今でもそのケはありますが、私は子どもの頃から同時代のマンガよりちょっと古いマンガが好きでした。周りの子どもたちが、「ジャンプ」や「チャンピオン」を読んでいる頃、私は、サンデーコミックスの『鉄人28号』(秋田書店)なんかを愛読していました。
ところで、このサンデーコミックス版『鉄人28号』、なんだかヘンな編集で、第一巻がいきなり「人造人間の巻」で始まるんですね。鉄人がどうやって誕生したのか分からないのです。子どもの頃、これはすごく欲求不満でした。100てんランドのポケットブック『鉄人28号大全科』(双葉社)の中に小さく載っている、初期の「鉄人」のカットを眺めては「どうやったら、これを読めるんだろう」と胸を焦がしたものです(当時すでに初期作を含む大都社版があったのですが、知りませんでした)。
(横山光輝『鉄人28号』①秋田書店)
サンデーコミックス版第一巻
表紙に鉄人すら登場しない
サンデーコミックス版第一巻では、冒頭、正太郎少年の住む家に謎の怪物が現れ、あわてた正太郎くんが鉄人を召還して戦わせるところから始まります。
日本家屋の天井高は、せいぜい2メートルちょっとぐらいですから、この怪物は、どう考えても3メートルありません。そんな怪物と鉄人は、ほぼ同じ身長でバトルし合っています。いったい鉄人の身長は何メートルなんだ(笑)
現在のロボットアニメなどでは、こんなアバウトな描き方はされません。身長はもちろん、細かいパーツの仕様にいたるまで厳密に設定されるのが普通です。しかし、かつてのロボットアニメは、そういったところは、ずいぶんユルくて、それがかえって奇妙な味わいになっていました。メカの寸法比が伸縮自在で現実には合体不可能なゲッターロボ(原作・永井豪)など、子供心にかえってゾクゾクしたものです。
鉄人の身長がめちゃくちゃなのも、けっこう楽しくて、巨大な時の鉄人と、「人造人間」と戦っている時の小さな鉄人の絵を横に並べてみては、ニヤニヤしていたものです。こういった、どこかいびつで、リアリティラインの不安定な絵というのは、えもいわれぬ快感があって、いつまで眺めていても飽きませんでしたね。横山光輝の描く絵には、モダニスト手塚にはない、土俗的ななまめかしさのようなものがありました。
さて、今回は、そんな『鉄人28号』から模写をしてみましょう。
横山光輝「鉄人28号」模写
(出典:横山光輝『鉄人28号』②秋田書店)
やっぱり横山光輝は、とても、かっちりした【保守的なコマ割り】ですね。作品が古いということもありますが、この傾向は、のちになっても変わりませんでした。絵にも、あまり冒険がないですね。狂いのない【丁寧なタッチ】で、非常に堅実にきっちりと描いています。人物も背景も、定型化されたコードに基づく【記号性】を巧みに組み合わせている印象です。
しかし、藤子不二雄両先生の時にも思いましたが、シンプルな絵柄って意外に難しいんですね。一応、鉄人に見えるとは思うのですが、横山先生の鉄人とは、やっぱり違います。微妙な【バランス】の違いが、印象を大きく変えてしまうのでしょう。
それにしても、描いてみてあらためて思うのは、鉄人の造形のみごとさですね。尖った鼻に、ひさしの下から覗くつぶらな瞳、口を覆うマスクにいたるまで完璧です。全体のシルエットも美しい。両脇から覗くロケット推進機のバンドの形もナイスですね。
おそらく横山光輝は、現在のメカニックデザイナーのように、練りに練ったうえで「これぞ!」というものを出した訳ではないでしょう。その場でパッと描いたものが、【連載が続いていくうちに整っていった】ようです。まさに「巧まざる美」といった感じがしますね。
そして、『鉄人』を語るにあたり、もう一つ忘れてならないのが、金田正太郎くんという、何を考えているのかわからない謎の少年です。
小さな男の子に対する嗜癖のことを「ショタコン」と言いますが、語源は『鉄人』の正太郎くんから来ている、というのが定説です。横山光輝の描く男子には、手塚や石森にはない妙な色気があるのですね。前二者は、あきらかにキャラクターの色気に自覚的なところがありますが、横山先生は天然というか、全く狙っていない感じがいいのですね。腐女子たちは絶対そっちの方を好みます。
横山キャラの色気に早くから気がついていたのは、その方面のパイオニアでもある中島梓先生でした。中島先生は『美少年学入門』(筑摩書店)や『マンガ青春記』(集英社)などの諸著作で、繰り返し、伊賀の影丸の、巧まざる色気に言及しています。
(横山光輝『伊賀の影丸』⑧秋田書店)
一方、女性キャラへの思い入れのなさも徹底しています。初期の少女マンガなどを除くと、ほんとに女性は、いるのかいないのかわからないぐらい存在感がない。ミソジニーとかホモソーシャルとかいったものではなく、単に興味がない感じです。横山先生の幅広い作品歴の中には、青年向けのお色気マンガなんてのも、あることはあるのですが、ヒドイ代物です。意味も分からず、見よう見まねでやってる感がハンパない。
とにかく横山マンガには、少年マンガにつきものの過剰さといったものがなく、非常に【淡白】で【フラット】と言うことができます。
■横山光輝の意外な革新性
ところで、手塚治虫や石森章太郎など、様々な実験的手法を駆使して、マンガ表現の幅を広げたイノベーターたちに比べると、横山光輝は、どちらかと言うと表現も紋切り型で、十年一日のごとく同じことばっかりやっていた保守的な作家のように見られがちです。
しかし実は、横山光輝ほど新しいことを次々にやった人はいないのです。
「伊賀の影丸」で忍者マンガの先鞭をつけ、「魔法使いサリー」で魔法少女物<1>、「鉄人28号」で巨大ロボット物などを創始するなど、偉大なジャンル開拓者としての一面も忘れてはなりません。日本アニメの最極北である「エヴァ」や「まどマギ」の淵源が、手塚ではなく横山光輝にあることは見逃せないところです。
