「破」はただの学校ではない。
「破」の方法にこそ、
編集を世界に開く力が秘められている。
そう信じてやまない破評匠ふたりが、
教室のウチとソトのあいだで
社会を「破」に、「破」を社会につなぐ
編集の秘蔵輯綴。
49破「アリスとテレス賞」セイゴオ知文術は11月13日(日)にエントリーが締め切られた。ほとんどの学衆にとってはおそらく未知の文章体験だったはずである。知力脳力体力を尽くして書き上げ、18:00までにポストし終えた後はほっと一息つくのも人情だ。
ところが、「破」は甘くない。その日の深夜から翌早朝にかけて、こんどは「クロニクル編集術」のお題が続々と学衆のメールボックスに舞い込んでくる。このあと半月ほどの稽古のお題が一挙に投下されるのだ。ふつうの文章講座ならば大きな課題の後にこんな厳しい試練が待っていることはない。師範代は言葉だけは優しいが実は鬼なのではないか、師範や評匠はエディストと名乗っているがほんとうはサディストなのではないか。そんな恨めしい思いも頭によぎらせながら、学衆たちはクロニクル編集術へと向かっているのが49破の現在である。
クロニクル編集術は、文字通りクロニクル=年表・年代記・時代記の編集である。たくさんあるデータを収集し、時間というオーダーに沿って並べていくことでコンテクストを生み出す編集である。稽古の中身を少しだけ概略しておくと、時間軸というオーダーで並んでいるデータを、いったんばらして別のオーダーに組み直し、前のオーダーで並んでいた時とは全く別の意味を作り出す、という編集稽古をやる。単純な作業のようにも思えるが、この稽古、ハマればこれほど面白いものはない。実際、今期の学衆のなかには本に記された出来事あるいは自分のデータ(稽古では「歴象」データと呼ぶ)をA4の紙10枚ほどに印刷し、床に並べては組み替えて面白いコンテクストが出てくるのを楽しんでいる強者もいるようである。この後が楽しみだ。
評匠Nは、並べて、並べて、並べる。
オーダーは、編集の基底をなすと言ってもいい。あるオーダーに従ってデータを並べれば、それまでの混沌とした状態から意味や文脈というフェーズに移ることができる。「天地初めて発けし時」ではないが「地」と「図」が浮かび上がるのである。使うオーダーはクロニクル編集術のように時間軸だったり、あるいは大中小、松竹梅、序破急といった序列や段階だったり、起承転結のような流れ、春夏秋冬のような循環だったりする。「守」のコースでは階層を扱う稽古があるが、その応用ともいえる。
そうした既存のオーダーに、いろんな情報を当てはめてみるのもけっこう面白い。だがさらに面白いのは、データを動かしているうちに、新しいオーダーを見出す編集である。
先週土曜日、評匠Nは編集学校「離」の退院式に参加した。そこで60分のセッションをあずかって場を取り回す役目をおおせつかった。発言者は6名。みな離の経験者だから、世界読書の知識も請来もある。語りたいことも問いたいこともそれぞれにある。しかし6人が勝手にバラバラに語っては、ひとりひとりの発言はともかく全体としていったい何の時間だったのかわからなくなってしまう。
そこで何をしたかといえば、6人の発言案をすべてポストイットに書き出し、私の部屋の壁に貼り付けてはひとり眺める。茶でも啜り、煎餅でも囓りながら飽かず眺める。そうすると摩訶不思議、データ自身が動き出そうという気配を見せ始めるのだ。そしてさらには、データの群れがいくつかのグループ、群、組、カテゴリーにまとまり始めるのだ。いやいや、そんなのオカルトでしょう、と言われると困るが、物は試しでぜひ仕事や学校の実践で自分でやってみることをお勧めする。正確にいえば、自分の思考の「型」とポストイットに書いたデータが呼応しはじめる機がやってきて編集が発動する、ということである。
いい編集に向かうために大事なのはそのタイミングを逃さずに、それらのグループに名前をつけることだ。この名前の付け方が、新たなオーダーを生み、その後の編集を左右する。その名付けによって、話の流れができる。話の流れができるということは、章立てという分節ができることと同義である。編集はオーダーとともに進行するのだ。
料理を注文するときもオーダー、野球の試合前に交換するメンバー表もオーダー。ダース・シディアスがジェダイを滅ぼした命令はオーダー66だったし、キリスト教の修道会や聖職、騎士団など序列のある団体もオーダーと呼ぶ。英国庶民院議長が議場を収める動画を見てもらえばわかるが、「静粛に!」も英語で「オーダー!」という。簡単なウェブ辞書を検索するだけでも、指令、命令、配列、発注、注文、順、順序、手順、序列、系列、位数、階数、整頓、整列、状態、秩序、体制、慣例、規則、習慣、階級、地位、等級、勲章、種類、階位、為替、建築様式とその語義は多岐に及び、ほぼすべての編集行為にかかわるといっていい。少しだけより正確に表現すれば、混沌としたデータの海に秩序を与えてシステムとして扱うことが可能な状態にする編集、といったニュアンスで語れるものである。ここを知りたい方はぜひ破を駆け抜けて「離」に進んでいただきたい。
クロニクル編集術に臨む学衆にひとつ心がけとして伝えておくならば、たくさんのデータを手段としてのみ扱ったオーダーは概してつまらないし、ハイパーな感じもしない、ということだ。目の前にあるたくさんのデータに敬意を払う。シンプルだがそのことが大事だ。私の例で言えば、ポストイットの1枚1枚にひそむ「地」をつかみ、「図」としての情報がどこから出自しどこへ行こうとしているのかを察知する。稽古においても、歴象データを抽出するのは単純作業のようだが、ひとつひとつのデータに敬意を払って着目していくと別様の可能性が見えてくる。データと私の間で交換の”場”が作られれば、編集が起動し始める。
動画に出てきた英国会議長ではないが、オーダーという編集を進める際には、対象を敬意を持って扱い、ときにはユーモアを混ぜ込むのが秘訣なのだ。文体編集術からクロニクル編集術へ駆ける今は、学衆諸賢はデータに敬意を払い、ときに野次を飛ばしてくるデータを諌めつつ、新たなシステムを作る壮大な編集の腕を磨きつつある真っ最中なのである。
中村羯磨
編集的先達:司馬遼太郎。破師範、評匠として、ハイパープランニングのお題改編に尽力。その博学と編集知、現場と組織双方のマネジメント経験を活かし、講
座のディレクションも手がける。学生時代は芝居に熱中、50代は手習のピアノに夢中。
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