お待ちかね、岡崎京子の登場です。
長い休筆状態にある岡崎先生ですが、いまだに根強い人気がありますね。今回は、その岡崎京子の中期の傑作『ハッピィ・ハウス』(主婦と生活社)から模写してみました。
岡崎京子「ハッピィ・ハウス」模写
(出典:岡崎京子『ハッピィ・ハウス 下』主婦と生活社)
ものすごく乱雑にざっくり描いているように見えて、輪郭は的確で、めっちゃ上手いです。岡崎京子の、この一見無造作に見えるタッチ、わざとなのかうっかりなのかわからない微妙さで、線がはみ出ていたり、【トーン】がずれていたりする、この感じが、ものすごくかっこよくて、後続の作家に与えた影響は絶大なものがあります。あえて言えば【手抜き】なのでしょうが、「芸のある手抜きは許される」ことを証明したのが岡崎京子でした。
岡崎京子の画風は、あまりにも多くの人に模倣され、消費されてしまったために、今見ると、逆にちょっとステロタイプな絵に見えてしまうのが残念なところです。なにしろ、ちょっと絵心のある人が、さらさらっとイラスト風のラクガキをするときに、オカザキ風のタッチって便利なんですよね。
コマの配置なども、とてもオシャレなんだけど、一面では手堅いところもあります。【タチキリ】や、枠のないコマなどを多用していますが、ムチャクチャな使い方はしていない。時期によって【多少の変遷】はありますが、使い方に【バランス感覚】があります。構図の切り取り方も上手くて、口だけとか、手だけとか、腰から下だけ、というようなカットが多いのですが、わざとらしい感じはしません。このページでも、真ん中のコマで、大きなテーブルを囲んで首から上が切れた形で人物が配されていますが、それによって、ちょっとした緊張感が漂ってきます(ちなみに離婚の話が始まるシーンです)。最下段右コマの左の人物は顔だけが切れており、最後のコマのヒロインは、クローズアップで顎から下が切れています。 しかし、こうした処理の全てが、とてもナチュラルでさらっとしているんですね。
作品によっては、非常にトンガった内容や重たいテーマのものもありますが、どんな作品でも、サラサラ読めてしまうのが岡崎マンガの特徴です。
■全力疾走の十余年
ご存じのとおり、岡崎京子は1996年、飲酒運転のクルマにはねられるという不幸な事故により、実質的な引退状態に追い込まれてしまいました。そのため、その多彩な作品歴から想像されるものと比べると、活動期間は思いのほか短いことに驚かされます。1963年生まれ、1983年にデビューですから、大部分が二十代で、ようやく三十代に差し掛かったところで活動が止まってしまったことになります。その短い期間のうちに、岡崎京子は劇的に変化していき、急成長を続け、いよいよ新しいフェイズに突入しようかという絶頂期に活動が止まってしまったのです。
初期の岡崎作品は、まだ若描きというか、衒いや気取りが鼻について、今読むとちょっとしんどいところもあります。それでも独特のセンスのきらめきはあって、ちょっと毛色の変わった作家として、早くから注目されていました。80年代、新傾向の若手女流マンガ家ブームに乗って、内田春菊、桜沢エリカ、原律子などとともにファッション誌や情報誌などに、たびたび取り上げられていたようです<1>。
岡崎京子が、ようやく「岡崎京子」になったのはいつ頃なのでしょう。ちょっと見極めがつきにくいですが『ジオラマボーイ パノラマガール』(マガジンハウス)ぐらいからですかね。『pink』(マガジンハウス)や『ハッピィ・ハウス』の頃には、もう完成されていますね。
私は『くちびるから散弾銃』(講談社)と『東京ガールズブラボー』(宝島社)を、発表順ではなく時系列順に読んだんですが、「わっ、急に下手になった」と思った覚えがあります。発表時期がさほど離れているわけではないので、年を追うごとに進化していったのだなということが実感されます<2>。
■さらにステージの上がった後半期
岡崎京子ビギナーに特にオススメしたいのは、やはり『pink』『ハッピィ・ハウス』などの中期作品ですね<3>。特に今回、模写に使った『ハッピィ・ハウス』は、バブル崩壊期の世相を背景に、家族関係の危うさを描いた知られざる名品で、以前取り上げた山本直樹(LEGEND06)の『ありがとう』と併せ読まれることをオススメいたします。
この『ハッピィ・ハウス』に出てくるお手伝いばあさんのシゲさんは、なかなか面白いキャラで、シゲさんをいいと感じるか、ウザイと感じるかで年齢や性格の差があらわれますね。
