稽古にはエロティックなパサージュを? 学衆が読みたい千夜10選【47[破]師範代エディション】

2021/10/30(土)08:59
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■「稽古」とはなにか

 

それはレッスンでも、トレーニングでも、セミナーでもない。イシス編集学校では、カリキュラムを「稽古」と呼ぶ。会社帰りに、ホワイトボードとパイプ椅子の並んだ会議室でテキストを繰るという学習スタイルではない。武道や茶道の稽古のように装いを整え、振る舞いを変え、居ずまいから見直す「編集の稽古」なのである。稽古の字義は「古(いにしえ)に稽える(かんがえる)」こと。古典に還れという意味ではない。「古」そのものに学び、そのプロセスを習熟することを指す。(『世阿弥の稽古哲学』 https://1000ya.isis.ne.jp/1508.html

 

■師範代10名は、どんな千夜を選んだか

 

47[破]は、11月7日締切のアリスとテレス賞の告知があった。これは、1冊の本を紹介するという「セイゴオ知文術」の回答を競うアワードである。書くのは、書評でも、感想文でもない。あくまで、千夜千冊という方法を学び、実践する「知文」である。千夜千冊は、松岡正剛にとっての千日回峰。松岡独自の編集術にもどき、あやかり、ならうことに、稽古の稽古たる所以がある。

イシスで学ぶ者にとって、それぞれが恋い焦がれ、貪り、血肉とした千夜がある。今日は、47[破]師範代が開講に際して、教室や勧学会にどんな千夜を持ち込んだのか。彼らは何にあやかろうとしているのか。それをまとめてご覧に入れる。(以下、佐藤・稲垣・堀田師範代のものは番記者による見立て。あしからず)

 

― 47[破]師範代エディション ―

 


●レディ・ガラ教室 師範代長島順子


「これが私だ!」と叫ぶように、

《自分-本-世界》の関係線をみつけて
創文に仕立てあげてほしいという願いを込めました

 

得番録を「BORN ISIS WAYS」と歌い上げるレディ・ガラは、突き上げた両手に1490夜『エロティックキャピタル』と、1000夜『良寛』を掴む。

しかし、切実を切り出さずして、何が思想であろうか。

切実に向わずして、何が生活であろうか。

切実に突入することがなくて、何が恋情であろうか。

切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか。

『良寛』

https://1000ya.isis.ne.jp/1000.html

 


●泉カミーノ教室 師範代山口イズミ


 

 泉(pagus)の湧きいずるところ
 人が集い(pagi)、風景(paysage)が生まれる
 さあ、あらたな意味の発見に向かおう

 

自身の名前を源泉に、湧き出るようなパサージュ。ミシェル・セール『五感』も援用しながら、知の遊歩者になるべくあらたな意味を掬ってみせる。

パサージュとは移行者であって街路者であり通過者である。
境界をまたぐ者になることである。

パサージュの積み重ね、それをぼくは「編集」とよんでいる。

 

『パッサージュ論』ヴァルター・ベンヤミン
https://1000ya.isis.ne.jp/0908.html

 


●現象印象表象教室 師範代佐藤健太郎


 

 稽古と共読が織りなす多様な「現象」を目の当たりにし、
 仄かに明滅する「印象」をつかまえていきましょう。  
 極めつきの「表象」はきっとその先にあります。

 

現象・印象・表象の「三象」を、編集の三間連結として読む。学衆8人と3つのゾウと連れ立ち天竺目指すこの教室、きっとズーノシスな感染が始まる。

 

『表象は感染する』ダン・スペルベル

https://1000ya.isis.ne.jp/1761.html

 


●アイドルそのママ教室 師範代新井和奈


 

 共感って、なんでしょう?
 感じやすく傷つきやすい私たちが恐れているものは何?
 リスク回避の方向ではなく、リスクを取って進みます。
 変態扱いされてもいいんです。
 「いいね」だけではない、コミュニケーションを楽しみましょう。

 

「編集白衣を着てメスをもつ」と意気込む新井は、リスクを取れと笑顔で迫る。 1304夜『セレンディピティの探求』の後押しも得て、セレンディップな編集的創発を生み続ける。

おそらく、われわれは何かに引き寄せられたがっている動物なのである。

その何かとは「協力」だ。

その奥にある「共感」だ。

でも、ちょっぴり怖いのだ。

『共感の時代へ』フランス・ドゥ・ヴァール 

https://1000ya.isis.ne.jp/1574.html

 


●八客想亭教室 師範代清水幸江


 

  こわれやすいのなら、思い切ってこわしましょう。 
  破れ目から、芽が出て、花が咲くから。

 

師範代は亭主、勧学会は「八想庵」。和服姿でうやうやしく「発想のお八つ」を振る舞ったかと思えば、得番録は「8時だョ!全員集合」。ケラケラ笑い「[破]磨けよ〜〜っ」と締めくくる。アリスよりも不思議な茶会。

人間というものは、自分のことを自分の記憶だけで埋めてはいないのだ。自分にとって憧れたいもので埋めようとしてきただけなのである。そうだとすれば、人間なんてもともとフラジャイルなもので、そうだからこそ、自分を何か別のものによって構成したり、何か別のものに託したかったりするわけなのだ。

「エントロピーのなかからのエピファニー」とはそういう意味である。 

 

『人間というこわれやすい種』ルイス・トマス

https://1000ya.isis.ne.jp/0326.html

 


