<多読ジム>Season09・冬の三冊筋のテーマは「青の三冊」。今季のCASTは小倉加奈子、中原洋子、佐藤裕子、高宮光江、大沼友紀、小路千広、猪貝克浩、若林信克、米川青馬、山口イズミ、松井路代。冊匠・大音美弥子と代将・金宗代の原稿が間に合えば、過去最高の13本のエッセイが連載される。ウクライナ、青鞜、村上春樹、ブレイディみかこ、ミッドナイト・ブルー、電波天文学、宮沢賢治、ヨットロック、ロラン・バルト、青水沫(あおみなわ)。青は物質と光の秘密、地球の運命、そして人間の心の奥底にまで沁みわたり、広がっていく。
子どもの頃から青色、その中でも「ぐんじょう色」が特に好きだった。後に「群青」と書くと知って驚いた。子ども心にもそのネーミングセンスが響いたのだと思う。そして青が群れるという表現に、だからこんなにもくっきりキリリとした色なんだと深く納得した。
一方、ブルー(blue)には憂鬱や悲しみといったネガティブな意味もあり、黒人霊歌に端を発する“blues”の名前の由来でもある。青空の美しい日は、“労働日和”なのだ。過酷な労働のつらさに耐えつつ魂の解放を求めて歌われれば、その歌はbluesになる。
●居るのはつらいよ
『居るのはつらいよ』は、著者の東畑さん自身の叫びだ。京大で心理学を学んだ後、セラピストとして活躍する場を求めてネットで見つけた沖縄の診療所は、「ただそこにいる」ことが求められるデイケアの場であった。臨床心理士の東畑さんは、来る日も来る日もただそこにいることだけを望まれる。単調で苦痛に満ちたブルーな日々…。
デイケアにいられるためには、ケアする前に、まずはケアされることに慣れることが必要なのである。「いる」とはお世話をしてもらうことに慣れることなのだということに、東畑さんは少しずつ気づいていく。
デイケアは究極のコミュニティで、「いる」ために「いる」ことを目指す。その方法は同調ではない。それぞれ異なる心身のリズムを奏でるお互いの存在を認め合い、不協和音になろうとも魂の声を重ね、他者のためにその場に存在することなのである。「いる」が次第に「ある」になっていく過程を共有することでコミュニティは成りたっているのかもしれない。
学校も会社も家庭もコミュニティだから、それらの本質はデイケアと同じである。コミュニティに属すためには、ケアしてケアされることに慣れる必要がある。でも、実際には、教師と生徒、上司と部下、親と子、というように立場に伴う役割が固定されすぎてしまったり、同調圧力と自己責任が無意識に強要されていたりして、ケアが循環しているコミュニティはなかなかない。多くの人が空気を読みながら「居るのがつらい」と思っているのではないかと思う。もしかしたらそれは、日本人だけじゃなく、世界の、特に先進国の人々もそうなっているのではないだろうか。情報は世界中を光の速さで縦横無尽に飛び交っているけれど、誰かのぬくもりや肉声はそのやりとりから振り落とされ、心が置き去りにされていく。
●互いの青を感じ合う
今、ウクライナに住む人々は、ただいることが脅かされる日々を送る。コミュニティが外から暴力的に破壊されている。だが一方で、ウクライナの人々は、爆撃の合間の僅かな時間において、「いる」ことの本質へと向かっているのではないか。当たり前にいることが当たり前でなくなる現状の中、お互いを求めあいケアしケアされる優しい循環が、束の間の静かな時間の中で、人々を少しでも癒していると信じたい。
アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』は、ソ連崩壊後の新生国家ウクライナの首都キエフに暮らす短編小説家の物語である。主人公ヴィクトルは、新聞の死亡記事を書く仕事を得るのだが、その死亡記事は、まだ生きている大物政治家や財界人あるいは軍人といった著名人の記事であり、その不可解な執筆依頼に疑問や不安を持ちつつもその仕事で生計を立てていくことにする。やがて死亡記事を書いた著名人が次々に謎の死を遂げるようになり、自分が知らず知らずのうちに何か大きな陰謀に加担をしているのではないかと感じ始め、実際に、ヴィクトル自身も身の危険を感じるようになる。
