■「劇画」って何?
ふと思ったのですが、今の若い人は「劇画」という言葉、御存じでしょうか。ひょっとして、もう死語なのかしら。
私の子どものころは、この言葉はかなり生きていて、「ストーリーマンガ」とほぼ同じ意味で、よく使われていました。どちらかというと活字畑の批評家などが好んで使っていましたね。「マンガ」と言うとちょっと子どもっぽいので、気取って「劇画」などと言っていました。
しかし、もともと「劇画」は、単なるシリアスなマンガ、という意味ではなく、ちょっとした歴史的出自があるのです。そして、この言葉の命名者もはっきりしています。それが今回取り上げる辰巳ヨシヒロです。
辰巳ヨシヒロ「東京うばすて山」模写
(出典:辰巳ヨシヒロ『大発見』青林工藝舎)
これは辰巳ヨシヒロ1970年の作品です<1>。
辰巳ヨシヒロは、ある意味で劇画の総本家の人であるにもかかわらず、「いかにも劇画」という絵ではないのですね。現在、比較的入手しやすい『大発見』(青林工藝舎)、『大発掘』(青林工藝舎)、『辰巳ヨシヒロ傑作選』 (KADOKAWA) などに収録されている辰巳の作品は、ほとんどが1970年前後のものですが、この頃の「典型的な劇画」の絵というのは、もっと線の多いゴチャゴチャした感じです。影やシワを過剰に描き込んだり、宮谷一彦風にカケアミを重ねて細密画のタッチを出したりすることが流行っていました。それに比べると辰巳の絵は、ずいぶんすっきりしています。どちらかというと「ガロ」系に近いでしょうか。
「ガロ」系については、つげ義春の回の時にも書きましたが、大胆なベタ使いに特色があります。斜線の使用も、今のマンガに比べると多い方ですが(今のマンガは、影などは簡単に【トーン】を使ってしまいます)、わりとすっきりと濃淡を分けてデザイン的な美しさがあります。ちょうど古代魚のように、劇画本来の古いタッチがそのまま残っているのですね。
たとえば一コマ目、二コマ目、四コマ目の背景のベタ、あるいは一番下のコマの、あちこちのベタ(人物の影、机の下、背後の内廊下)など、とても【暗い感じ】がして、いいですよね。【服のシワ】の描き方なども、かなりテキトーな感じがしますが、これはこれでちゃんと成立しているのですね。
ところでここに登場する【男性の顔】は、辰巳ヨシヒロのマンガには、よく出てくる顔で、最晩年の『劇画漂流』(青林工藝舎)の自画像にいたるまで、若い男性の顔は、たいていこれです。一方、女性の方は、辰巳先生の好みなのか、【丸顔のやさしげな女性】が多いような気がします。
■貸本劇画の時代
貸本劇画というのは、昭和30年代、日本中にたくさんあった貸本屋のために作られていたマンガ単行本で、通常の流通ルートに乗らないものでした。出版しているのも、小さな問屋に毛の生えたような零細企業ばかりで、作家の原稿料も極めて安かったと言います<2>。
手塚治虫や、そのフォロワーであるトキワ荘グループは、東京の大手出版社から刊行される少年雑誌を主な発表舞台としていました。そういった大手出版社とは別のルートで流通していたのが貸本誌です。中央の少年誌に掲載されるような明朗で啓発的な少年マンガとは対照的な、泥臭く俗悪で教育上よろしくないマンガが載っていました。殺し屋やギャングなどが活躍し、血しぶきが飛ぶようなドギツいマンガです。
今と比べるとマンガ自体の社会的地位が低かった上に、貸本マンガは底辺中の底辺でした。ここで描いていた作家の多くは、当時二十代前半の青年たちです。大手出版社の雑誌に割り込むことができず、その分、野望に燃えた若者たちでした。彼らは従来のマンガのあり方に明快な異を唱え、マンガとは別のものという矜持から、辰巳ヨシヒロ命名による「劇画」という名称のもとに結集していくことになります。
1959年、辰巳ヨシヒロやさいとう・たかをら関西の貸本マンガ家たちにより「劇画工房」が結成されます。中央の児童マンガ に対抗し、黒っぽいリアルな絵と、青年らしい情念のたぎる作品を描いていきました。
