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問題の立て方こそが問題である【輪読座 第6輪】
- 2022/09/25(日)17:00
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輪読座では一つの講義を「輪(りん)」という単位で数える。ナビゲーターであるバジラ高橋を囲い、輪になって次々に文章を声に出して読んでいくと、座には樹木が年輪を重ねていくように疑問と理解がじっくりと暖まってくる。
2022年9月25日(日)輪読座「湯川秀樹を読む」は第六輪に達した。最終回である。これまで数多の輪読を重ねたことで稀代の物理学者、湯川秀樹に対する座衆の理解もだいぶ深くなったことが感じられる。恒例の図象発表もラストにふさわしく核心に迫ったものとなった。
「流動的な連続性」と「記録」

「素領域の理解がとても難しかったが、素粒子と対比して考えたときに少し見えた気がした」。田中良秀座衆は図式化の過程を振り返ってそう話した(上図)。
素領域とは湯川が提唱した概念で、それ以上分割することのできない最小領域のことを指す。素領域理論では素粒子の生成と消滅が素領域の間で起こっているという仮説を立てた。
田中座衆は素領域のもつ時空間的な広がりを「流動的な連続性」として捉え、これを湯川が物理現象だけでなく、世界平和の運動にも持ち込もうとしたと説明した。こうして、物理学の問題(混沌)と世界人類の問題(混乱)をつなげることで、その背景には見えない何かを探し続けるということがあったのではないかと推理した。

三雲謙座衆は「空」「仮」「中」という摩訶止観の三諦からの図象を試みたが、もっと湯川秀樹の理論に落とし込んで考える必要があったと感想を述べた(上図)。しかし縦軸のクロニクルは充実しており、ユークリッド幾何学から湯川の素領域理論までをつなぐものとなった。そこでは、かつて点には長さ・幅・厚さが存在しないと考えられていたが、素粒子や素領域の視点によって、点が広さや奥行きをもつようになったという変化を追った。この立体感を田中座衆は「流動的な連続性」と表現したのに対し、三雲座衆は「粒子は記録や履歴のようなものをもつ」と言い表した。
湯川秀樹と三浦梅園をつなぐもの
これらの発表を受けてバジラ高橋は、湯川秀樹は素領域理論を最終的に完成させることはできなかったものの、問いを持ち続けた人であったと振り返った。そして現代の人々が学ぶべきは「問題の立て方こそが問題である」という姿勢だと強調した。
未知なるものを認識するには、既知なる部分を持っていなくてはいけない。逆にいえば、既知を認識することは、すなわち未知が発見されるということだ。
湯川秀樹は常に“わかる”と“わからない”が等価であった。そしてこれは三浦梅園の「反観合一」と通ずるところがある、と梅園の思想の独自性を讃えた。
ところで、今秋からの輪読座は「三浦梅園を読む」である。松岡正剛校長が千夜千冊993夜でとりあげた『玄語』を中心に読み進めていく予定だ(詳細は近日中に公開)。バジラ高橋はこういう。「三浦梅園はむずかしい。なぜなら近代人が持っていない思考をしているからだ」。予習はせずに、ぜひ参加してほしい。