かつて批評家の呉智英氏が、シゲさんを持ち上げるような批評を書いたことがあって、僕らの周りでは(当時みんな20代)「呉智英は完全に読みを間違えている!」と盛り上がったものです。しかし今読み返すと、シゲさんこそが崩壊寸前の世界を支えるキーパーソンと捉えた呉先生の慧眼には脱帽するばかりです。
そして、岡崎京子の一つの転機をなしたのが『リバーズ・エッジ』(宝島社)でした。これは今でも読み継がれる岡崎の代表作の一つです。この作品を描き始めた三十代に入る頃から、岡崎京子は、また新しいフェイズに突入していきます。それまでのポップで軽やかなタッチから、急激に、陰鬱なムードが現れ始めました。そして事故直前の濃密な作品の数々。
『うたかたの日々』(宝島社)の、絶望的なまでにチャラチャラした前半の雰囲気から、後半の破滅的な状況へなだれ込んでいく展開の妙は、ボリス・ヴィアンの原作があったとはいえ、岡崎京子の技量の確かさを見せつけてくれます。そして現時点での最後の大作『ヘルタースケルター』(祥伝社)(千夜千冊1549夜)ともなると、その濃密さには息が詰まるほどです。
こんなところまで来てしまった岡崎京子に先はあったのでしょうか。ひょっとしたら、あれがピークだったのでしょうか。
いやいや、そんなふうに考えてしまうのは未熟者の浅はかさで、もしかしたら岡崎京子は、私たちの予想をはるかに越えるかたちで、さらに新しいフェイズに突入していたかもしれません。現時点での最後の長編は『ヘルタースケルター』ということになりますが、この作品は、実はまだ、ほんの序曲であり、このあと長い大河ドラマが始まる構想もあったようです。もしも、あのあと岡崎京子が作品を描き続けていたとしたら、私たちの前にどんな世界が広がっていたのか。
それは永遠の謎です。
◆◇岡崎京子のhoriスコア◆◇◆
【トーン】55 hori
このページの元の絵では、オカザキ名物「トーンずらし」がたくさん出てくるんですが、再現していません。トーン持ってないんで(昔は持ってたけど捨てちゃった)すみません。
【手抜き】18 hori
夜の東京タワーを見て「きれい」とつぶやくシーン(『東京ガールズブラボー』上p98)なんて、白地に黒い星をまばらに描いているだけで「ひょっとして手抜き?」と思いつつも、ばっちり決まってるんですよね。
【タチキリ】62 hori
右下のコマのように、紙面いっぱいいっぱいまで絵で埋めること。しっかり外側まで描かないと、端っこが見えちゃうことがあるので、がんばって描きましょう。
【多少の変遷】58 hori
『ヘルタースケルター』の頃になると、絵の密度が上がると同時に、コマ割りは比較的スクエアになって、枠のないコマなどはほとんどなくなります。
【バランス感覚】70 hori
コマ配置のバランスは人によってまちまちで、なかには全コマ全ページタチキリにしちゃう人もいたりします。ノンブルが消えちゃって不便です。
◎●ホリエの蛇足●◎●
<1>メディアに引っ張りだこ
いっけんチャラチャラしてるように見えて、意外とクレバーな側面もあって、しっかりした文章も書けるので、当時の先端的な若手文化人の一人として、よくいろいろな媒体に引っ張り出されていました。「朝日ジャーナル」に連載されていたエッセイ「オカザキジャーナル」は、けっこうインテリ層から支持されていたように記憶しています。
<2>『くちびるから散弾銃』は「Me-twin」87年8月号から90年5月号まで連載。『東京ガールズブラボー』は「月刊CUTIE」90年12月号から92年12月号まで連載。ちなみに『東京ガールズブラボー』は、『くちびるから散弾銃』の主人公たちの女子高時代を描いた前日譚。作品コンセプトの違いもあるでしょうが、物語の運び方などは格段に進歩しています。
<3>近頃、岡崎京子の代表作は『リバーズ・エッジ』『ヘルタースケルター』という評価が定着してしまっているようで、とりあえずそれだけ読んでるという人が多いようです。まあ別に悪くはないんですが、あれが岡崎京子のセンターではないんですよね。もうちょっと中期あたりの作品群にもスポットが当たってほしいところです。
アイキャッチ画像:岡崎京子『東京ガールズブラボー 上・下』宝島社
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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