいこと】は、「らしさ」を取り出す稽古だ。学衆は、いろいろな「カブキっぽい」ものを集めてこなければならない。「これは手強いぞ(母の心の声)」。しかし長男は、慣れた手つきで回答欄をコピーし、自分のパソコン上のテキストエディタへ貼り付け、回答を始めようとする。
「お題文は読んだの? カブキっぽいことだよ。歌舞伎は知ってる?」
「あー、これね」
いつものように画面を高速スクロールさせるので、本当に読んでいるのかどうか。いや、あのスピードでは読めていないだろう…と疑ってしまう母がいる。お題文はちゃんと読んでよと言いたいのを我慢して、問いかける。
「30分、計ろうか?」
「えー、計らなくていいよ」
そう言ってキーボードを叩き始めたので、母は部屋を後にすることにした。昨晩大量に仕込んでおいた冬瓜とソーキ(豚のスペアリブ)のお汁があったので、夕食の準備を20分くらいで終えた。「(心の声)お題回答目安時間では、あと10分くらいあるな。さぁて、どんな回答を叩いているのやら」。ふたたび部屋を覗きに行くと、母は自分の目を疑った。そこには、すでに回答を提出し終えて、笑いながらYouTubeを見ている長男の姿があったのだ。あんぐりとした母から出た言葉は、冒頭の会話となった。
母は、自分の学衆時代に【006番:カブキっぽいこと】へどう取り組んだか振り返ってみた。歌舞伎がわからず、まずは調べることから始まった。もちろんお題文に回答目安時間と設定されている30分はしっかり計った。ただ、それを余裕で超過していた。どのお題でも大体そうだった。回答目安時間なんてあってないようなものだ。到底、その時間内で終わらせることなどできず、沼にハマりながらも、流れる時と共に編集稽古を楽しんでいた。
そんな母の「ものさし」では測れない長男の稽古模様が、近ごろの我が家では風物詩となりつつある。母と息子ではこうも違うものだ。
長男は、そもそも日ごろからよく動く。食事中、コップを取りに行ったと思ったら、アイランドキッチンを2周回り、家族に「何しに行ったの?」と言われ、やっとコップを取って戻ってくる。食べ終えたのかと思ったら、席から離れ、リビングを回遊しだすこともある。とにかく彼の注意のカーソルは、次から次へトランジットしているのだ。かと思えば、じっと図鑑や雑誌を読み耽り、えっ、いたの!? とびっくりするくらい存在感を消して集中する時もある。本を読んだ後は母のところにやってきて、図鑑や雑誌で知り得た情報を、大量かつ一方的にドバーっとアウトプットし始めることも。彼には不定期に訪れる静と動がある。
そんな長男は、編集稽古をする時に「時間は計らないでいい」という。彼には、規則正しく進む時間では計れないものがあるのかもしれない。まるで対峙するものとの動きに合わせて伸びたり縮んだりする筋肉のように、柔軟な時が流れているのかもしれない。有り余る力を弄ぶような時間も、じっと目を見張り全身から吸収するような時間も、瞬時にジャンプしスパイクを決めるような時間もあるのかもしれない。チクタク、チクタク…。筋肉のように躍動する少年の時間がここにある。
ヂッグ、ダッグ……。母の筋肉はさびついているのか。朝の散歩をもう少し増やしてみよっかな。
(文)元・師範代の母
◇元・師範代の母が中学生の息子の編集稽古にじっと耳を澄ませてみた◇
#02――ちくたく(現在の記事)
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。