ハンノキの葉のうえで、総身を白い菌に侵されて命を終えていたキハダケンモンの幼虫。見なかったことにしてしまいたくなるこんな存在も、アングルを変えてレンズを向けてみると、メルヘン世界の住人に様変わりする。
「情報生命」という言葉の謎
このエディションは「情報生命」と銘打たれた。前口上にこの不思議な呼び名についての松岡さんの口上があるが、私は何度か読み返してもよくわからず、「追伸」のp.391を読んで、やっと得心がいったのである。そこには、「情報の動向が生命という現象を発現させた」と見るべきだとある。松岡さんが「情報」に抱く並々ならぬ思いは、『情報の歴史21』に十分に見て取れるし、そもそも「編集工学」という概念自体が、情報がいかにして創発するかの仕組みに関するものだから、「情報」が主体になって当然なのである。情報がどんなふうに編集されたとき生命は生まれたのか?
「生物物理」という学問は生物を物理の手法で解析し理解する分野だ。最初の言葉である「生物」は目的である。「物理化学」という学問分野は化学を物理学によって理解する分野だ。最初の「物理」は手段である。「数理物理」という数学の一分野は物理を数学によって形式化し解析し理解する分野だ。こちらも最初の「数理(数学)」は手段だ。「数理生物」という分野も同様に「数学」が手段である。「情報物理」という新分野はちょっと微妙で、どちらかというと「情報」を物理的に扱う分野だ。しかし、物理の中に情報を見ようという気持ちもあるように見える。これら四字熟語的な複合分野を表す言葉の最初の二文字によってあらわされるものを手段だと捉えれば、「生物物理」は「物理生物」というべきだろうが、「生物物理」という言い方はこの「情報物理」の意味合いに近い。こういうことを考えていたものだから、「情報生命」と聞いたとき、「生物物理」のようには捉えられないので最初の二文字を手段だと考えて生命を情報によって理解するととらえたのだが、どうもそうではないようだ。「追伸」をはじめに呼んでおけば悩まずに済んだのだった。どんな情報が生命を作ったのだろうかという本質的な問いであった。
遺伝子コードによる物質階層の驚くべき切断
生命はゲノムに書かれた情報によって誕生し、発達し、脳神経系を作り、代謝系を作り、免疫系を作るなどして生命体として外界の情報を認識し、また情報を変化させることで新しい情報を創発する。この中で脳神経系によって獲得した情報だけは遺伝の対象にはならず、社会を形成することでミームという外部記憶として伝承される(第1069夜、『情報生命』pp.123-135;第1620夜『情報生命』pp.136-154)。そして、死を迎える。しかし、このゲノムも固定された情報処理系ではなく、中村桂子さんが取り組んできた「生命誌」に見られるように、生命の全歴史という時間を畳み込む形で情報が創発する仕組みを内包している(第1618夜、『情報生命』pp.155-171)。ここが松岡さんをしていたく感心せしめた生命の座である。そもそも、アデニン、グアニン、シトシン、チミンという塩基が配列した物質の配列にさまざまな生命誕生にまつわる情報が表現されたこと自体驚異的なことだった。物理系として見れば、この塩基よりも下のレベル、よりミクロレベルの原子、分子の状態に依らない物質の状態が作られそれが生命の情報として機能したということ自体が驚きなのだ。要は、素粒子物理学や原子物理学が扱う物質のレベルよりも上のレベルで生命の根本的な情報が創発したということが生命の最初の驚くべき自己組織化なのである。

進化(evolution)には「展開する」という意味がある。上図は地球上に生命が誕生してから38億年の時間が畳み込まれた生命誌絵巻。日本文化特有の物語表現である絵巻をひらくイメージとの重なりが扇形に結実した。扇の要にある祖先細胞から扇の天に連なる現在の多様な生命は、等しく38億年の歴史を背負っている。
フィードバックは何を生み出すか?