貸本劇画業界の話は大変面白く、当事者による証言としては、佐藤まさあきや、辰巳の実兄である桜井昌一、「ガロ」の長井勝一による活字本のほか、松本正彦のマンガ『劇画バカたち』(青林工藝舎)などがありますが、なんといってもオススメは辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』です<3>。
(『劇画漂流』(上・下)辰巳ヨシヒロ・青林工藝舎)
辰巳ヨシヒロは、かなりの記録魔だったらしく、『劇画漂流』は、マンガ作品としての面白さもさることながら、事実関係が、時系列的にかなり正確に描き込まれていて、資料的価値も高いものです。トキワ荘で「怪物くん」を描いたりしている『まんが道』とはえらい違いですね(笑)
■この業界の片隅で
さて、アングラカルチャーシーンの中で隆盛を見ていた貸本劇画も、60年代に入ると、「少年サンデー」「少年マガジン」などの少年週刊誌の創刊や、家庭用テレビの普及に伴って、急速にその市場を細らせていきます。その一方で、貸本劇画出身の作家たちが中央の少年誌に進出していくのが60年代半ば以降のことでした。
まず、「少年マガジン」が「W3」事件<4>などの余波から打倒手塚路線を打ち出し、劇画系を積極的に取り入れ始めます。その象徴が、貸本劇画出身の川崎のぼる画による『巨人の星』(講談社)連載開始と大ヒットでした。そして白土三平、水木しげる、さいとう・たかを、楳図かずおなどの貸本劇画系の作家が次々と中央進出し、大ヒットを飛ばし始めます。そうした中、「劇画」という呼称が、最先端の象徴として、マンガ界を席巻するようになっていくのです。
その一方で、「劇画」の本家本元とも言うべき辰巳ヨシヒロは、この流れに乗ることができませんでした。60年代半ばには貸本業界も壊滅状態になっていたので、中央の雑誌に持ち込みを始めるのですが、作風が地味すぎて、なかなか連載を取ることができなかったのです。かつての貸本劇画仲間の華々しい活躍を横目に見ながら、小さな仕事で細々と糊口をしのいでいました。そして、ちょうどつげ義春の退場と入れ替わるように、70年頃から「ガロ」にも描きはじめています。
この頃の作品には、やはりいいものが多く、ゼロ年代以降、次々と刊行された作品集では、だいたいこの辺りから取られているものが多いですね。
70年代後半に入ると、ギャンブルものや、お色気ものなどの娯楽作品を量産するようになりますが、このあたりの作品は単行本化されているものも少なく、今となっては知られざる作品群となっています。
■辰巳ヨシヒロの海外人気
(Yoshihiro Tatsumi “The Push Man and Other Stories” Drawn & Quarterly Pubns)
このように辰巳ヨシヒロは、マンガ史を紐解くと必ず名前が出てくる作家でありながら、一般的には「消えたマンガ家」となっていました。
ところが、この辰巳ヨシヒロ、なぜか海外では圧倒的な人気があるのです。それは日本マンガへの関心が高まり始めた80年代から一貫していました。90年代初頭にフランスに視察に訪れた呉智英氏は、書店やミュージアムショップなどで辰巳の絵葉書が、たくさん売られていたのを見て驚いたと言います。
2008年の『劇画漂流』の刊行によって、辰巳は、日本でも再び注目されるようになりますが、海外ではさらに早く、この作品が「まんだらけ」のカタログ雑誌に連載されていた頃から注目されていました。連載終了と同時にカナダとスペインの出版社から、ただちに刊行のオファーがあったといいます<5>。
2011年にはシンガポールの映像作家エリック・クーによるアニメ映画「TATSUMI」が作られました。現在、英語<6>、フランス語、スペイン語を中心に各国語で辰巳作品が数多く翻訳されています。海外のサブカル系、アート系の目利きたちにとって、辰巳のあのペンタッチと作風は、どうも、かなりぐっとくるものがあるようですね。晩年にはカナダの出版社からのオファーで『劇画漂流』の続編の執筆に取りかかっていたとか。
『劇画漂流』は60年安保のシーンで終わっているので、ここから先の苦労時代の話は非常に読みたかったところです。途中までは描きあがっていたという噂ですが、その原稿はどうなったのでしょうね。
