それは「うつ」だろうか
ロシアのウクライナ侵攻、安倍晋三元首相銃撃事件、2022年は悲惨な事件や事故、戦争の映像を多く目にした一年だった。否応なしに目に入ってくる悲惨な場面に心が疲弊した人も多く、私自身、テレビやネットニュースから暫く距離を置いた。それは以前にも社会から離れたくなった体験を思い出させた。
20年前の冬、愛犬の死は私を苦しいペットロスに陥らせた。小さな頭や毛の匂い。年老いても家族に甘える体の重み。犬のいない朝がくる日を恐れて眠れない時間を過ごした。暫くは喪失感に苛まれていたけれど、冬を超え、春にはゆっくり眠れるようになっていた。
家族や親しい人との死別だけでなく会社の倒産、あるいは災害に見舞われた場合、人はふさぎ込み、悲嘆にくれる。自殺がよぎる瞬間もあり得るだろう。このような幾つかの状態が2週間続くと、人は「うつ」の症状を引き起こしているといわれる。これは、精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)の基準による見立てだ。しかし、哀しみの淵に沈む人々は僅か2週間で回復することができるだろうか?
この疑問を呈したのが『それは「うつ」ではない どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由』だ。悲哀は精神疾患ではなく、人間がもつ自然な感情である。診断を誤れば、健康な状態の人を「うつ」と見なす恐れもあるだろう。必要なのは治療の前に個人の哀しみを共有する術を考えることだと著者、ホーウィッツは語る。
わたしの「推し」をシェアする時代
哀しみの共有が人を癒すのと同様に、思いや行動をシェアすることで、人は歓びを感じられる。2022年もブームが続いた「推し」がその一例だ。久保(川合)南海子の『推しの科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』は、令和の社会現象となった「推し」を認知科学の視点から取り上げる。アイドルだけでなく役者、マンガ、ゲーム、映画、舞台、そしてモノなどこの世のあらゆるものが「推し」になり得る現代において、単なる「ファン」と「推し」との相違とは何だろうか。
著者は、「ファン」とは対象を受動的に愛好するものだが、「推し」はもっと能動的だと語る。対象が自分の内面だけに表象化されるのではなく、彼らを軸にして自分を世界へと押し出していくのだ。例えば「推し」本人不在の誕生日会を開いたり、韓流ドラマをきっかけに韓国語の学習をし、現地旅行まで発展する「推し活」を著者は“プロジェクションマッピング”のプロジェクション(投影)に重ねて考察している。プロジェクションマッピングのように、映像やイメージをフラットなスクリーンに投影するのではなく、実在の場へ自身の心のうちを投げ、他者にシェアしていく。プロジェクションによって、私たちは起伏に富んだこの世界に足を据える手ごたえを得るのだ。
時によって「推し」の存在は、歓びだけでなく哀しみや嫉妬などネガティブな感情も添えられるだろう。私たちの世界は、ただ無機質なモノが存在するのではなく、モノに対して誰もが「意味」という色をつけながら、世界を彩っていくからだ。
もやもやはブルー、希望はイエロー
憂鬱は“ブルー”とも呼ばれる。「うつ」症状を指すのではなく、どことなく気持ちが晴れない、もやもやした状態がイメージされる。
『ぼくはイエローで、ホワイトでちょっとブルー2』は、イギリスのブライトンに住む著者、ブレイディみかことその息子をはじめ、パートナーや息子の学校仲間、近隣住民の生活を綴ったノンフィクション作品だ。
シリーズ1作目では、世間的に「荒れている地域」と称される場の中学校に進学し、身近な社会での貧困、人種差別を目の当たりにした少年の戸惑いや驚きが描かれる。社会への矛盾と疑問が生まれるたび、それを言葉にし、家族とシェアしていった息子が本作では他人の置かれる立場を察知し、どう行動していくかを考える。進学できるかできないかで変化していく友人関係、「自分みたいになるな」と息子に呟く労働階級者の父と、そんな言葉を息子に投げかけなければならない父を慮る息子。どうすることも出来ないもやもやを胸に収め、時に吐き出しながら生きる彼の姿は逞しい。
タイトルの『ぼくはイエローで、ホワイトでちょっとブルー2』で称される“イエロー”とは、日本人を揶揄する言葉として捉えられるが、本書では希望の光のように感じられる。
