イシス編集学校にひとつのウワサがある。最近、“松岡正剛校長Love”な若手メンズが編集学校に急増しているらしい。エディスト編集部では、それらしき3人の若手メンバーにひとまず話を聞いてみることにした。すると、水を得た魚とはこのことか!息つく暇なく口をついて出てくるのは、松岡校長や編集工学へのあくなき思慕、秘めた思考や連想だった。
そこで場を改め、2022年8月某日、若きメンズの熱量と独自のアナロジーの源泉はどこにあり、どこへ向かうのか。その生態を紐解くべく、オンライン鼎談の場を用意した。
連載3回目は、松岡オシ若手3人衆がイメージする「たくさんの松岡正剛校長」の姿と、彼らの想いに迫る。
(聞き手:エディスト編集部 上杉公志、マツコ)
バックナンバー
推し活の始まりはいつ? ──松岡正剛オシな若きメンズの生態(1)
自分のなかの“松岡性”をクロニクルに見出す ──松岡正剛オシな若きメンズの生態(2)
マツコ 今回は、松岡Loveなイシス若手3人衆がもつ松岡正剛校長のイメージをあの手この手で聞き出しています(笑)。事前に「たくさんの松岡正剛校長」のイメージをあげていただきました。 [守]の稽古をもとにした応用お題でした。お一人30個もつくってくださったんですよね。難しいお題でしたか?
山内 僕はポンポンと次から次へとイメージが出てきたとしても、出しちゃいけないんじゃないかっていうか。安易な回答を許してくれないんじゃないか? 僕の中の正剛像が「僕はそんなんじゃないよ」とツッコミを入れるんです。それは奥では同じことを言っていないか?とか、派生して何か言えないのか?とか、そういうツッコミを感じながら考えました。
網口 僕の場合、アタマからたくさんの松岡正剛を素で出したら、山内さんと加藤さんを置いてきぼりにしてしまうほど、宇宙のかなたにいってしまいそうで(笑)、今回は著書を下敷きにしました。『危ない言葉』『切ない言葉』から松岡校長の言葉を読んで、ちょっとだけ自分のイメージをスパイスに加えました。基本は松岡さんの言葉を借りた3人で話したいイメージです。
松岡正剛著 『危ない言葉―セイゴオ語録〈1〉』、『切ない言葉―セイゴオ語録〈2〉』
加藤 そうですね、ポンポン出すようなものではないことは分かっていたし、校長のツッコミみたいなものも僕も感じつつやりました。どちらかというと、まっさきに「虫である」が思いついたんです。ただ、そんなに今、自分が友達みたいに知と交われているのか? 校長がおっしゃる方法と本当に交われているのか、それとも自分は調子に乗っているだけなのかが分からなくて(笑)、今は虫って言えないよと思いました。
網口さんから、校長とはグー・チョキ・パーであるとの話もありましたが、僕は組織的なところにイメージを落としこみたかった。たとえば、「一は多である」というように言いたかったんです。校長は「1」ですが、ひとりは群れでもあるというか。校長は群れである。そんな風に言いたかったのですが、まとまりづらかったですね。
マツコ そういう側面も校長にありますねぇ。せっかくなので、それぞれ自分で作った校長を表す30個のフレーズからおススメをひとつ選んで、みんなでイメージを語りあってみましょうか。
網口 僕は、「松岡正剛校長は好みに面と向かって総力をあげる切実である。」で。
これは松岡校長が書かれていた言葉そのものなんですが、まだ分かったようでわかりきっていないので、皆さんと話してみたいフレーズです。
加藤 僕は「松岡正剛校長は東欧の不良たちが眠る夜行列車である。」にします。
マツコ あー、これも聞いてみたかったひとつです。
山内 僕は「松岡正剛校長とは、深夜3時の菫色反応(キンショクハンノウ)である。」で。
網口 聞いてみたかったヤツですね。
マツコ では、網口さんのイメージについて、まずいってみましょう。
網口 僕らは21世紀の資本主義社会で生きていかないといけないですが、“ほんと”も“つもり”も、僕は好きじゃないんです。でも、生きていかないといけない。とすると、これは自分なりの世界をつくらないとおもしろくならないという切実な気持ちがあります。この根源にあるのは「好み」。特にそれは幼心で自分がやっていたことだと思うんですが、校長が好みを大事にしているところがいいんですよね。
山内 「好み」と聞くと、「数寄」を思います。数寄については、千夜千冊『予想通りに不合理』(1343夜、2010年1月25日)にも、校長が“まさにぼくの人生は「編集数寄」である”という風に書かれています。例外者になるというか、グローバル化が進み、誰しもが同じような画一的な好みになっていく中で、自分の好みをどう形成し、そのなかで社会的な関わりを保っていけばいいのか?ということを感じています。
