「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
「編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。
「ん」
千夜千冊1815夜『思考と言語』、1816夜『心とことばの起源を探る』を読む。すぐに元の本も取り寄せ、子どもの幼いころを思い出しながら併せ読みした。
<言語は本能ではなかった!>
『心とことばの起源を探る 認知と文化』
マイケル・トマセロ著、勁草書房
今、15歳の長男には、喃語期が終わった一歳前後、はっきりと意思を持って話せるようになるまでの数か月間、周囲のあらゆるものを猛烈に指さし続けていた時期があった。
「ん」といって、モノを指さす。
まわりの大人(主に母親である私)がそのモノの名前を言う。納得した様子を見せる。
また次のモノを指す。答える。指さす。答える。指さす。終わりのないやりとりが、毎日繰り返された。
「これ、なあに」というイントネーションの「ん?」ではなかった。切実さをにじませた「ん」なのだった。
話せない赤ちゃん時代に、声が枯れるほど話すことになるとは予想していなかった。
応答しないとむずかり始める。余裕がないときもあったけれど、穏やかに暮らそうとするうえで、無下にはできなかった。
外からの言葉
部屋の中なら、一通り指さし終わると落ち着くが、車に乗ったりするとタイヘンだった。
窓から見えるものを次々と指さしていく。答えるのが追いつかない。
「畑だね」「木だね」「ポストだね」と答えながら、この子の頭の中に、「畑」や「木」や「ポスト」といった概念はあるのだろうかと考えた。
あるとしたらどんな風に?
自分の中にまだ無い、またはぼんやりとしか無い概念が、音となって次々に降ってくる。それはどんな心持ちなのだろう。
母子手帳には、「1歳ごろになるとマンマなどの言葉が出始めます」とあったが、ずっと「ん」一本やりだった。
子どもは頭の中に言葉を溜めている。十分に溜まった時に発話を始めるというようなことをどこかで読んだ。もしそうならば、長男の頭の中にはとてつもなく深い井戸があるようだった。
モノのなかでは特に、野菜を見て、並べ、触るのが好きだった
「ん!」
そのうち、「その答えには納得できない」という雰囲気で、同じものをふたたび指さし、より強く「ん!」と言う場面がでてきた。
例えば、お風呂場で天井を指さす。
「てんじょうだね」
「ん!」
もしかして、方向や色に注目しているのかも?と推理し、
「うえだね」「クリーム色だね」
と別の視点からいろいろと言いかえをしてみる。
すると「ん!」の緊張感がやわらぐ。
その時、ちょうどイシス編集学校[破]の師範代をしていたこともあり、これは編集稽古そのものだと感じた。
モノから状態へ
窓際にかかっているハンガーを見て「ん」という。
「ハンガーだね」
「ん!」
「青いハンガーだね」
「ん!」
もしかして、朝はあったワイシャツがかかっていないことを言いたいのだろうかと思い、
「<ない>ね」と答えてみると、
少し落ち着いたトーンの「ん」が返ってきた。
モノだけではなく、「状態」まで含めるとなると、言い替えの幅は広がる。
同時に、子どものアタマのなかには、もしかしたら半分「答え」があって、それを言えないもどかしさと、言い当ててもらったときの喜びがあるのかもしれないとも考えた。
とはいえ、まだ話せない子どもに、どれぐらいの語彙を使って言いかえ、話すのが適切なのか、考えても正解は見えない。待ったなしの「ん」の連打に加え、極端な人見知り気質が浮かび上がってきて、だんだん余裕がなくなってきた。
はじめての言葉
そんなとき、図書館で、週一回、乳幼児のための読み聞かせ会があった。そこで、わらべうた遊びを教わる。こちらから歌いかけたり、手遊びをしている時は、「ん」がやむ。
わらべうたの本を何冊も買って、生活のあちこちに歌を挟むようになった。
ふしぎなぐらい野菜や植物が好きだという特徴がみえてきたので、『やさいのおなか』という絵本を買う。本に向けての指さしが始まる。
一歳すぎ、車に乗せている時、柿の木を指さして「かき」といった。長男が「言おう」と思って言った、はじめての言葉だったと思う。