サスペンス小説ではあるのだが、不思議と物語の進行は静かで落ち着いていて、かつユーモラスな軽みもある。ペンギンのミーシャが登場するからかもしれない。タイトルにもなっているこのペンギンは、資金繰りに困る動物園からヴィクトルが譲り受けた“飼いペンギン”で、しかも憂鬱症を患っている。本来は、南極で他のペンギンたちと共にコミュニティの中で生活しているはずのペンギンのミーシャと、恋人に逃げられ孤独に生活する小説家のヴィクトル。ブルーな者同士が寄り添い、互いの憂鬱な気持ちを感じ合い、ささやかなコミュニティを形成していく。そのうち、ある事情によってヴィクトルが預かることになった少女、ソーニャとベビーシッターとして雇ったニーナも加わり、不穏な空気に取り囲まれながらも普通の一家のように生活を送る。それは疑似家族であろうと立派なコミュニティであり、幼すぎて複雑な事情を知らないソーニャとペンギンのミーシャがケアの中心的存在となってヴィクトルに安らぎと癒しを与えるのである。
アンドレイ・クルコフは、今現在もキエフに在住する。ウクライナ人であるがロシア語作家であり、本書もロシア語で執筆された。ロシアは既に2008年にクルコフの本の出版を止めている。14年にはウクライナから輸入することも禁止した。
クルコフは、ロシアという国が恥ずかしいと言う。ロシア語話者で民族的にはロシア人と何ら変わらない同胞にも銃を向けるロシアという国が恥ずかしいのだと。彼はもうロシアの国にも文化にも興味がなく、ただただウクライナの人々がささやかだけれども平穏な日常の生活を取り戻すことだけを望んでいる。
●祈りよ、届け!
それにしてもなぜ人類は、これほどに学ばないのだろうか。なぜ、手に負えないほど大きな領土や権力や金を、戦争をしてまで他者から奪おうとするのだろうか。人類の多くが「ただ居ること」を不得手としているんじゃないか。みんなただそこに居ることがつらいから、無駄な諍いを求めているのではないか。日常の中、個人の心の中に生じる、小さなわだかまりや苛立ちや孤独は、うんと育てていくと世界戦争にまで発展する強烈な破壊力を持つに至るのかもしれない。
過激なブルー。誰にも分かち合ってもらえない重すぎるブルー。かつてのソビエト連邦やもっとさかのぼってロシア帝国やキエフ・ルーシの復活を妄想するプーチンの孤独と疎外感は、どのように増大してしまったのだろうか。プーチンはケアしてケアされるコミュニティを一度も経験してこなかったのか。でも、プーチンに限らない。自分自身の中にも争いの青黒い芽が育つ可能性だってあるのだと考えると、恐ろしい。
ウクライナの惨状に想いを馳せつつ、谷川俊太郎の処女詩集『二十億光年の孤独』を手に取った。「祈り」という詩が心に沁みた。谷川少年はこの詩の中でホモ・サピエンスの傲慢さを指摘する。そうしてこう訴える。
人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう(ところはすべて地球上の一点だし
みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう
ケアには“祈り”が先行する。祈るのは、他者のさびしさや孤独を知って寄り添いたいと思うから。遠く離れて会えない大切な人々への想いは募るばかりだが、幸せを望む祈りだけでも届いてほしい。
さびしさを超えた向こうに、ケアしケアされる温かい場が作られるはずだ。世界中の人々がそれぞれに青い地球のさびしさを受け止めれば、ただ居ることの耐えがたい苦しみも青空に溶けていくにちがいない。
<いや絶望はしないよ
僕はただ青空がなつかしいんだ> 「曇り日にあるく」
再び、谷川少年の声が聞えてくる。
Info
◆アイキャッチ画像◆
『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ/新潮社
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』東畑開人/医学書院
『二十億光年の孤独』谷川俊太郎/集英社文庫
◆多読ジム Season09・冬◆
∈選本テーマ:青の三冊
∈スタジオゆむかちゅん(渡會眞澄冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三位一体型