網口 師範会議で、松岡校長が、みんなに数寄の話をしてほしいといわれるが、この「数寄」をとらえるのが難しいとおっしゃっていました。なので、松岡正剛校長の多少の残念な気持ちを引きとって、数寄や好みを皆さんと語りたいし、自身も「好み」を大事にしたいと思っています。
山内 数寄というのは、個人的には面影とうつろいに関係があると思っていて。すいていくのは、『日本という方法 おもかげの国・うつろいの国』にあるように、余白を持つ山水思想のことで、引き算されていったそこには東洋的な無やニヒルではなく、日本的に移ろっていく何かが残っていく。つまり、そこに面影が出る。そんな感じで、数寄は、方法日本とつながっていると勝手な仮説をたてています。
上杉 「数寄」についてはツッカム正剛40夜を見るのもいいですよ。松岡校長が数寄屋造りの建築家である三浦史朗と対談をしています。
加藤 僕も仮説を広げたがりですから(笑)、[破]を突破できていたら何でも言っちゃうんですけど……
マツコ 気にしないで広げていただいていいんですけれど(笑)
上杉 そうですよ、このメンバーなので溜まっていたものも話していただいていいですし。むしろ遊刊エディストは、それこそ数寄を切実に表現することがないと成り立たないメディアでもありますしね。
加藤 いいんですか? じゃあ…、自分は切実という言葉と、近しい人の死が重なるイメージがあります。好みに面と向かって総力を挙げる、切実であるというのは、校長らしいと思います。数寄というものが、思考や存在と呼ぶべきものの最小単位のようなものかと思うんです。
実は、思考は型だけで実際に動くのかなと考えていたんですよ。38の型や千夜千冊エディションの『編集力』でも“編集力A○○”などと書かれていたりしますが、それを実践しようと思った時に、型と実践のあいだにあるものってなんだろうと。例えば、「アブダクション」とか「アフォーダンス」を読んで自分でもやろうと思ったら、「数寄」というものの最小単位によって、型のあいだを埋めているような気がするんです。数寄が型のあいだで動いているような感じでしょうか。
網口 このフレーズからは松岡校長の編集学校への想いを感じます。仕事は目的があって、好きでなくても達成しないといけない。一方、遊びは、遊ぶこと自体が目的になっていてプロセスを遊ぶということだと思います。だから校長は、編集学校が目的を達成することに方法を使ってほしくなくて、編集学校は世の中に迎合せずに、遊びで方法を使ってほしい気持ちがあるんじゃないかな、と仮説しています。
マツコ みんな仮説だらけですね。でも仮説を通じて校長に触れているんですね。では次は山内さんが選んだイメージを。
山内 菫色反応というのは、『タルホ=セイゴオ・マニュアル』に出てくるものです。分光器に光を通した時に、『理科の教科書』にもありましたが、赤橙緑青藍紫というように、紫色に向かっていくんです。稲垣足穂がそれを見て、自分の端っこに向かって光が進んでいく、それがええじゃないかと言った、というエピソードが出てきます。
それと、自己の破綻に向かって進んでいくという解釈があって、(とんでも仮説かもしれないですが)ハイデガーの存在学につながるところがあると思っています。近さの中に入っていくことは、ぼやけた自己の淵に向かって進んでいく感覚があるんじゃないかと。
マツコ イメージがあふれますねw
山内 それから、菫色はすみれ色、紫ですが、たばこのことは紫煙ともいいますし、安寧にではなく常に自分にないところに向かっていき、HereからThere、既知から未知に進んでいく校長のイメージをフレーズにしました。
それと、『情熱大陸』(MBS/TBSテレビ、1998年〜)を見たことがあるんですが、松岡正剛とは何かと聞かれて、常に既知が3,4割。未知が6,7割で構成されたものだと。これが、先ほどの網口さんのお話で、得意なことを手渡していく、既知を手放して未知に向かうことに通じると思いました。
網口 松岡校長の方法って、しゃべっていると楽しくなってきますね。やっぱり元気が一番だな(笑)
山内 もうひとついいですか? 最近『棟梁』という千夜千冊(1561夜、2014年10月30日)を読みました。その中に、“ここらでいいか”という感覚は甘くて、一歩進んで新たな方法をみつけないと。新しい方法があるかどうかで物事をやるかどうかを決めると書かれていました。留まるところを知らないでいてほしい。常にたばこをふかしてほしいということも、込めた思いです。
