棚下照生。この忘れられたマンガ家が、最近、X(ツイッター)で話題になっていた(なぜかは知らないが)。大人漫画のタッチで劇画を描くという、今となっては完全に絶滅した手法が、逆に新鮮に映るのかもしれない。代表作『めくらのお市物語』は、連載当時、大変な人気で、映画やテレビドラマにもなったのだが、現在では、タイトルに問題アリで、復刊の目途もない。もしも古本屋で見かけることがあったら絶対買いです。
え? 結婚していたの? ええ? 子どもがいたの? と今回、何より驚いたのは、あの次郎兵衛兄さんに妻と三人の子どもがいたことではないでしょうか。店先でぶらぶらしているだけかと思ったら…。そんな兄さんも神妙な面持ちで(しれっと家族を紹介しつつ)席に連なった蔦重の結婚式でした。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第25回「灰の雨降る日本橋」
灰が恵み?!
翌日自動車で鬼押出の溶岩流を見物に出かけた。
(中略)
鬼押出熔岩流の末端の岩塊をよじ上ってみた。この脚下の一と山だけのものをでも、人工で築き上げるのは大変である。一つ一つの石塊を切り出し、運搬し、そうしてかつぎ上げるのは容易でない。しかし噴火口から流れ出した熔岩は、重力という「鬼」の力で押されて山腹を下り、その余力のほんのわずかな剰余で冷却固結した岩塊を揉み砕き、つかみ潰して訳もなくこんなに積み上げたのである。
寺田寅彦「浅間山麓より」
これは昭和8年に発表された寺田寅彦の随筆です。寺田が見物した鬼押出こそ、今回、蔦重の住む江戸にも灰を降らせた天明の浅間焼けで生まれたものでした。寺田は「峰の茶屋から先の浅間東北麓の焼野の眺めは壮大である。今の世智辛い世の中に、こんな広大な『何の役にも立たない』地面の空白を見るだけでも心持がのびのびするのである」とも記していますが、当時、そこにいた人々にとってはたまったものではなかったでしょう。ほんの一瞬ですが、不安そうに噴火する山を見上げていた新さん夫婦の表情がそれを物語っていました。
しかし、蔦重にとっては日本橋界隈の住民の心をつかむよい機会になりました。須原屋が田沼意知に抜け荷の絵図を渡し、その見返りとして吉原者が市中に店を持つことを認めさせた、とはいえ、肝心の日本橋界隈の連中がかたくなに拒むのであれば、店を出したとしてもうまくいくわけがない。
そこで、この灰です。浅間山噴火で飛んできている灰を手に受けた蔦重が呟く一言は、
こりゃ恵みの灰だろう
そして、女郎の古着を持って日本橋の「わが店」に駆けつけました。屋根瓦の隙間からの灰を防ぐために、古着を屋根や樋に敷き詰めたのです(さぁ、みなさんもナレーター・九郎助稲荷と一緒に「あ~あ(なるほど、納得)」をご一緒に)。
「てめぇの店をてめぇが守るってなぁ、当たり前でさぁ」
この言葉に突き動かされるように、日本橋の店連中もそれぞれの店に散っていきます。
さらに「灰捨て競争」を持ちかけます。道に積もった灰を早急に処分せよとのお奉行様からのご指示に対して、道の右と左に分かれてどちらが早く先に捨て終えるかを競争しようというもの。最初は非難されたものの、これまた蔦重の「遊びじゃねぇから遊びにすんじゃねぇですか! おもしろくねぇ仕事こそ、おもしろくしねぇと」
という一喝、と賞金──なんと蔦重に張りあって鶴屋さんがどーんと積み上げた賞金──につられて、ものすごい勢いで灰が片付けられていきます。
災害をきっかけに日本橋界隈の住民に耕書堂の進出を認めさせたのですから、蔦重、さすがの才覚でした。
人付き合い×教養
日本橋界隈の住民がよくても、肝心の丸屋、いえ、元の丸屋の女主人・ていにも納得してもらわねばなりません。明日、店を明け渡すという前夜、一人で店を清掃するていを手伝おうとすると、ていが話しかけてきます。
ていは蔦重を、陶朱公、范蠡(はんれい)になぞらえました。出発は軍人、その後、商人となって大成功し、得た富を人に分け与えて、また別の地に赴き、その地を栄えさせる。
「蔦重さんはぜひ、そのようにお生きになるとよろしいかと存じます」
そのような人に店を譲りたいと思っていた。
それは蔦重が聞きたかった、丸屋を本当に手に入れた、ということを実感できる言葉だったのではないでしょうか。
ちなみに、ていさんが陶朱公の話をしている間、目を白黒させていた蔦重は、日本橋に店を出すなら、ていのような教養があり、日本橋の店のことをよく知っている人を女房にしたいとプロポーズ。
ていさんは、早速、日本橋の流儀を教えはじめます、蔦重の目の白黒は倍増。え、これがプロポーズを受けいれたってことだったのですね??
歓喜すべき生命の現象
寺田寅彦は、亡くなる3年前から避暑のため星野温泉を訪れるようになりました。「沓掛」という随筆には、避暑の間に植物採集を愉しんだ様子が描かれています。
高原の夏の自然界に目新しさを感じ、牧野富太郎著『植物図鑑』を見ながら採集した植物の品種を同定する。あぶが擬宝珠の花の受粉に果たす役割をみて「利己がすなわち利他であるようにうまく仕組まれた天の配剤、自然の均衡」を思う。
こうして秋草の世界をちょっとのぞくだけでも、このわれわれの身辺の世界は、退屈するにはあまりに多くの驚異すべく歓喜すべき生命の現象を蔵しているようである。
寺田寅彦「沓掛」
灰かぶりですら面白くしようとした蔦重に、「歓喜すべき生命」を感じる、というと言いすぎかもしれません。しかし、蔦重のなんでも面白くしようとする心の持ちようこそ、彼を江戸の大プロデューサーとした原動力ではないかと思うのです。
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十七
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