いつの間にか連載も後半戦に突入しております。
そろそろアノ人が出てきてもいいんじゃないか、コノ人がまだ取り上げられていないのはおかしい、と思われる方もおられるでしょう。
レジェンドの中でも、特に横綱クラスと思われる人の中で、まだ取り上げられていない人がおりました。
思えば金代将から「そろそろ取り上げられるかな?」と言われてから、はや9ヶ月。ついに水木しげるの登場です。
水木しげるといえば、なんと言っても妖怪マンガの第一人者、というのが衆目の一致するところでしょう。しかし妖怪もののみで水木しげるを捉えるのはあまりにも一面的過ぎます。貸本劇画時代から始まる膨大な作品群を眺め渡してみると、とても妖怪マンガ家とひとくくりにできる人ではないことがわかります。
水木自身も、マガジン以降の鬼太郎ものは、子供向きとして割り切って描いていた、というような発言をしています。また、妖怪画にも定評がありますが、これは多分にアシスタントの手の入った工房作品なので、水木本来の絵の味わいを知るには貸本時代の作品<1>に当たった方がいいでしょう。
というわけで今回は、2010年に小学館クリエイティブから刊行された『貸本版 河童の三平』から、水木しげるらしいタッチが窺えるページを選んで模写してみました。
水木しげる「河童の三平」模写
(出典:水木しげる『貸本版河童の三平』⑥小学館クリエイティブ)
模写してみて、あらためて思いましたが、一本一本のラインが気持ちいいぐらい正確ですね。かなりの速さで描いていると思われますが、迷いがありません。
死神の顔のところに、わずかに点描が施されています。【点描】といえば、水木のトレードマークのようなものですが、貸本時代は、実は、さほど多くありません。むしろ、ざっくりした斜線のみで、みごとな陰影をつける手際に、センスの良さを感じさせたものです。一コマ目、左方に見える大木にべったりと塗られたベタも特徴的ですね。筆でざっくり塗った後にGペンで整えていますが、【筆遣い】が信じられないぐらい上手い(さすがに、その上手さまでは模写で再現できてません)。こういった独特のタッチが、【後進に与えた影響】については、つげ義春①の回でも述べたとおりです。
■水木しげる何を読む?
水木しげるの本領は必ずしも妖怪ものではないと書きました。では、水木マンガの本当の凄味が垣間見えるのは何か、というと、まずは短編の数々です。貸本末期に東考社の貸本誌や青林堂の「忍法秘話」あるいはのちの「ガロ」や青年誌などに散発的に発表された短篇の中には優れたものがたくさんあります。そして、『星をつかみそこねる男』『劇画ヒットラー』(筑摩書房)などの伝記もの、『総員玉砕せよ!』(講談社)などの戦記ものもハズせません。
最近は、水木しげるの貸本期の作品も比較的容易に読めるようになりました。ほんの少し前までは、『妖奇伝』の復刻本(青林堂)ぐらいしかなかったと思うのですが、その後、どんどん刊行されるようになり、ついには、全113巻に及ぶ『水木しげる漫画大全集』(講談社)までが刊行されるに至りました。
こうなると、かえって何を読めばいいのか、わからなくなってしまいますが、かつて中央公論社の愛蔵版で出ていた二冊の作品集『異界への旅』『風刺の愉しみ』などはコンパクトにまとまっていてよかったと思います。今でも古書価はたいして高くないので<2>買っておいて損はないでしょう。
とりわけ風刺作品ばかり集めた『風刺の愉しみ』は、水木先生の飄逸な人生哲学が味わえていいですね。
(水木しげる『異界への旅』『風刺の愉しみ』中央公論社)
さらに戦記マンガも忘れてはなりません。
戦争を描いたマンガは星の数ほどあれど、水木マンガにかなうものはないでしょう。なにしろ太平洋戦争末期に、実際に南方の最前線で、シャレにならないほどの地獄の体験をしてきた人ですから、リアリティのケタが違います。
水木しげるの戦記マンガには、特攻精神に憑りつかれた血気盛んな青年将校もいれば、芋一個をめぐって、あさましい争いをする人間も出てきます。作中に描かれる様々なエピソードの中には信じられないような話もたくさんありますが、実体験に基づくものが多いようです。
水木しげるが出征したのは、南太平洋のニューブリテン島という、太平洋戦史上でも特に酸鼻を極めた激戦地です。ラバウルからズンゲン、バイエンという最前線に派遣された水木の部隊は、ほぼ総員玉砕という惨状でした。
