「話す」「聞く」「食べる」。
私たちに綿々と受け継がれ、なんとはなしに行われてきた行為たち。
あらためて注意のカーソルを向ければ、どんな景色が見えてくる?
言語聴覚士の端くれである筆者が、もっとも身近な自然である「私」を寄り道たっぷりに散歩します。
部屋のスライドドアを閉じると、喧騒は途切れる。呼び出しチャイムも、治療椅子の軋みも、電子カルテの打鍵音も皆遠くなる。静かになった部屋で私はある音に神経を注いだ。それは目の前の人の声だ。
声は空気を渡って耳穴へと滑り込むと、さまざまに響きだす。ある乳児の声は茹でたエンドウの皮のように柔く、ある年長者の声は夜の樹洞のように人知れず深い。どの声も一つとして同じ姿のものはなく、けれど一様に、その人が目の前に生きる事実を教えていた。
言語聴覚士は「ことばのコミュニケーション」に問題を抱える人を支援する。そして、その問題が「発声」にかかわるとき、私たちは声の評価を行う。声の高さ、大きさ、音の質…と部分に分解し観察をするのだ。そのため、この仕事を始めてから声というものに愈々耳をそばだてるようになった。
そうして気付いたのは、声には「私」が如実に顕れるということだ。声紋認証は高い精度で個人を特定するというが、声はその人の年齢、体格、性格、〈らしさ〉といった「私」のデータやカプタを常に滲ませている。声とは「私」と不可分な分身のようなものなのだろう。
一方で、筆者は自分の発した声色に、自身の悲しみや緊張といった感情に気付かされた経験を持つ。それはまるで「私」が声に導かれるような瞬間でもあった。
私と一体のようで、私の少し先を行くようでもある。声とはいったい何者なのだろうか。
5回目となる今回は、ここまで見てきた〈取り込む〉口元のカーソルを反対に、私たちが〈放つ〉この声の姿に注目してみたい。
そもそも声はどうやって生まれるのか。生理解剖的に見れば、その始まりは肺からの呼気にある。呼気は気管を通ってその出口である声帯を震わせるが、このとき生じる振動音(=喉頭原音)が声のもとなのだ。この喉頭の音は、その後、声道での共鳴や口元の操作を経て、いわゆる話し声へと仕上げられていく。今回は、この前半部、声帯にて呼気が音へと変換されるシーンを見てみよう。
声帯とは、喉頭内にある一対の筋肉の襞だ。発声時、二枚の襞は中央で近寄り、そこへ呼気がぶつかると声帯の粘膜は震え、振動が波紋のように上方へと押し寄せていく。
呼気は声帯を押し上げながらその隙間を通り抜けるが、次の瞬間、速度を増した気流と声帯のもつ弾性によって左右の声帯が互いに引きあい閉じるという現象が起こる。(*1)
閉じた声門下では呼気圧が高まり、再び吹き広げられるようにして声帯は開く。そして同じ原理に、また閉じては開き、開いては閉じる…。発声時の声帯は下から上へと粘膜を波打たせながら、このような「開いて閉じて」を毎秒数百回もの速さで繰り返し、その振動に音を出現させていたのだ。
ちなみにこの仕組みは、二枚のリード板を震わせ音を出すオーボエやファゴットといった楽器とも似通っている。
喉頭内の声帯のようす(『病気がみえるvol.13 耳鼻咽喉科』医療情報科学研究所 より引用)
また、さらなるイメージの助けとして、窓の隙間風が「ピーピー」、「ブオー」と鳴る場面を想像してみてほしい。あの音は窓をぴたりと閉めるか、あるいはがらりと開くことで消失する。はっきりとした音にはちょうどいいわずかな隙間が必要というわけだが、これと同じことが声帯においても当てはまる。即ち、声帯は閉じすぎても、開きすぎても、明瞭な音がうまれない。例えば声帯が開きすぎていると、声は息漏れのような音となってしまうだろう。
その他、病変や加齢によって声帯の振動が左右不規則となっても音は安定しない。確かな音への変換には、声帯の微細なふるまいが極めて重要なのだ。
さて、ここで視点を変え【声】という漢字を見てみよう。
声の旧漢字【聲】は〈声=磬(ケイ):石板楽器〉、〈殳=打つ動き〉、〈耳〉の三要素に成り、磬を打つ音が耳に届く場面が描かれる。磬とは中国古代の楽器であり、吊り下げた石板を打って鳴らす打楽器の一つだ。「へ」の字型の形状や宙づりの状態には、なんだか「肺っぽさ」も感じられる。
左:連池文磬(東京国立博物館HP) 右:連なり吊るされる石磬(Wikipedia「磬」)
また、現在に至って〈声=磬:石板楽器〉の部分だけが漢字として残った点も興味深い。それは音が鳴らされた瞬間というより、石板が眼前に現れた瞬間を切り取るかのようだ。
ちょうどいい高さに吊るされ、ちょうど打ちたくなる平たさの石板が私の視界に飛び込んでくる。結果、音は鳴らされた。そんな景色を浮かべれば、声とは、世界に潜むアフォーダンスに奏でられるもののようにも感じられる。
さらに、密教の教えには「声常住」という思想がある。「常住」とは「無常」の対義語であり、文字通り永遠の存在を示している。生じることも、滅することも、他者に脅かされることもなく、ただ其処に在りつづける。そうして声は、絶えず世界の根源と繋がる存在なのだという。
そんなふうに声が既に世界のどこかに住みつづけているならば、声に導かれていると感じたあの瞬間にも合点がいくのかもしれない。
終わりに、仕事場には人の声ほど私を惹きつける音がもうひとつあった。
それはエアシューターの音だ。レントゲンや急な紙資料はプラスチックのたいそうな筒に入れられ、このエアシューターに送られる。伝言物がどこかで吸い込まれると建物内を巡るパイプは震え、壁や天井が微かに響きだす。宛先が他所ならばその到着も内容も知れぬまま、音はだんだんと遠ざかっていく。
この不穏な気配に、いつまでも慣れることがない。その音は、私たちの体のなか、思索と逡巡の末、声になるため競りあがっていく空気の塊を思わせた。壁の向こうが震えるたび、声の正体がそこに潜むのではないかといつまでも耳を澄ましてしまう。
けれど、音は次第鳴りやみ、そばには得体の知れなさだけが残されている。私はあきらめ、せめて目の前の声だけは聞きこぼさないようにと部屋に戻るのだった。
*1:詳しい原理は「ベルヌーイ効果」をご参照ください。
冒頭写真:カリンの木。喉に効くとされるカリンの実はこの季節に色づきます。
ちなみにカリンを日本に持ち込んだのは、密教を日本に広めた空海なんだとか。
〈参照文献〉
藤田郁代他『発声発語障害学第3版(標準言語聴覚障害学)』 医学書院(2021)
セオドア・ダイモン他『イラストで知る発声ビジュアルガイド』 音楽乃友社(2020)
『病気がみえるvol.13 耳鼻咽喉科』医療情報科学研究所(2020)
松長有慶『空海』岩波新書(2022)
竹岩直子
編集的先達:中島敦。品がある。端正である。目がいい。耳がいい。構えも運びも筋もよい。絵本作家に憧れた少女は、ことばへの鋭敏な感性を活かし言語聴覚士となった。磨くほどに光る編集文章術の才能が眩しい。高校時代の恩師はイシスの至宝・川野。
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