辰巳ヨシヒロは、2015年、79歳で亡くなりました。晩年の辰巳先生は、海外での評価と、国内での再評価到来に間に合ったということで、それだけがちょっとした救いかなと思います。
◆◇辰巳ヨシヒロのhoriスコア◆◇◆
【トーン】63 hori
辰巳は、この時代の作家としても、トーンの使用は、かなり少ない方です。
【暗い感じ】69 hori
この時代の日本家屋(安普請のアパートと思われる)は、実際かなり暗かったのでしょう。
【服のシワ】52 hori
今どきはマンガの教則本などでもシワの向きとか、やかましく言うようになっています。
【男性の顔】71 hori
お気づきかも知れませんが、この顔は、つげ義春のマンガにも、しばしば出現します。Legend02で模写した「紅い花」の主人公もこんな顔でした。顔に限らず、総じてペンタッチが、両者は似ていますね。同じ貸本劇画系の人なので、どちらがどちらに影響を与えたのかは一概に言えませんが、あえて言えば、辰巳→つげの影響の方が大きかったのではないかと睨んでいます。
【丸顔のやさしげな女性】72 hori
この顔も、つげ義春に流れ込んでいる可能性があります。つげはオカッパ頭の女性にこだわりのある人ですが、もともと、つぶらな瞳の美少女だったのが、ある時期から、辰巳っぽい三白眼の女性を描くようになります。
◎●ホリエの蛇足●◎●
<1>掲載誌は「週刊少年マガジン」。当時の「マガジン」には時折、こういうマンガも載っていたのです。
<2>貸本マンガの原稿料
藤子不二雄A氏の回想によると「その頃、僕らは雑誌に描いてページ1000円から1500円位の稿料をもらっていたが、(貸本マンガの)単行本の方はもっと悪くて、100ページ以上の単行本を一冊描いても3、4万円というのが相場だった。同じ新人でもはじめっから雑誌専門に描いているものはいわばこの世界のエリート(?)で、単行本専門に描いている人たちはアングラ漫画家だったわけだ。」(『二人で少年漫画ばかり描いてきた』)とのことです。
<3>(刊行物案内)
辰巳ヨシヒロに興味を持たれた方には、まずは『劇画漂流』上下(青林工藝舎)をオススメします。当時の劇画勃興時の有様がかなり正確に描かれていて貴重です。もちろんマンガ作品としても優れたものです。
その上で、創作作品に興味をもたれたならば、『大発見』、『大発掘』、『TATSUMI』、『辰巳ヨシヒロ傑作選』などの作品集に進まれるのがよいでしょう。貸本劇画そのものを味わいたいならば、『黒い吹雪』の復刻版(青林工藝舎)が出ています。また『劇画漂流』にも出てくる伝説の貸本雑誌『完全復刻版 影・街』(小学館クリエイティブ)もあります。
<4>「W3」事件
手塚治虫が自身の作品『W3』のプロットを盗用されたと主張し、「マガジン」から連載を引き上げた事件。真相は闇の中ですが、これを機に講談社は、手塚をしばらく使わなくなりました。この時期、手塚治虫は、虫プロ倒産、作品の人気低迷など、どん底の時期を迎えています。そこから不死鳥のごとくよみがえる経緯については『ブラック・ジャック創作秘話』(吉本浩二・宮崎克/秋田書店)、『チェイサー』(コージィ城倉/小学館)などをお読みください。手塚の鬼気迫る執念の様が伝わってきます。
最終的に手塚と講談社との確執は、数年で終わり、『三つ目がとおる』(講談社)の「マガジン」連載と大ヒット、そして講談社による手塚治虫全集の刊行が始まります。
<5>海外での刊行
『劇画漂流』は、国内では1万部も売れていないのに、世界中で20万部近く売れているそうです。
<6>英語版
作家の片岡義男氏は、英語版の辰巳の作品集を読んでみて、なんの違和感もなく、すんなり読めたことに驚いたと言っています。辰巳の作品は、一見すると非常に日本的でドメスティックな話を描いているように見えて、実は、意外なほどの普遍性と強度を持っているのですね。
アイキャッチ画像:辰巳ヨシヒロ『限定復刻版 黒い吹雪』青林工藝舎
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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