ブルーとイエローのプロジェクション
愛犬を亡くして数か月後の春、私はある大学病院の医師にその体験を話したことがあった。家族や友人ではない、私の哀しみを知らないまっさらな相手に話し、涙を流し、犬と共に過ごした時間を伝えることで、私は初めて外側から自分の気持ちに対峙できたと思う。得たのは鋭い喪失だけでなく、命の手触りやあたたかみ、犬を囲んだ時の家族の笑顔だった。
哀しみも歓びも分かちあえる時代、揺れ動く人の心を想像してみよう。死がもたらすものは恐怖や哀しみだけではなく、生きる歓びも含まれるはずだ。ブルーとイエローはウクライナの国旗色でもあるが、誰かの痛みを癒し、「推し」を共有する、人間同士が混ざり合うプロジェクションなのかもしれない。
⊕アイキャッチ画像⊕
『それは「うつ」ではないーどんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由ー』アラン・V・ホーウィッツ&ジェローム・C・ウェイクフィールド/CCCメディアハウス
『推しの科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』久保(川合)南海子/集英社新書
『ぼくはイエローで、ホワイトでちょっとブルー2』ブレイディみかこ/新潮社
Info
⊕多読ジム Season12・秋⊕
∈選本テーマ:2022年の3冊
∈スタジオみみっく(畑本浩伸冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成型
『それは「うつ」ではない』
├─『ぼくはイエローで、ホワイトでちょっとブルー2』
『推しの科学』
◆著者プロフィール◆
∈アラン・V・ホーウィッツ
社会学博士。ラトガーズ大学教授。精神疾患の様々な側面に関する論文を精力的に発表し、著書も多い。
∈ジェローム・C・ウェークフィールド
ソーシャルワーク博士。ニューヨーク大学教授。哲学と精神医療にまたがる学際的研究の権威で、精神疾患の診断に関する論文を多数発表している。
∈久保(川合)南海子
日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程修了。博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員、京都大学こころの未来研究センター助教などを経て、現職。専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス キャリアを積むこと、家族を持つこと』(新曜社)ほか多数。
∈ブレイディみかこ
1984年福岡県立修猷館高等学校を卒業して上京&渡英。ロンドンやダブリンを転々とした後、日本に戻ったが1996年に再び渡英。ブライトンに住み、ロンドンの日系企業で数年間勤務。その後フリーとなり、翻訳や著述を行う。2017年、『子どもたちの階級闘争』で第16回新潮ドキュメント賞受賞。2018年、同作で第2回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で第73回毎日出版文化賞特別賞受賞、第2回本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞、第7回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)受賞、第2回八重洲本大賞、キノベス!2020 第1位、大宅壮一ノンフィクション賞候補。
英国では、保育士の資格を取得し、失業者や、低所得者が無料で子どもを預けられる託児所で働く。また、成人向けの算数教室のアシスタントを経験する。そこで経済格差を実感するとともに、算数の二ケタの計算ができない大勢の大人に接して教育格差にも驚きを感じたという。著書『子どもたちの階級闘争』では、イギリスの緊縮財政がもたらした経済格差と多様性について、託児所に集う親子らの日常を通して描いた。
増岡麻子
編集的先達:野沢尚。リビングデザインセンターOZONEでは展示に、情報工場では書評に編集力を活かす。趣味はぬか漬け。野望は菊地成孔を本楼DJに呼ぶ。惚れっぽく意固地なサーチスト。
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