ノーバート・ウィーナーはサイバネティクスという生物、情報、機械、社会を含む総合的学問を創始した時、その結節点として自己制御を考えた。これを実現するのがフィードバックという仕組みである。サイバネティクスという言葉はギリシャ語の「舵取り人」からとられているように、複雑なシステムを如何にして制御するかという問題が本質的だった。そのため、ノーバート・ウィーナーは様々な分野の専門家を集めた。デジタル計算機の生みの親でセルオートマトンによる自己増殖マシーンを考えたことでも有名な数学者のジョン・フォン・ノイマンや通信の理論(今日の情報理論)を生み出した工学者のクロード・シャノン、さらには神経細胞(ニューロン)のもっとも簡単な数学モデルのネットワークが万能計算機に匹敵する能力を持つことを証明した神経生理学者のウォーレン・マカロックと数学者のウォルター・ピッツ、そしてグレゴリー・ベイトソンやマーガレット・ミードのような文化人類学者も参集したのであった。松岡さんはその後長年にわたって定期的に開かれることになるメイシ―会議での異分野の交わり、特にフィードバックという概念がベイトソンの有名な「ダブルバインド理論」へとつながったと指摘している(第446夜、『情報生命』pp.55-66)。フィードバックによる自己言及性の創発を指摘したかったのだろうと思う。
そもそもメイシ―会議はジョサイア・メイシー・ジュニア財団のフランク・フレモント=スミスの指揮の下、1941年から1960年まで異分野融合会議として開催された。サイバネティクス会議もその中で1946年から1953年にかけて同財団のローレンス・フランクとフランク・フレモント=スミスが中心になって企画された。サイバネティクス会議で取り上げられたテーマは実に多岐にわたり、今日の自己組織化、複雑系科学、ロボット工学、確率過程論を含む制御理論、情報科学、脳神経科学、文化人類学、社会科学の先駆を為すものである。
以下に池田三穂による日本語訳にならって(https://navymule9.sakura.ne.jp/Macy_conferences.html)列挙しておこう。
1946年、3月(ニューヨーク)
自己調整機構と目的論的機構
命題論理の微積分をエミュレートする模擬神経回路網
人類学とコンピュータの学習方法について
物体知覚のフィードバック機構
脳障害による知覚の違い
科学からの倫理の導出
強迫的反復行動
1946年、10月(ニューヨーク)
社会におけるテレオロジー・メカニズム
ゲシュタルト心理学の概念
蟻の兵隊の触覚と化学的コミュニケーション
1947年3月(ニューヨーク)
児童心理学
1947年10月(ニューヨーク)
心理学におけるフィールドの視点
心理学的モデルに対するアナログとデジタルの接近
1948年、春 (ニューヨーク)
言語における “私 “の形成
鶏の序列形成に対する形式的モデル化の適用
1949年3月 (ニューヨーク)
人間の能力を説明するのに必要な神経細胞の数とその結合は十分か?
記憶
物理学と心理学の協力の呼びかけ
1950年、3月(ニューヨーク)
心のアナログ的解釈とデジタル的解釈
言語とシャノンの情報理論
言語、記号、神経症
音声通信における明瞭度
印刷英語における意味的冗長性の形式的分析
1951年、3月(ニューヨーク)
意味論としての情報
オートマトンは演繹的論理を行えるか?
意思決定理論
フィードフォワード
小集団力学と集団コミュニケーション
ゲーム理論の心理的動機への適用性
言語分析に必要な言語の種類
単なる行動 vs. 真のコミュニケーション
精神医学は科学的か?
記憶を作り出す精神的な出来事が無意識であることはありうるか?
1952年、3月(ニューヨーク)
哲学および認識論における広範な問題に対する神経生理学的詳細の関係
ミクロレベルにおけるサイバネティックスと生化学的および細胞学的過程との関係
情報の関数としての生物の複雑さ
ユーモア、コミュニケーション、パラドックス
チェスをするオートマトンは人間に勝つためにランダム性を必要とするか?
ホメオスタシスと学習
1953年、4月(プリンストン大学)
脳の活動に関する研究
意味情報とその測定法
言語における意味とその獲得方法
神経機構はどのようにして形や音楽の和音を認識するのか
今日においてもなお魅力的なテーマである。生物は、外界に行動を起こすことで外界情報にフィードバックをかけて常に新たな知覚を作り上げる。そのための装置が脳神経系である。ウィーナーはこの考えを移動物体に対して照準を制御できる物体(例えば、ミサイル)の実現に応用した。また、並列に動くベルトコンベアー上に機械部品を置くことで時系列的な処理を並行して行う仕組みを発明し、並列情報処理の概念を実現することで大量生産を可能にした。また、複雑な現象、ランダムな現象の制御を目標に、確率微分方程式による確率過程論の先駆を為した。さらにハインツ・フォン・フェルスターはノイズのある世界での自己組織化論を展開し、第二次サイバネティクスの先駆を為した。このように、サイバネティクスにおいては、情報的自己組織化とフィードバック制御による情報力学が物質の階層的集合を生物たらしめる必須条件だとみなしたのである。ちなみに、現在の生成系AIはフィードフォワード的な深層ニューラルネットを基本にしているが、TransformerのAttention機構をフィードバック回路で置き換えて連想記憶回路にすることで記憶容量を飛躍的に増加させることができることが分かっている。

10回目のメイシー会議集合写真(1953)。1列目左から3番目がマーガレット・ミード、4番目にウォーレン・マカロック。3列目左から3番目がグレゴリー・ベイトソン、4番目がフランク・フレ モント=スミス。右端がハインツ・フォン・フェルスター、右から4番目にクロード・シャノンが写っている。 ノイマンとベイトソンは飲みの席で「この世界全体はコンピュータに動かされてる可能性がある」と会話していた。計算機が世界を覆う世界像を1940年代末の数学者たちは予見していた。