そんな極限状態にあっても、水木は、隙を見ては現地人と接触しては親しくなり、復員後も終生変わらぬ交友を持つことになります。上官から「びびびびん」とビンタを喰らうのもものともせず、現地人と仲良くなってしまうなんて、いかにも水木先生らしいエピソードですね。
■明るいニヒリスト
さて、左片腕を失った傷痍軍人として復員した水木しげるは、魚屋、リンタク、アパート経営、紙芝居作家などを転々とした末に、貸本マンガ家となります。戦後の極貧生活も悲惨の極みでしたが、『ねぼけ人生』(筑摩書房)などの自伝ものを読むと、すべては飄逸な味わいになってしまうのですから不思議なものです。
どんな境遇にあっても、水木先生のノンキで愉快な性格は変わりません。水木しげるに近しく接した誰もが、彼の人柄にぞっこん惚れ込んでしまうのも、うなずけるところです。しかし、水木マンガを読むと、そうした彼の飄々とした人柄の裏には、実は冷徹な知性がひらめいていることがわかります<3>。
ときに「明るいニヒリスト」と呼ばれることもある水木先生ですが、彼のニヒリズムは底が深い。なにしろ「偶然の神秘」という作品には、こんなセリフが出てきます。
「名まえなんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」
そりゃ、まあイエスだって、せいぜい二千年前の人ですから、あと八千年、名前が残り続けるかどうかは保証の限りではありませんが…。
それにしても我々凡人は、常日頃から承認欲求まみれで、なにかというとフォロワー数とか、いいねの数とか、アホらしいことを気にしていますが(かくいう私も「マンガのスコア」がアップされるたびに、右側の「記事ランキング」が気になって、イマイチ伸びなかったりすると、ちょっとヘコみます)この二千年来、何十億だか何百億だかのフォロワーを獲得してきたイエスですら、一万年もすれば消えるのかも…と思うと、なんだかちょっとホッとします(底なしの虚無感にも襲われますが)。
妖怪マンガ家として、功成り名遂げた水木先生ですが、ご本人はそのことに対して、さほどの価値は見いだしていないらしい。「猫」という作品にも「どうして働くの。」「名声だって、死後ほんのチョッと皆にオモチャにされるだけよ。」といったセリフが出てきます。それよりも、戦争中に出会ったニューギニアの人たちの、気ままでのんびりした生活に、終生あこがれ続けていたようなのです。
■ 目利きに愛される人
こうした多彩な作品を縦横無尽に描いてきた水木しげるですが、最初から売れっ子だったわけではありません。朝ドラ「ゲゲゲの女房」(実は私は見ていませんが)をご覧の方は(たぶん)ご存じのとおり、水木しげるには、そうとう長い雌伏期間があり、赤貧洗うがごとき生活をしていました。
貸本時代の水木しげるは、ほんとに売れなかったといいます。暗くて垢抜けない絵柄と、パンチに欠けるストーリーは読者にウケなかったのでしょう。
そんな中でも三洋社の長井勝一(のち青林堂を立ち上げ、「ガロ」を創刊)や、東考社の桜井昌一(辰巳ヨシヒロの実兄で、水木マンガのメガネ出っ歯キャラのモデル)といった目利きの編集者が、水木しげるに心底惚れ込み、採算度外視で誌面を提供し続けたのです。おかげで貸本末期の珠玉の傑作群が生み出されることになりました。
中央の少年誌に進出してからの水木しげるも前途多難でした。1965年から「少年マガジン」で『墓場の鬼太郎』(講談社)の連載が始まるも、三年近くの間、人気投票は万年最下位。それでも水木に惚れ込んだ内田勝(「マガジン」黄金時代を築き上げた伝説の編集長)が、内外の抵抗を抑えて編集長権限で連載を続行したと言います。こういった少数の目利きたちが、ずっと水木しげるを支え続けてきたのですね。
■「格闘」しないですむ方法
さて、長年人気が振るわなかった『墓場の鬼太郎』も、アニメ化や、『ゲゲゲの鬼太郎』へのタイトル変更といったテコ入れ策が功を奏し、いつしか大人気作品に成長していきました。
少年誌の看板作家となって以降の水木しげるは、どこか割り切って描いているところがありました。とにかく子どもはバトルものが大好き。水木先生は、本来、バトルなんて全然好きじゃないのですが、『鬼太郎』も、読者の要請に応えるように妖怪退治ものへと変貌していきます。
『日本まんが 第壱巻』(東京大学出版部)の荒俣宏によるインタビューの中でも、水木先生は「やっぱり『鬼太郎』みたいに悪者と対決して、格闘する方が、子どもたちには受けるんです。」と言っています。
荒俣 格闘しないとダメ?
