「巨星墜つ」──この言葉が松岡さんほどピッタリくる人は、いない。単に膨大な仕事をおこなったというだけでなく、存在自体が放つ大きさの点で、ぼくの知人の中でも際立っていた。
松岡さんと最初に出会ったのは、1990年前後、ぼくの最初の著書『現代思想としての環境問題』(中公新書)を出してすぐぐらいの頃だったと思う。当時松岡さんと編集工学研究所がおこなっていた、たしか NTTとの 共同研究会のメンバーに誘われたのだった。これにはびっくりした。本を出したとはいえ、大学院を出て2-3年しか経っていない。身分も三菱化成生命科学研究所(今はなくなってしまった)のポスドクで、期限付のポジションだ。そんな「ぽっと出」の、海の物とも山の物ともつかない若造を、錚々たるメンバーに交じって研究会に参加させようというのだ。こちらは天にも上る気持ちだが、座長としては大胆としか言いようがない。
その研究会では本当に鍛えられた。とくに美学の尼ヶ崎彬さんからはコテンパンに批判され、ずいぶんへこんだが、今にして思えば異分野の人たちと渡り合う術を身につけるには最高の場所だった。その後ぼくは、さまざまな分野に顔を出し、学際的な活動をするようになったが、そのための基礎体力や技法は、松岡道場で鍛えられたことになる。ひとえにこれも、松岡さんが抜擢してくれたからに他ならない。これを慧眼というのは自分を誉めることになるので面映ゆいが、彼の大胆さと思い切りのよさには、感嘆すると同時に感謝あるのみだ。
もうひとつ、どう逆立ちしても真似できないと思ったのが、組織を作って維持するプロデューサー、オーガナイザーとしての松岡さんの才覚である。工作舎、編集工学研究所、イシス編集学校など、どこからどうやって人材と資金を集めてくるのか、ユニークで鮮度の高い活動体を作りだし、常に活発に運営してこられた。物を作って売るのであれば、具体的な製品や作品の品質が良ければ評価されやすい。だけど、編集工学という、独自性が強くてそう簡単には理解してもらえそうにないコンセプト(誉め言葉です)に賛同者を募り、スポンサーを集め、多くのスタッフを雇用し、何十年も続けてきたなんて、人間業とは思えない。
ぼくが大学院を過ごした京都大学霊長類研究所(これも今はなくなってしまった)の元祖は、今西錦司である。彼も抜群のオーガナイザーでありカリスマだった。彼ら、京大山岳部・探検部のメンバーは、効率の良いチームを作り、スポンサーを集め、目標を達成することがとてもうまい。学生の時からそういう作業をやっていて、鍛えられているからだ。国立民族学博物館を作った梅棹忠夫もそのひとりだ。
だが、松岡さんが登山隊を組織したとか、探検にのめり込んでいたとかは聞いたことがない。彼が、いつ、どこで、どのようにしてあのオーガナイザー能力を身につけたのか、ずっと気になっている。いつか直接お聞きしようと思っていたのだが、その機会もなくなってしまった。
東京大学大学院情報学環教授
理化学研究所革新知能統合研究センター チームリーダー
佐倉 統
佐倉統
科学技術社会論研究者。現在、東京大学大学院情報学環学科教授、理化学研究所革新知能統合研究センター・チームリーダー。
もともとの専門は進化生物学・霊長類学だが、進化生物学の理論を軸足に、生物学史、科学技術社会論に研究の軸足をうつし、現代社会と科学技術の関係を研究する。とくに3・11以降は放射能汚染や人工知能をめぐる科学技術と社会の関係について積極的に発言している。