【三冊筋プレス】植物と人が触れ合う、現代のユートピア(増岡麻子)

2022/02/10(木)09:16
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白洲正子もチャペックもウィリアム・モリスもメーテルリンクもみんなボタニストの編集的先達だ。<多読ジム>Season08・秋、三冊筋エッセイのテーマは「ボタニカルな三冊」。今季のライターチームはほぼほぼオール冊師の布陣をしく。日本フェチの福澤美穂子(スタジオ彡ふらここ)、軽井沢というトポスにゾッコンの中原洋子(スタジオNOTES)、編集かあさんでおなじみ松井路代(スタジオ茶々々)、ついに三冊筋デビューを果たした増岡麻子(スタジオこんれん)の四名の冊師たち。そこに、多読ジムSPコースとスタンダードコースを同時受講しながら読創文と三冊筋の両方を見事に書き切った熱読派の戸田由香と、代将・金宗代連なって、ボタニカル・リーディングに臨む。


 

 ●植物はいつでも感じている●


 静かに揺れるアサガオ、オジギソウ、ネナシカズラ、そしてポトスライム。植物には聴覚、視覚、触覚など人間がもつ感覚と類似する感覚が備わっているという。光や色、香り、人間が手で触れたときの感触や重力の方向も、以前にかかった感染病だけでなく寒かった気候の記憶も、植物は分かっている。植物は生育するための感覚機能を身につけ、進化させていると『植物はそこまで知っている』の著者、ダニエル・チャモヴィッツは述べる。

 


 ●22世紀のロンドン、テムズ川で●


 チャモヴィッツの提唱からおよそ80年後の22世紀、詩人でデザイナーのウィリアム・モリスは、ロンドンでテムズ川を見下ろす。19世紀に「モダンデザインの父」と呼ばれ、今なおそのデザインが継承されているモリスがある朝目覚めると、そこは200年後、22世紀のロンドンだった。それが『ユートピアだより』のはじまりだ。舟でテムズ川を下る途中、煙突から煙を吐き出す石鹸工場や、機械工場、鉛工場は姿を消し、瀟洒な住宅街と牧歌的で自然豊かな風景が現れる。モリスのために舟を漕ぎ、街をガイドする22世紀の若者は語る。「いまは発明の時代じゃ、ありません。そんなことはすぐ前の時代がぼくらのためにみんなすませてくれました」。
 彼が語る「前の時代」すなわち19世紀から21世紀にかけ、人間は農業から工業へと生産活動を変化させた。生産性が上がる一方で森林の伐採、生活排水による川の汚染、工場乱立による景観悪化が進み、同時に経営者や資本家と労働者との間には溝が生まれていく。やがて労働者たちには、すべての人が平等で共同社会的な生活を実現したいという希望が芽生える。数千人規模の死者を出すほどの激しいボイコットや社会運動を経て、とうとう22世紀に国家変革が叶ったという。モリスが描いた、このユートピアとは人類のノスタルジー、ロマンスに過ぎないのだろうか。


 ●163万円の価値●


 モリスが揺蕩う22世紀の川旅から遡り、ときは21世紀の奈良へ。津村記久子の『ポトスライムの舟』には29歳の労働者が登場する。前職で上司のモラルハラスメントに心身を削られ、退職を余儀なくされたナガセは、工場と友人の経営するカフェを掛け持ちして働き、週末はパソコン教室でアルバイトをしている。ナガセが工場で得る年収は手取り163万円だ。

 ある日、ナガセは自分の年収が世界一周旅行にかかる費用とほぼ同等だと知る。この数字に運命的なものを感じた彼女は、旅費の163万円分を1年間で貯めてみようと思いつく。モラハラの影響から、働く意義や目的を見失い、労働で自分の時間を売ることに虚無感を抱いていたナガセは「貯金」という目標をつくることで、お金や時間に対する価値を見つめ直していく。

 


 ●支配するもの、支配されるもの●


 戦争と商業主義の歴史において、労働者は経営者に支配されていた。しかし「労働者もまた、別のものを支配していた」。モリスが22世紀のロンドンで出会った老人は、そう語る。別のものとは「自然」だ。人間は自分たち以外のすべてのものを区別し、自然は彼らの外側にあるものと見なしていた。移ろい変わる季節や気候に関心を寄せず、土壌を汚染し、自然を奴隷化していたのだ。かつての上司はナガセを自分の外に追いやった。それが原因で彼女は人生への希望自体を見失っているように思える。奴隷化された自然のように。

 


 ●ポトスライムが映し出すユートピア●


 友人のカフェで働く夜、ナガセは観葉植物であるポトスライムの繁殖力に驚く。ポトスライムは切った茎をコップの水に差しておくだけで繁殖が可能なのだ。生命力が強く、耐陰性に優れるポトスライムだが、食用にはならない。つまり実用的ではない。ナガセはこの植物に自己を投影する。それでも、ポトスライムの水を替え、工場に出勤し、生活費を工面する。163万円の貯金は思うようには進まず、ときに想定外の支出も起こる。しかし、その想定外の出来事は怒りや悲しみ、歓びという感情をもたらし、彼女に生きる手ごたえを与えていく。ナガセが自ら積み上げたユートピアでは、自然と労働者が「感覚をもつ生きもの」同士として共存する。
 いま私たちは、モリスが開いた22世紀の扉を即座に開けることはできない。できるのはポトスライムの逞しさ、不器用さを持ち備えることだ。それは、モリスが夢見た目映いユートピアへの道のりを示唆しているのかもしれない。

 

INFO

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∈『ユートピアだより』ウィリアム・モリス/岩波書店
∈『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』ダニエル・チャモヴィッツ/河出書房新社
∈『ポトスライムの舟』津村記久子/講談社

 

●多読ジム Season08・秋●
∈選本テーマ:ボタニカル
∈スタジオゆいゆい(渡曾眞澄冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):二点分岐

               『ユートピアだより』
『植物はそこまで知っている』/
              \『ポトスライムの舟』
       


  • 増岡麻子

    編集的先達:野沢尚。リビングデザインセンターOZONEでは展示に、情報工場では書評に編集力を活かす。趣味はぬか漬け。野望は菊地成孔を本楼DJに呼ぶ。惚れっぽく意固地なサーチスト。

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