◆著者プロフィール◆
∈アンドレイ・クルコフ
1961年、レニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)生まれ。父は軍のテスト・パイロット。三歳のときに一家でキエフに移り、以来、このウクライナの首都に住んでいる。キエフ外国語大学を卒業後、出版社で翻訳に携わったり、ドブジェンコ映画スタジオでカメラマンの助手をしていたこともある。兵役として、オデッサの刑務所で看守をつとめた。そういった経験を活かし、小説家以外に、映画のシナリオライターや児童文学者の顔を持つ。
クルコフがブレイクしたのは、本書『ペンギンの憂鬱』が出版され、欧米各国語に翻訳されてからである。ヨーロッパでベストセラーとなり、一時は、本国ウクライナでよりもヨーロッパの方が知られているのではないかとさえ言われていた。
ウクライナでさほど注目されていなかった要因として、ロシア語作家であったことが挙げられる。ウクライナの民族意識が高揚する中で「非ウクライナ語作家」の立場がかなり厳しくなっている。ましてやロシアのクリミア侵攻がある現在においてクルコフの立ち位置は非常に悩ましい。
ロシア語とウクライナ語は、一部異なる文字もあるが、ともにキリル文字を用い、同じ東スラヴ語に属していて、つまりは非常に似ているのだが、そうかといってどちらがどちらの方言と見なすことはできない、独立した言語である。愛国主義的な機運が盛り上がれば、ウクライナ語を公用語にしてロシア語を排斥しようという動きが出てくることはやむをえないが、キエフは、ウクライナ語とロシア語のバイリンガル都市である。ロシアのウクライナ侵攻を経て、この都市の言語環境はどのように変化していくのだろうか。
クルコフ自身は、ウクライナ語だけではなく、ロシア語、クリミア=タタール語、ハンガリー語もウクライナの地で「文学の言葉」として使われている以上、いずれも「ウクライナ文学」の大切な構成要素と考えるべきだ、と主張している。
(参考:『ペンギンの憂鬱』訳者あとがき)
∈東畑開人
1983年生まれ。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。沖縄の精神科クリニックでの勤務を経て、2014年より十文字学園女子大学、准教授。2017年に白金高輪カウンセリングルームを開業している。
臨床心理学が専門で、関心は精神分析と医療人類学である。著書に『美と深層心理学』京都大学学術出版会、『野の医者は笑う』誠信書房、監訳書に『心理療法家の人類学』誠信書房がある。第1回、公認心理師試験合格している。
(臨床心理士と公認心理師の違いは、前者が民間、後者が国が認定する資格ということだが、臨床心理師の方が歴史は古い。心の問題を扱うという意味ではほぼ同じ職業である。制度の問題点を超えて、心の問題を扱う専門家がもっと活躍できる場所が増えると良い。ニーズは非常に高いはずなのに、なかなか就労環境が改善しないのは、介護福祉士が抱える問題と似ているように思う。)
∈谷川俊太郎
1931年生まれ。現在、御年90歳。言わずと知れた日本を代表する詩人であり、翻訳家、絵本作家、脚本家でもある。
1950年には、父の知人であった三好達治の紹介によって『文学界』に「ネロ他五編」が掲載される。1952年には処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行する。石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、寺山修司、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対した。
1962年に「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞を受賞した。1964年からは映画製作に、1965年からは絵本の世界に進出した。1967年には初の訳書となる『あしながおじさん』(ジーン・ウェブスター)を出版。翻訳の分野では『スイミー』(レオ・レオニ)、『ピーナッツ』、『マザー・グースのうた』などの著作を手がけている。
