ハンノキの葉のうえで、総身を白い菌に侵されて命を終えていたキハダケンモンの幼虫。見なかったことにしてしまいたくなるこんな存在も、アングルを変えてレンズを向けてみると、メルヘン世界の住人に様変わりする。
イシス編集学校の応用コース[破]では、課題本の中から1冊選び、他の人に紹介文を書くという稽古があります。題して「セイゴオ知文術」。今期56[破]の課題本のひとつが、大岡信の『うたげと孤心』(岩波文庫)でした。松岡正剛校長が日本文化理解の要としていた同書を、さて師範はどう読み解いたのか。
第90回感門之盟「読奏エディストリート」の特別連載2回目。「マーキング」と「ヨミトキ」で奏でる師範の声の重なりをどうぞ。
奇想を追求するという行為の底には、多かれ少なかれ他人を驚倒させようとする動機がひそんでいる。少なくとも、自分が今生きている環境への挑戦という動機がそこにはある。(89ページ)
[離]の太田香保総匠から、松岡校長が大切に考えていた一冊と伺い、[破]の課題本に取り入れた。大岡信は、古代~中世の詩歌を検討し、日本の文芸の特徴は「うたげ」と「孤心」のデュアルにあると喝破している。
引用箇所は贈答歌について。古代・中世の歌人は奇想、つまりは「やわらかいダイヤモンド」的な遊びを歌に込めて贈りあっていた。イシス人には身に覚えがあるはず。そう「ありきたり」の回答ではすまない。師範代や仲間をビックリさせたくなる。一方、師範代は毎日の挨拶にも小さな驚きを仕込む。往時の歌人の現状を打破するスピリットが、編集学校で日々、再生されている。その照合に、また一つイシスの秘密を発見したと思う。(原田淳子)
現実には、「合す」ための場のまっただ中で、いやおうなしに「孤心」に還らざるを得ないことを痛切に自覚し、それを徹して行なった人間だけが、瞠目すべき作品をつくった。(199ページ)
文芸だけでなく、日本の芸道の深奥には一貫して「合す」原理が働いてきたと大岡信はみた。「うたげ」の場で心を合わせ、その裏側で「孤心」をとぎ澄ます。そうした舞台装置としての役割を担うのが結社だった。時代がかわって、今の日本で結社らしさを色濃く漂わせる組織といえばイシスだろう。感門や汁講といったイベント、つまり「うたげ」と、日々の稽古の「孤心」。絶妙のバランスを成り立たせているのは、問感応答返というプロセスがあるからに違いない。(山下雅弘)
「折に合ひてめでたき」ものに出会うことの歓びをも院は知っていたのである。折に合ったものに出会う歓びとは、つまりは眼に見えるもの、眼に見えないものと自分との間が、何らかの絆によって結ばれるのを感じる歓びにほかならない。(313ページ)
文中の「院」とは、後白河法皇のこと。血と裏切りにまみれつつ、貴さや正統とは無縁の歌謡「今様」に耽溺した院にとっての「うたげ」は、敬愛する遊女の声であり、厳しき熊野詣で交わしあう歌だった。
夢中で打ち込むからこそ自分に嘘がつけなくなる「孤心」。その先にあらわれる救いが「別様の生」としての「うたげ」だった。それはリアルな生を他者とともにする実感、祝福の場だ。我を忘れるほど切実を追い求めてこそ、光は差し込む。私たちも自分自身の「本当」をつきつめていきたい。(牛山惠子)
岩波文庫/2017年9月刊/1089円(税込)
■目次
序にかえて――「うたげと孤心」まで
歌と物語と批評
贈答と機智と奇想
公子と浮かれ女
帝王と遊君
今様狂いと古典主義
狂言綺語と信仰
あとがき
アイキャッチ、レイアウト/阿久津健(56[守]師範)
編集/新井陽大(55[破]評匠)、角山祥道(44[花]錬成師範)
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む [バックナンバー]
#02『うたげと孤心』(原田淳子、山下雅弘、牛山惠子)
ISIS core project
イシス編集学校[当期師範&学林]チーム
「Pauca sed Matura」の言葉を背負い、守破離花遊の全指導陣が一挙集結する[ISIScore]。感門プランニング、エディットツアー運営、編集知のリバース・エンジニアリング、全てがここで交差する。知を組み立て、知を裏返し、知を書きなおしていく編集分子たちの風姿を垣間見よ。
【感門90】読奏エディストリート――師範が読む#01『多読術』
人間的なるものの源泉はすべて本の中にある、といったのは松岡正剛校長ですが、だとしたら私たちイシス編集学校の稽古の歩みは、「本のパサージュ」の中を進んでいるようなものなのかもしれません。 稽古の傍らにあった本、途中で貪り読 […]
コメント
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2026-02-10
ハンノキの葉のうえで、総身を白い菌に侵されて命を終えていたキハダケンモンの幼虫。見なかったことにしてしまいたくなるこんな存在も、アングルを変えてレンズを向けてみると、メルヘン世界の住人に様変わりする。
2026-02-05
誰にでも必ず訪れる最期の日。
それが、どのような形で訪れるかはわからないが、一番ありえそうなパターンの一つが終末介護病棟での最期じゃないだろうか。沖田×華先生と言えば、自虐ネタのエッセイマンガでよく知られるが、物語作家としても超一流だった。深く死に向き合いたい方は、是非ご一読を。
(沖田×華『お別れホスピタル』)
2026-02-03
鋸鍬形、犀兜、鰹象虫、乳母玉虫、碁石蜆、姫蛇の目、漣雀、星枯葉、舞妓虎蛾、雛鯱、韋駄天茶立、鶏冠軍配、鶉亀虫。見立ては、得体の知れないものたちを、手近に引き寄せたり、風雅に遊ばせることの糸口にもなる。