フィードバックを変分で見ると
変分原理は物理学では“神の原理”とも呼ばれる。たとえばニュートンの第二法則に現れる物体の運動法則を導く原理であるからだ(ニュートンの運動法則は、法則というよりはむしろ力の定義である。詳述は次の文献に譲る:津田一郎、「ガリレオからニュートンへ―因果関係を否定する法則の定式化―」『現代思想』3月臨時増刊号、2017年、Vol.45-5, pp.118-121)。古典力学は、1.可積分系、2.非可積分系、3.バコノミック系に分類される。可積分系は文字通り積分が可能な系で、この時の積分がエネルギーや運動量などの保存則を与える。非可積分系はこのような保存する量がない系である。この系では、ラグランジアン(運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの差で与えられる物理的には意味のないもの)のような汎関数(関数が与えられると値を返すような関数)のいくつかの極値(求めたいものの候補)から拘束条件に合致する極値を一つ選ぶことによって適切な解を求めることができる。制御の問題としてみると、これはフィードバック制御に対応し、与えられた拘束条件を達成するように、逐次それに合致する良い解を求めていくので、因果的な処理ができる。
例えば、平面上を転がる球を考えよう。球と平面は一点で接触している。局所的には球の運動はこの接点から力を受ける方向への直線上であるから一次元である。ところが、急はころころと平面上を転がって大域的には二次元面上を動き回る。このように局所的な運動の自由度と大域的な運動の自由度が異なるので積分ができないのである。しかし、平面上のある一点を指定してそこを目標点にして、別のどの場所からでも球を転がして目標点に到達できる。この時球の軌跡を制御するのだが、目標点と現在地を見ながらその情報をフィードバックして目標点に到達するのである。二次元面上の行きたい場所に車で行けるのもフィードバック制御をしているからである。自動車のタイヤの動きも局所的には一次元(タイヤ方向)だが、大域的には二次元面上のどこへでも行けるので、非可積分系である。このように非可積分系では、目標地点への到達はフィードバック制御を行うことで因果的に行うことができる。バコノミック系はもっと複雑な制御なので、別の機会に譲ることにしよう。
フィードバックがネガティブフィードバックならば、フィードバックによって、不安定な状態を安定化できる。また、フィードバックがポジティブフィードバックなら、小さな誤差を拡大し、より良い方向への遷移も可能にできる。脳神経系では、抑制性細胞が奇数回絡むフィードバックはネガティブフィードバックになり、神経系の活動を安定化させる。興奮性細胞が一回でも絡むか、抑制性細胞が偶数回絡めばポジティブフィードバックになり系を不安定化させ情報の創発の源になる。つまり、「情報生命」の一端はまずはフィードバックあたりにあると考えるのが良いのではないか。

非可積分系における球は、その瞬間には局所的に1次元にしか進めないが、目標位置と現在位置の差分をフィードバックして進み方を更新することで、平面上の任意の点に到達できる。各時刻で複数の候補軌道(灰色破線)を評価し、最もコストの低い予測軌道(橙色破線)を選び、その最初の一歩だけを実行する(緑線)。この逐次的な最適化の繰り返しは、時間発展する変分を解いていると見なすことができる。

上段の格子はニューロンの集団を表す。各マスが1つのニューロンに対応し、明るいマスは活動が強いことを意味する。左は外界から入る欠損を含む信号、中央はネットワーク内部の状態、右は収束先の記憶パターンである。中央の状態はフィードバックによって繰り返し更新される。下段はネットワークの状態を地形に見立てた図である。高いほど状態がまとまりにくく不安定で、谷底ほど安定している。曲線上の球は、ネットワークが今どの状態にあるかを示す。
ネガティブフィードバックでは、更新のたびに球が坂を下るように動き、既存の記憶に落ち着く。不完全な入力が谷に引き寄せられて補完されるので連想記憶と呼ばれる。一方ポジティブフィードバックでは、小さなずれがフィードバックのたびに増幅され、球は谷底にとどまれず坂を登り始める。この不安定化が新たなパターンの創発の契機となりうる。
図版構成:梅澤光由&齋藤彬人&南田桂吾
津田一郎の『千夜千冊エディション』を謎る
津田一郎
理学博士。カオス研究、複雑系研究、脳のダイナミクスの研究を行う。Noise-induced orderやカオス遍歴の発見と数理解析などで注目される。また、脳の解釈学の提案、非平衡神経回路における動的連想記憶の発見と解析、海馬におけるエピソード記憶形成のカントールコーディング仮説の提案と実証、サルの推論実験、コミュニケーションの脳理論、脳の機能分化を解明するための拘束条件付き自己組織化理論と数理モデルの提案など。2023年、松岡正剛との共著『初めて語られた科学と生命と言語の秘密 』(文春新書)を出版。2024年からISIS co-missionに就任。
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2026-02-05
誰にでも必ず訪れる最期の日。
それが、どのような形で訪れるかはわからないが、一番ありえそうなパターンの一つが終末介護病棟での最期じゃないだろうか。沖田×華先生と言えば、自虐ネタのエッセイマンガでよく知られるが、物語作家としても超一流だった。深く死に向き合いたい方は、是非ご一読を。
(沖田×華『お別れホスピタル』)
2026-02-03
鋸鍬形、犀兜、鰹象虫、乳母玉虫、碁石蜆、姫蛇の目、漣雀、星枯葉、舞妓虎蛾、雛鯱、韋駄天茶立、鶏冠軍配、鶉亀虫。見立ては、得体の知れないものたちを、手近に引き寄せたり、風雅に遊ばせることの糸口にもなる。