少女マンガ家としての横山光輝の実力も相当なもので、プレ水野英子時代を代表する人気作家として何本ものヒット作を出しています。「おてんば天使」は「りぼん」の売り上げを倍増させたとも言われています。
その他にも「バビル2世」で古代技術とSF的なガジェットを巧みに結びつけてみせたり、「三国志」をはじめとする歴史物でも大きな仕事を残しました。
(左:『バビル2世』⑧秋田書店/右:『魔法使いサリー』講談社)
三国志ものは、今では一大ジャンルと言っていいほど隆盛を見ていますが、横山がこれに着手した時には、そうとうな冒険でした。横山の中国ものは1967年連載開始の「水滸伝」に始まりますが、掲載誌<2>がマイナーだったこともあり、最初はさほど話題にもならなかったようです。
それでも、これで手ごたえをつかんだ横山は、いよいよ71年より「三国志」の連載を開始。日本人にはなじみの薄い中国の歴史を背景にした複雑な群像劇を、少年誌向けにアレンジするのは、そうとうな力量がなければできることではありません。それを横山は熟練の技で描いて見せました。マンガで壮大な歴史ロマンを描けることを証明した功績は計り知れないものがあります。横山の切り拓いたこのジャンルに、後続の作家が大挙して押し寄せてくることになるのです。
(横山光輝『三国志』①潮出版社)
■トーナメントバトルという大発明
「伊賀の影丸」についても一言しておきましょう。従来の「忍術使い」のマンガから、全く新しい「忍者」マンガを創出したのは白土三平ですが、白土メソッドにさらに磨きをかけて忍者マンガの一大ブームを巻き起こしたのが横山光輝です。
1959年の「少年サンデー」「少年マガジン」同時創刊によって、時代は週刊マンガに舵を切り始めていた頃でした。1961年から「少年サンデー」で連載が始まった「伊賀の影丸」は、少年週刊誌の歴史における最初の大ヒットマンガとなります。それと同時に、この作品は、週刊連載の特性をフルに生かした作劇法を創出することによって、以後の少年マンガに決定的な影響を与えることになるのです。すなわち、敵陣営と味方陣営に分かれて、個性的なキャラが入り乱れて戦う「トーナメントバトル」方式の採用です。
これも正確には、山田風太郎の小説の方が少し早かったのですが、横山は、それを巧みにマンガの中に導入していきました。これが日本の連載マンガのフォーマットに、あまりにもぴったりフィットしてしまったのです。
新しいことに敏感な手塚治虫も「伊賀の影丸」の大ヒットにただちに反応しています。この方式を「鉄腕アトム」に取り入れ、シリーズ最大のヒットとなる「地上最大のロボットの巻」を生み出したのです(これが、のちの浦沢直樹「PLUTO」につながっていきます)。横山の案出した、この鉄壁の方程式は、のちに「少年ジャンプ」の中で大進化を遂げ、最強のフォーマットとなっていきました。
こうして見ると横山光輝という人は、どこまでが天然で、どこまでが計算していたのかわかりませんが、もの凄いイノベーターだったことが分かります。それを、なんてことないように描いているのが、また凄いのです。
◆◇◆横山光輝のhoriスコア◆◇◆
【保守的なコマ割り】43hori
画角も安定していて、クローズアップなども、あまり使わず、人物はロングないしはバストショットで統一されています。
【丁寧なタッチ】65hori
ひと目でわかるように、手塚直系のタッチですが、手塚に比べると遊びが少ないですね。
【記号性】58hori
横山光輝がよく使う定型的表現に、夜を表現するときの大きな月があります。ときには空をベタで塗りつぶさず、記号的な月をポンと置くだけで表現してしまうこともあるのですが、それでもちゃんとわかるのですね。「マンガ=記号」論をぶったのは手塚治虫ですが、そのことを体感レベルで承知していたのはむしろ横山光輝の方だったのかもしれません。
【バランス】88hori
感門之盟で田中圭一先生が仰っていた「目鼻口の三点のバランスが肝」というのは非常に納得するところです。
【連載が続いていくうちに整っていった】67hori
胴体部分の光沢を二本の黒塗ラインで表現しているのも良いセンスですが、これも最初からあったわけではなく、徐々に出来上がっていったのです。
【淡白】76hori
だいたい三国志ものなんて、男臭く、暑苦しいものになりがちなんですが、横山三国志ほど、淡々と話が進んでいく作品も珍しい。
【フラット】59hori
極限まで表現を切り詰めたところからくる逆説的な色気、といったところに、横山マンガの秘密が隠されているようです。
<1>「魔法使いサリー」
アニメ化された魔法少女物の第一号ですが、マンガに描かれる魔法少女物は古くからありました。ちなみに赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」は「魔法使いサリー」の後番組ですが、原作は「アッコちゃん」の方が先です。
<2>「三国志」の掲載誌
「希望の友」という創価学会系の少年誌です。マイナーながらマンガ史的には、なかなかあなどれない雑誌で、手塚治虫の「ブッダ」なども連載されていました。のちに「コミックトム」と誌名を変え、みなもと太郎「風雲児たち」、安彦良和「虹色のトロツキー」などを生み出します。
アイキャッチ画像:横山光輝『鉄人28号』⑩秋田書店
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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