発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

チョンチョン、チョーン!新たな柝が入る。
Zoom画面の幕が開き、仕立て下ろしたばかりの顔が並び揃っていた。柔和な表情とは裏腹に編集態勢は整っているようだ。
2期ぶり2期目なのに貫禄たっぷり角山祥道。花から舞い降り峻厳さを増す阿久津健。たじろぐどころか風格さえも漂わし喝破する石黒好美。世界を観て精悍な風貌に誘い込まれる稲垣景子。初登板なのに堂々とした姿がある。51[守]師範陣が集まったのは2023年3月7日のことであった。
続投で変わらぬ顔ぶれも見えてホッとする居心地の良さもあるが僅かに残る違和感こそが、変わることへのシグナルを発しているのかもしれない。
ターゲットを動かしながらの対話で「こと」を起こす編集「問・感・応・答・返」が大事である。学匠の鈴木康代は51[守]のスタートに際し「社会化したわたしからイシスな私へ。変革の稽古となるように」と指導陣へ問いを投げかけていた。
51[守]は稽古期間が15週間と短くなり加速するからこそ、編集をもっと遊ぶべく開講を待ちわびている。
◎51守ボードメンバー────
学匠 稽古百景を千転し万遍に笑う 鈴木康代
番匠 未知の編集に機を逃さない 景山和浩
一滴の勇気を添える香草力 若林牧子
禅機における無我の述語 渡辺恒久
師範 大地に根ざし活力を耕す 阿曽祐子
忖度なく繊細にくすぐる妙 相部礼子
軽快に奏でるハーモニスト 阿部幸織
守破を繋ぐ凜と舞うバンビ 尾島可奈子
飽くなきうねるアングラ 角山祥道
三度の飯よりカレーな編集 佐藤健太郎
ファインダー覗くヘンゲ師範 堀田幸義
笑顔の太陽光をふり注ぐ 稲垣景子
鱗片のアイキャッチャー 阿久津健
有事を起こすフェミニスト 石黒好美
堀田幸義
編集的先達:半村良。SFを愛するデジタルマーケター。石鹸づくり、マラソン、大人の塗り絵に定期的にハマるオタク気質もある。食事前に親父ギャグを連発し家族には白い目で見られ、師範代時代には学衆に感門之盟のファッションもコーディネイトされるというツッコマレキャラ。サトケン師範とは名コンビ。
日本海側と西日本で雪が猛威を振るう中、束の間の逢瀬を精一杯楽しむために本楼へ集う学衆と師範代がいた。 1月28日(土)、合同汁講決行。傑作ペパーランド教室、モモめぐむ教室、柑橘カイヨワ教室、止観エンドース教室からリア […]
「知識」を破戒せよ、「知」の冒険へ誘え 10月初旬の本楼では、オンラインによる50[守]師範代に向けた第1回伝習座が開催された。守を再受講し編集稽古に更なる可能性を見出すべく、これまでにない力強さで用法語り […]
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。