水木 ダメ。だから、だいたい出版社のおやじも、格闘、格闘というんです。
その後、四ページぐらいの間に、水木先生は「格闘」という言葉を20回ぐらい連発しています。よほど辟易していたのでしょう。
水木先生に言われるまでもなく、たしかに少年誌をひもとくと、どの作品を見てもバトル!バトル!バトル!の連続で、みんな、ほんとにケンカが好きなんだなあと感心します(少年マンガにおけるバトルものの文法がどのように確立されたかについては、横山光輝や本宮ひろ志の回をご参照ください)。
なにも少年マンガに限った話ではありません。世の人はスポーツ観戦なるものも、よくたしなまれると聞きますが、とにかくなんの必要もないのに、人と人を戦わせては、それを見てみたい、と思うようです。これってなんなんでしょうね。
しかし、あらためて言うまでもないことですが、「物語」って基本的には、なんらかの戦いが描かれているものです。戦いの要素の全くない物語なんて考えにくい。たいていの場合、複数の人間が登場して、何らかのコンフリクトが生じ、それを何らかのかたちで切り抜けていかなくてはならないのですから、広い意味での戦いは避けられません。
それはもう、我々の生きているこの世界がそうなわけです。もしも戦いのフィールドから降りたければ、それはそれで、そのための「戦略」が不可欠です。どのみちゲームから降りることはできないのです。
酒見賢一『墨攻』(新潮社)に描かれた墨子集団のように、徹底した兼愛非攻の平和主義を貫くためには、逆に徹底的な軍事知識が必要になります。その意味で、水木しげるの風刺マンガは、生きにくい僕たちのための「軍略書」なのです。
鬼太郎ものの実質的第一作にあたる「鬼太郎の誕生」(「ガロ」66年3月号)では、人間たちの迫害を受けた鬼太郎に、目玉親爺が「こんな不自由なところは出よう」と呼びかけ、「外にはオケラだとかヤモリだとか死人だとかお化けだとか、話のわかる友人がたくさんいる」「さ、行こう」と言って、二人でいずこともなく去っていくシーンで終わります。まるで妖怪退治とは真逆のスタンスなのです。
そもそも「おばけにゃ学校もしけんもなんにもない」と作詞したのは水木しげるでした。アホらしい俗世からは、さっさと降りるに限る、というのが水木哲学の基本スタンスです。
水木マンガの数々は、私たちが「格闘」しないですむための知恵の宝庫。戦い疲れた時には、是非とも、水木マンガを紐解き、心身ともに禊をしてみることをオススメいたします。
とにかく水木マンガの語り口は独特ですね。描きたいことだけ描いてしまうと、ろくにオチもつけずに、さっさと終わってしまうこともよくあります。それがまた、水木サンらしくていいんですが。
(――と、突然終わってみる)
◆◇◆水木しげるのhoriスコア◆◇◆
【点描】71hori
後年になると、これでもかというぐらい多用するようになり、また粒も細かくなります。まあ大半はアシスタントがやっていたのでしょうが。
【筆遣い】79hori
もともと水木しげるは紙芝居作家でした。紙芝居は基本的に筆で描きます。たしかに水木に限らず、白土三平、小島剛夕など、紙芝居出身の作家は筆遣いが達者ですね。
【後進に与えた影響】65hori
細密画のようなリアルな背景の上に、デフォルメのきいたマンガ的な人物を配する手法も、のちにかなり浸透しました。
<1>「墓場鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」などは是非、貸本版を手に取ってほしいものです。それぞれ同タイトルの雑誌連載版があるので紛らわしいのですが、いすれも貸本版の方に軍配が上がります。
<2>講談社のKCデラックスだとか、中央公論社の愛蔵版シリーズとか、80年代には、一昔前のマンガをリバイバルで出すことが、よくされていましたが、これらのものは、古書市場では価値が低いらしく、わりと安価で入手できることが多いようです。
<3>水木しげるといえば、稀代の読書家として知られていますが、それはまだ、仕事もなく貧乏だった貸本作家時代からのことでした。明日の食うものにも事欠く極貧生活の中でも豪快に本を買いまくる水木先生に、ゲゲゲの女房・武良布枝さんの苦労はいかばかりだったか。
と同時に水木先生は、無類の整理魔でもありました。膨大な量のスクラップブックを保管していたと言います。とにかくどんな高価な本でも必要とあらば、ためらいなく切り抜く。その方が使うのに便利だからです。本をノートのように使うのがセイゴオ流とすれば、水木先生は、本を切抜きの素材と割り切っているようです。どちらも実用性重視ということで一貫しています。
水木しげるの妖怪マンガは、長年の間に蓄積された彼の民俗学・民族学に関する膨大な資料と知識に裏打ちされているのです。
アイキャッチ画像:水木しげる『貸本版 鬼太郎夜話 完全復刻版BOX』小学館
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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