「いないいないばあ」を楽しもう:松岡校長メッセージ【82感門】

2023/09/16(土)20:00
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2023年9月の3連休が始まったこの日、世田谷・豪徳寺は、世田谷八幡宮例大祭の初日を迎えていた。イシス編集学校の祭りともいえる感門之盟も、豪徳寺・本楼で1日目の幕が開いた。

 

松岡校長のメッセージは、これから刊行される2冊の本の紹介から始まった。

 

1冊目は千夜千冊エディション29冊目となる『性の境界』(角川ソフィア文庫)。ジェンダーやセクシュアリティは我々の根源にありながら、語りにくい話題でもある。それは、私たちの歴史が母性的なものをベースにしながら、それを父性が乗っ取っていった、うまいこと仕組んでしまったところにある。そのアンチテーゼとしてのフェミニズムでは男女同権も言われているが、3日前に発表された改造内閣の過去最多タイに並ぶ5名の女性大臣の入閣のように、数を揃えればいいというものでもない。この1冊は、性と生に隠されたモンスターを明るみに出していく。

 

2冊目は、あの『知の編集工学』(朝日文庫)の増補版である。ジャンバッティスタ・ヴィーコの『新しい学』に触れ、プラトン以降「真偽」の議論がされてきたが、世界は「真らしさ」「偽らしさ」という2つの「らしさ」を抱えてできていること、よって「らしさ」を学問しないといけないということを、増補にあたって強調したという。守の38のお題でも編集稽古してきた、「らしさ」「ぽさ」、「ルイジ」と「ソージ」ががなぜ大事かを書いたのでぜひ読んで欲しいと伝えた。

 

さて、今回の感門之盟のテーマは「エディットデモンストレーション」である。モンスターすなわち怪物を表に出すこと、それがデモンストレーションだ。では怪物とは何だろうか。イレギュラーで足りなさすぎる怪物は、完璧でパーフェクトな神と比較される存在と言える。

 

ここに大事なことが潜んでいる。神は全知全能であるが、モンスターはたったひとつのことがすごい。神よりすごいときもある。一芸に秀でているものは、モンスター扱いされてきた。均等に才能や力が発揮されること、バランスとハーモニーが大事にされている世の中で、それを壊すものはモンスターとして扱われる。しかし私たちは全知全能な存在とは到底言えない。むしろ、なにかに偏ってしまう。隠れすぎてしまう。だが、何かを言おうとしたり、書こうとしたりすると、普段は潜んでいるもの、隠れたものが出てくるのだ。

 

慈円は『愚管抄』の中で、隠るるもの(冥)と顕れるもの(顕)、その両方を歴史と見ない限り、歴史を書くことはできないと言っている。隠るるものは、自分の中にも、編集学校の中にもある。その隠るるもの、私たちの中に潜んでいるモンスターと出会う必要がある。

 

「今のニッポンにはがっかりしている、日本はヤバい」と松岡校長は言い切る。なぜか。非常識なもの、いわばモンスターを扱う才能が失われているのだ。非常識なものをダメなものと叩くことしかできず、それが持っている推測力・直観力・可能性、いわば、別様の可能性を読む力がなくなっている。それはいけない。なんとかしたい。

では、どうしたらいいのか。提案するのは「いないいない」して「ばあ」することである。伏せて開ける。隠されたモンスターをあらわにする。デモンストレーションしていく。2日間の感門之盟を「いないない、ばあ!」を楽しむ場として欲しいと、遊び心をくすぐりながら、校長はメッセージを結んだ。

  • 米田奈穂

    編集的先達:穂村弘。滋賀県長浜出身で、伝統芸能を愛する大学図書館司書。教室名の「あやつり近江」は文楽と郷土からとられた。ワークショップの構成力に持ち前の論理構築力を発揮する。

コメント

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川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。