マツコ たくさんの千夜千冊や著作から松岡校長を仮説している山内さんが、ナマの校長に会う瞬間がまた楽しみですね。では、最後は加藤さんの描いたイメージですね。
加藤 ひとつみなさんで音楽を聴きたいんです、これです。「松岡正剛校長は東欧の不良たちが眠る夜行列車である」は、この音楽を聴きながら連想したイメージです。
マツコ ふーん、かっこいい曲ですね。
加藤 僕のイメージの中で東欧って、派手な色があまりない、ばらつきがある感じ。ばらばらかげんのものを携えて高速で走り去っていくみたいなことがいいと思うし、松岡校長っぽいなと思うんです。
手元で遊べるような何もないような小さなものから、街全体や今までの歴史などの大きなものまで、すべての遊びを含めて高速で容赦なく駆け抜けていく校長のイメージが、この曲に似ていると思いました。一人遊びだとしても、自分の中に複数人いることを想定して校長は一人遊びするというか、校長はひとりでやっていると到底思えなくて、むしろはっきり組織的だなと思います。
上杉 加藤さんの話を聞いていて、校長が話していたことを思い出しました。それは、松岡校長は書くときに「スピード」を大事にしているということです。ひとつは、複数走らせること。仕事は5倍する、忙しいほど5倍にするとおっしゃいますが、例えばある千夜を書いていてスピードが落ちてきたら別の千夜の原稿に乗り換える。さらに、自分だけでなく他の人の勢いを借りる。他にも、松岡校長は一つの千夜でも最低5回は赤入れをするんですよね。これもスピードをあげるひとつのコツのようです。1回手放して、日を改めることで、前日とは違うスピードで編集を入れられる、というわけですね。
網口 上杉さんの話に重ねると、校長は遊の時代から、自分の得意なものは別の人に託すとおっしゃっていました。数理哲学が校長の得意なら、それは近くの十川治江さんに託して、自分は苦手なものをやっていくということがエンジンだと。
上杉 それらのエピソードが夜行列車のイメージに通じるなと思いましたし、今でも松岡校長は深夜に執筆をなさっていますし、山内君もつかまえた“夜”な感じがあるし、不良感もあるし。加藤さんがつくられたイメージがピタッと来ました。
マツコ では、最後に、20代〜30代の若きメンズがどんなふうに校長を見ているのか? 3人がつくった「たくさんの校長」のなかから、ご自身が選ぶBest5をご紹介します。
◆網口渓太 作「たくさんの松岡正剛」5選
松岡正剛校長は矛盾や葛藤を抱えていた不得意領域への挑戦者である。
松岡正剛校長は脳内にバロックホールを持つ修道院図書館である。
松岡正剛校長は「が、そこが、いい」が言える目利きである。
松岡正剛校長は好みに面と向かって総力をあげる切実である。
松岡正剛校長はよく遊び、よく学び、よく編集するイシス編集学校の校長である。
◆加藤陽康 作「たくさんの松岡正剛」5選
松岡正剛校長はヒップな噂話である。
松岡正剛校長は東欧の不良たちが眠る夜行列車である。
松岡正剛校長は言語道断である。
松岡正剛校長は深ける者である。
松岡正剛校長は近所の不思議なおじいちゃんである。
◆山内貴暉 作「たくさんの松岡正剛」5選
松岡正剛校長とは、お月様がポケットの中に入れた月である。
松岡正剛校長とは、深夜3時の菫色反応である。
松岡正剛校長とは、体系を逸脱した戦闘的断片である。
松岡正剛校長とは、際疾い賊に際立つ侠である。
松岡正剛校長とは、永遠の工事中である。
マツコ 「数寄に切実、深夜3時に紫の煙をまとい、東欧を走り抜ける夜行列車な不良たち」。 えっと、そんな校長、どんなや?!(笑) 3人の仮説もイメージも無限に広がって、「チームYADOKARI」の結束も深まるトークでしたなぁ。 あ、ちなみに、みなさんは「チームYADOKARI」のメンバーだということなんですよね? YADOKARIって、なんですか?
松岡談義はつづく……
次回は本連載の最終回。
松岡オシ若手3人衆「チームYADOKARI」が松岡正剛を理解するためにいそしむ推し活、そしてズバリどこが数寄?に迫る。
(3)松岡正剛校長のイメージ:「たくさんの校長」とは?(現在の記事)
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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