その後、つっかえがとれたように言葉が出始め、指さしは急速に減っていった。
ママ、パパとも言わず、いきなり「おかあさん」「おとうさん」と言い始めた。
『あがりめ さがりめ』『あんたがたどこさ』
ましませつこ、こぐま社
「こどもと こどもが けんかして
くすりやさんがとめたけど
なかなか なかなかとまらない」
指の名前が織り込まれている遊び歌。順に指を合わせながら歌う。
うつぎあかがわあまぐり
一歳半ごろ、夫が『野菜の便利帳』という大人向けの実用書を「喜びそうだと思って」と買ってきた。大のお気に入りとなり、毎日「よんで!」と持ってくるようになる。
一緒に指さしながら、野菜の名前をひたすらとなえる。居る時は、買ってきた人である夫に応対してもらえたので少し助かる。
野菜名だけではなく品種名も読む。宿儺(すくな)、坊ちゃん、黒皮栗、鹿ケ谷、打木赤皮甘栗、黒皮かぼちゃ、バターナッツ、白皮栗、ペポ、プッチィーニ。南瓜だけで10種類もあった。
2歳ごろ、夫が何かをつぶやいている長男に気づいた。耳を澄ませると「うつぎあかがわあまぐり」と言っていたので、驚いた。50音の発音の練習は、ほとんど野菜の名前でこなしたのではないかと思う。
ぼろぼろになった初代の『野菜の便利帳』と新たに買い求めた『新・野菜の便利帳』(高橋書店)
「かぼちゃ」の見開き。左ページ二段目真ん中が「打木赤皮甘栗」。
認知のスキーマ
長男の言葉はどんどん増えてきて、こんどはおしゃべりがとまらなくなった。まるで頭の中がそのまま漏れてきているように見えた。
しかし、そのおかげで、長男にはどうも独特の認知の構造(スキーマ)があるらしいというのが見えてきた。
「幼稚園」という社会デビューが近づくにつれて、野菜でいっぱいの認知のスキーマの拡張の必要に迫られてきた。「まるを書こう」は「トマトの形を書こう」。「白色は大根の色」。子どもにとって新しい概念も、子どものスキーマと関係づけると、理解が早かった。逆に言えば、関係づけないと極めて入りづらかった。
忘れてしまった言葉たち
ヴィゴツキーの千夜千冊を読んで、もしかしたら指さしすることで、外からの言葉=「外言」を取り込みながら、アタマの中の言葉=「内言」を育んでいたのではないだろうかという仮説が生まれた。
また指さしは、マイケル・トマセロのいうところの<共同注意>状況のための行為で、長男が言葉を育てるには、人一倍、インプットが必要だったのかもしれない。
15歳になった長男に、当時のことを覚えているかどうかを聞いてみたらまったく覚えていないという。「うつぎあかがわあまぐり」も忘れている。
時間がたって忘れたのではなく、認知構造が組み変わって忘れてしまったように思えると話すと、長男が「それぐらい土台になってるってことかな」と言ったのでドキリとした。
覚えてないことは、言葉で振り返ったり、解釈し直したりすることができない。指さし期に身についた「見方」は、いわば根底の根底になるのかもしれない。
心を開くための方法
細かいことは覚えてないけれど、ごく小さい時から「心を開けることができていた」感覚があったと言ったのにハッとした。
長男は、6歳ちがいの妹の成長を見て育ってきた。長女は、猛烈な指さしをすること無しに、ごく自然に言葉を習得した。比較すると、自分は生まれつきちょっとたいへんだったのかもしれない。それでも、発語を含めて、いろいろなことができるようになったのは、小さい時から心を開くことができてたからだと思っていると話した。
親としては、心を通じ合わせることに焦点を当てていたわけではなく、「世界」と「世界」の間の翻訳をしている感覚だった。
それはとんでもなく編集スタミナを要求される毎日だったが、子どもを持つ前に経験していた師範代と学衆の間のにぎやかな「編集稽古」が大いに模擬練習になっていた。
「歩く」のZPDを遊ぶ歌「あしあし あひる かかとを ねらえ」
言葉だけでなく一人歩きできるようになるのもゆっくりだったので、人一倍遊んだ思い出がある。
◆これまでの編集かあさんバックナンバーはこちらから
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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