私の28[花]キャンプは、吉阪隆正の建築思想【不連続統一体】の体験だった。場面ごとに異なる空間が次々と立ち現われてくる。よく分からないままに一周すると、ようやく建物を貫く原理のようなものが見えてくる。この「遅れて」やってくる全体性がたまらなかった。

編集かあさん家では、松岡正剛千夜千冊エディションの新刊を、大人と子どもで「読前読書」している。
数学とピタゴラス
『数学的』を手に、「数学的」で連想するのは?と小5になった長女に問うと「ピタゴラス」という言葉が返ってきた。
まさかの答えで、「何した人かは知ってる?」と続ける。
「知らない。けど、数学者だっていうのは知ってる」
子どもはピタゴラスの定理を習う前から、ピタゴラスをうっすら知っていた。
「ピタゴラスといえばピタゴラスイッチ。あれ、見てて気持ちいい」
数学的なものや物理的なものにつながる述語が「気持ちいい」なのは、Eテレの効用だ。
高2になった長男には、裏表紙の字紋が「虚」であることをネタにする。それから、虚数のi がなんの略であるかクイズを出してみる。 わかりそうでわからない、ギブアップだというのでimaginaryのi だと答えを言う。
私が高2の時で習った時は「虚」と言う響きに完全に混乱してしまった。虚とはどういう状態なのか? さっぱりわからずにつまづいた。その時、imaginaryであることを知っていたらきっと理解しやすかっただろうという思いで、クイズにした。ささやかなおせっかいである。16歳になると、もう子どもに勉強を教えるということはできない。
今思えば「実数」の反対だから「虚数」なのだった。
虚の世界と実の世界
数学のおもしろさをわかるには、教科書だけは足りない。教科書が悪いのではなく、実数と虚数のように、両方が必要なのだろう。
編集かあさん家では「実」の世界の中で、算数を遊ぶ時間を時々挟んできた。
4月はじめ、子どもたちと佐保川へ桜を見に行く。
「七分咲き」、いや、「八分咲きぐらかな」と話しながら、桜の咲き具合も、日本人は数学的に表現してきたのだと気づく。これって、外国にはあるのだろうか。
七分咲き、八分咲きの桜
帰り道、知らない公園があった。
「ブランコ、乗っていく」
ブランコを横から見たら、『数学的』の表紙の三角形に重なった。
ジャングルジムは正方形の組み合わせである。公園には「形」がいっぱいだ。
長女がすべり台を滑らずに、駆け上がる。「ここ、何度ぐらいかな? 45度はなさそう!」
バラエティ番組の「探偵!ナイトスクープ」で、45度以上の傾斜がある坂を人間は上れないという調査があった。分度器を使わなくても大体の角度がわかるのだ。
ブランコの三角
ジャングルジムの四角
数と数字
子どもに算数を教える時に、一番、手厚く教えたいと思ったのが数と数字の違いだった。自分がそれを考えないままに大学受験まできたことを、受験の前日にふらっと立ち寄った本屋さんで買った『数学のしくみ』という本で知った。
砂の上に建物を建ててきたような感覚の原因はそれだったのか。28年前の雷撃の読書がずっと残響していて、数学の絵本や図鑑をついつい買ってきた。
安野光雅の『ふしぎなたね』では、二つの実をつけるたねが何年も経つうちに数えきれないほど増えていくことが、若い男の人生に重ねた物語で語られている。
『はじめてであうすうがくのえほん』は、「1とは何か」や「水のかぞえかた」を大人と子どもで話しながら考えられるようになっている。
算数・数学の本棚
「ある」と「出す」
長男が小1のころ、「算数の問題って、答えを出すんじゃないと思う」といった。
例えば、5+3=( )という問題がある。
カッコの中にはもう考える前に8が「ある」という感じがする。それをわざわざ「問われる」ことにかすかな違和感があるようだった。
後に、長男は「あまりのある割り算」でつまづいた。パッと答えが見えない計算がどうしてもできるようにならなかった。物事を数字やスコアで見るのは習慣になっているのに、計算は今でもあまりできないという。
長女は、つまづかなかった。桁の大きいあまりのある割り算でも、「めんどうくさいな」と言いつつ、コツコツ筆算して答えに到達する。そんな長女を見て、長男は、みんなはどうやって脳を動かしてるんだろうとつぶやいている。
「読む」時に、脳の中で何が起こっているかのほとんどわかっていないのと似ていて、計算するときに何が起こっているのかも、まだまだ解明されていないのではないか。
「わかれる」と「くっつく」
『ノンちゃん雲に乗る』で、暗算が苦手なノンちゃんに、にいちゃんが「あんなものはわけないよ」と算術の話をするシーンが出てくる。にいちゃんの頭の中には数のかたまりがある。「5」が目にも止まらぬ速さで「4」と「1」にわかれたあと、「4」に「6」がピッとくっついて「10」になり、そこに「1」が静かに寄り添って「11」になったりするのだそうだ。
「とてもおもしろいよ、ノブ子も練習してごらん」とにいちゃんは語る。
数学の話をしていると、長女から「数学の研究ってよくわからない」と聞かれた。今やっている算数なら答えがある。計算していくと答えが出る。
数学の研究者が取り組んでいる「答えがわからない問題」ってどんなのなの? 科学なら実験するんだと思うけど、数学はどうやって研究するの? このQからEを、春から夏にかけて遊んでみる。
『算数の探検 いろいろな単位1』遠山啓著、日本図書センター
長女が8歳ぐらいの時、余白に落書きした問題「魚6匹と交換するにはきゅうりが何本必要?」
■「あそぼんvol.2 こくごエディッツ」
発行 子ども編集学校
編集 子どもプランニングフィールド
A5、20ページ
1冊500円、限定300部
購入はこちらから
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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2025-07-03
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2025-07-02
連想をひろげて、こちらのキャビアはどうだろう?その名も『フィンガーライム』という柑橘。別名『キャ
ビアライム』ともいう。詰まっているのは見立てだけじゃない。キャビアのようなさじょう(果肉のつぶつぶ)もだ。外皮を指でぐっと押すと、にょろにょろと面白いように出てくる。
山椒と見紛うほどの芳香に驚く。スパークリングに浮かべると、まるで宇宙に散った綺羅星のよう。
2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。