●オブザ・ベーション教室 師範代稲垣景子


 書くべきことが、見つからない?
 書けないことをこそ、書いてみよう。
 そこに世界との出入りが起こり、「あいだ」に創をつくりだす。
 知覚と了解を同期させ、どこまでも広がるアナロジーに遊ぼう。
 あなただけの冒険の「書」が、書かれることを待っている。

 

書くとはなにか、読むとはなにか。稲垣ががっちりホールドしたのは、校長松岡正剛の編集機密術64。

「書くとは打ち欠くことだ。読むとは欠けた破片を空隙に嵌めていくことだ。考えるとは、そうした破片と空隙が織り成す世界相を想定していくことだ」日常を、社会を、わたしを編集せんとよじ登る頂は、書けないものをこそ書く境地か。

『本を書く』アニー・ディラード

https://1000ya.isis.ne.jp/0717.html

 


●時たま音だま教室 師範代細田陽子


 ときどき おとずれ たまたまであう こだまことだま 時の音

 

教室には空海の「声字」、得番録は古代ギリシャに由来する狂詩曲(ラプソディ)。即興性を重んじる楽曲で、偶然を必然に、唯一無二の壮大な一曲をと語り部細田が杖を振る。

読むとは声を出すことだ。
分かるとは声を自分の体で震わせることだ。
分かるは声を分けることなのである。
言葉や文字から声を抜いてはいけない。

 

『五十音図の話』馬渕和夫
https://1000ya.isis.ne.jp/0544.html

 


●万事セッケン教室 師範代堀田幸義


 

 言葉に魂を宿せ!
 ありきたり、既知の情報ではツマラナイ。
 遊んで、愉快におもしろいことしようじゃないか。
 未知の情報を戯れる、語り手を突出させに
 いざ、旅立とう!

 

情報の波を乗り越えよと、荒れ狂う海で熱き雄叫びを上げるのが堀田。得番録は「セッケン・卍創抗(ばんそうこう)」と名付け、稽古で抗ったそのキズ跡の手当もする。その姿はフックと戦うピーターパンのよう。

 

『ピーターパンとウエンディ』ジェームズ・バリ

https://1000ya.isis.ne.jp/1503.html

 


●未知トポ教室 師範代小桝裕己


 あなたの「未知」は何ですか?

 

小桝の未知は、1歳8ヶ月の娘。「未知」と名付けられた赤子に手を焼きながら、教室ではブラックホールに未知を探る。同時に掲げるのは「『情報の海』にまず句読点を打ってみる」という知の編集工学の警句。得番録「ミチとのトポトポ交信録」では、「か〜ぷ」という言葉を覚えたなど娘の近況も配信中。

『ブラックホールの例でいえば、そこを「未知の情報があるということを本質としている実在」とみなせるかどうかが重要な見方なのであって、その未知の情報が辿れないからといって、そういうものは実在していないなどとは批評すべきではなかったのだ。

『もう一つの宇宙』フレッド・アラン・ウルフ

https://1000ya.isis.ne.jp/0760.html

 

 


●脈診カーソル教室 師範代華岡晃生


 破のお稽古こそ、
 キョードク・キョーシン・キョーカンへ!

 

脈診とは、中医学の診察方法のひとつ。治療方針を決めるには、つねに変化するいきものの流れを掴まねばならない。若きドクター華岡は「治療も仮留め」と説き、「稽古も、一回の治療・回答で完璧を目指すのではなく、経過を診ながらバランスを整えよう」と方針を伝えた。診察室のような教室に掲げるのは、ことば漬けの前口上。

あいつは花の蕾だ。ミラーニューロンを隠している。 
そいつは連射式機関銃だ。意味の弾丸がこもる。
こいつは漬物だ。糠床がなければ発酵しやしない。
縮みもするし、分けられもする言葉たち。
国語にも条文にも、洒落にもポップスにもなる連中。
走らせてみたく、脱してもみたく、千代紙にもしてみたい。

 

千夜千冊エディション『ことば漬』松岡正剛

https://1000ya.isis.ne.jp/edition/word_pickles

 

 

■「まねぶ」「あやかる」「もどく」とは

 

それぞれの師範代がそれぞれの方法で、松岡正剛から借りた編集術を学衆へ手渡そうとしている。古を稽えるうえで、読みたい千夜千冊エディションがある。昭和の世阿弥・観世寿夫から森繁久彌まで、極めつけの名人の芸能談義が束ねられた『芸と道』だ。このトリを飾るのは、山崎努が綴った『俳優のノート』

松岡は、山崎努が準備・稽古・公演の連続に投企して、リア王になりきったプロセスをなぞり明言する。「俳優と編集が似ていると言いたいわけではない。[…]そういうことよりも、1人の人物にどっぷり入れ込んで、その世界観を浴び続け、そこから脱魂していく方法力に関心があるのだ」

 

校長松岡は、世阿弥の「風姿花伝」をヒントに編集稽古を組み立て、イシス編集学校をつくった。しかしあたりまえだが、イシスは能楽のスクールではない。内容をコピーするのではなく、その奥にある方法を借りるがイシスの根本義である。学衆たちは、松岡の方法のなにを掘り起こすのか。いろは47文字を型で扱う47[破]の学衆80名が第一の峠、セイゴオ知文術へさしかかる。

 

写真:木藤良沢

 

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  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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