これまで3度結婚しており、初婚は岸田衿子、二人目は大久保知子(元新劇女優)、そして佐野洋子が三人目の妻であった。
◆書誌情報◆
∈『ペンギンの憂鬱』
1996年に『局外者の死』と題されたロシア語で出版されたが、数年後に英語、ドイツ語、フランス語訳が出て、またたくまに欧米で人気を博した(のち、ロシア語訳は『氷上のピクニック』に変えられた)。訳者の知る限り、すでにウクライナ語、ポー
ランド語、中国語、トルコ語を含む20か国語に翻訳されている。ドイツ、フランスではとりわけよく読まれ、それぞれ10万部以上売れているというが、現代ウクライナの作家で、これほど国際的に名前の知られている人はいないのではないだろうか。
2000年、ドイツの『シュピーゲル』誌の記者が取材のためキエフを訪れ、飼っているペンギンと一緒にいるところをぜひ写真を撮らせてほしいと頼んできた。ペンギンを飼ったことは一度もない、と作家がいくら言っても、信じようとしなかったという。
また、クルコフは続編『カタツムリの法則』を出したが、それは欧米の読者から、あのあとペンギンはどうなったのか、ぜひ先が読みたい、という熱い要望が多く寄せられたほど、クルコフのペンギンの人気は、すごい。 ペンギンのミーシャは、囚われの動物園から解放されたものの、本来仲間たちといるべき南極にいるのでもない──その宙ぶらりんの環境が、主人公ヴィクトルの置かれた状況そのものを象徴的、寓意的にあらわしているといえる。じっさい、作品の背景となっているのは、ソ連が崩壊してウクライナが独立した直後の、犯罪が横行しマフィアの暗躍する「過渡期」の都市キエフである。
∈医学書院シリーズ「ケアをひらく」
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』第19回大佛(おさらぎ)次郎論壇賞(朝日新聞社主催)受賞作で、医学書院のシリーズ「ケアをひらく」の中の1冊。このシリーズ自体も第73回毎日出版文化賞<企画部門>を受賞している。シリーズの目的は、「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から《ケア》の世界を探るということで、医療従事者だけではなくアート研究者や哲学者の書籍も入っている。例えば、國分功一郎の『中動態の世界 意志と責任の考古学』、伊藤亜紗の『どもる体』など。こういった本が医学書を扱う専門書店から発刊されることは珍しい。
∈『二十億光年の孤独』
詩人、谷川俊太郎のデビュー詩集。「二十億光年の孤独」「ネロ」「はる」「わたくしは」をはじめ、50の作品が収められている。集英社文庫版は、日英二か国語版で、日本語と英訳の間には、実際詩が執筆された手書きノートが挿入されており、谷川少年の肉筆を鑑賞することが可能である。
高校、大学と不登校気味だった息子の詩のノートを読んだ谷川徹三は、それまで見たことのない抒情性が秘められている詩に驚き、友人の詩人、三好達治にノートを送りつけた。三好は友人の息子の詩を読んで驚き、そく文芸雑誌『文學界』に推薦した。その後、掲載された詩を読んだ雲井書店の店主が単行本の出版を申し出て、1952年6月に創元社から出版されたのが本書である。収録する詩50篇は、徹三氏のマル印を参考にしつつ、俊太郎少年と雲井書店社主の二人が選んでいる。この途中に雲井書店が倒産したため、創元社からの出版となった。
執筆から70年の月日が流れているが、現在も詩の瑞々しさは全く衰えず、古びてもいない。二十億光年の孤独と比較すれば数十年など瞬きする時間にも満たない一瞬なのだろう。鮮度の高い作品である。
小倉加奈子
編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。
「御意写さん」。松岡校長からいただい書だ。仕事部屋に飾っている。病理診断の本質が凝縮されたような書で、診断に悩み、ふと顕微鏡から目を離した私に「おいしゃさん、細胞の形の意味をもっと問いなさい」と語りかけてくれている。 […]
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