■2020.12.08(火)
zoomにて所長と花目付の定例会議。
懸案の講座後半の設営についてBPTを練り直すなかで、あらためて評価メトリックについて意見を交わす。評価とは、何をもって何について何を語るべきなのか。
ISIS花伝所の第一義は師範代養成講座であるが、地を編集学校に置くばかりでは内外の要請に応えられない。A)師範代養成、B)編集的自己(エディティング・セルフ)の自立、C)編集的個性(エディティング・キャラクター)の発露、は三位一体なのだ。
A)は講座設営として言わずもがな、B)は入伝生の達成目標、そしてC)は指導陣の腕の見せ所だ。
ターゲットが拡張されれば、自ずとプロフィールにフィードバックがかかる。2歩先を視野に置きつつ、半歩先の手立てを企てる。
■2020.12.09(水)
M5指南錬成演習が総仕上げの段へ向かう。入伝生にとっても指導陣にとっても、マンツーマンの直接指導の機会は残り僅かだ。
花ボードでは指導陣が、気がかりな入伝生の名を挙げながら、進捗や手応えなど、互いの見立てを共有する。
概ね見立ては一致するのだが、複数の評価メトリックが言挙げされることで、入伝生個々の編集的個性がヴィヴィッドに描出され、局面での指導プロフィールは担当師範に委ねられる。指導陣渾身のラストパスは、果たして相転移を呼ぶだろうか。
■2020.12.10(木)
気のせいかも知れないが、[守][破][離]での稽古体験の充足度が高い入伝生ほど式目演習で伸び悩むように見える。
他方で、高い評価を受けて巣立った放伝生が師範代登板に踏み切れないケースも散見する。
おそらく両者は共通の課題を抱えている。寄せる負荷と返すフィードバックがアンバランスなのだろう。追い込まれなければ負荷は掛からないが、適切な滋養がなければ正のフィードバックが起こらない。
超回復(*)はなかなかにデリケートなのだ。
イシスでは「創」と書いて「キズ」と読む。「絆創膏」の「創」だ。
相互編集の場では、自身の負を曝け出し、憚ることなく悶絶することが許される。イシスは再生の女神だから、この社会のなかで編集的アジールとしての機能が託されているのだ。
ところで私自身は、10[離]に大きな残念を置いたまま退院したことが花伝所への入伝を動機づけた。
思えば私の人生は、成功体験ではなく香ばしい痛みばかりで編み上げられてきた。その痛みから逃げなかった自分を褒めたいし、渦中の自分を見守ってくれる存在があったことに心から感謝している。
*超回復:
スポーツ科学の理論で、筋肉がトレーニング直後に一旦パフォーマンスが落ちた後、然るべき回復期間を経てトレーニング前を上回る状態になること。この超回復期を逃さずに次のトレーニングを仕掛けることで成長曲線が描かれる。
■2020.12.11(金)
花伝スコアの番外篇をラボへ配信。
錬成場での全発言を文字数ベースで計測し、「冗長度」「e-馬力」「e-トルク」を算出したスコアだ。「e」はもちろん「エディティング」の頭文字で、教室編集の推進力や、師範代としてのプレゼンス、アクチュアリティ(*)の度合いを可視化しようとする試みだ。花目付からはスコアラーの視点でコメントを添えた。
このISIS版セイバーメトリクス(仮称)は、数値によって優劣を判定しようとするものではない。客観データに滲み出るエディティング・キャラクターを掬い取ることが狙いだ。師範代登板に臨むイメージメントのための材料として、「離見の見」を得る援けとなることを願う。
*アクチュアリティ:
関係性のなかで発現される自発的な行為をともなった編集的自己。
アテンションとアクチュアリティは、3A(アナロジー/アブダクション/アフォーダンス)を実践するうえで不可欠の2Aだ。
■2020.12.13(日)
22:00をもって、7週間の式目演習が終了。
花伝所では、全回答の提出のみならず、指導へのフィードバックを提出するまでが必須課題だ。各道場へ、積み残した課題を抱えた入伝生が相次いで駆け込む。
手応えは得ただろうか。不足には出会えただろうか。目的を察知できただろうか。ここから先は「彼方での闘争」(*)が待っている。
*彼方での闘争:
英雄伝説の物語構造は5段階の構成にモデリングできる。
1)原郷からの旅立ち2)困難との遭遇
3)目的の察知
4)彼方での闘争
5)彼方からの帰還
この5段階のうち「目的の察知」は主人公に託されたターニングポイントであり、他者は見守ることしかできない。師範代プロジェクトにおいては1)〜3)が花伝所での式目演習、4)が師範代登板に相当するだろう。
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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