べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四十二

2025/11/07(金)21:08
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 ついに。ついにあの人が蔦重を見捨てようとしています。が、歌麿の最後の台詞を聞いた時、しかたあるまいと思った視聴者の方が多かったのではないでしょうか。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 



第42回「招かれざる客」

 

 「耕書堂身上半減」を返上、書物問屋も始めることになり、蔦重、苦境を脱したかに見えます。さらに歌麿が書いた美人絵が大人気。なんと、江戸に「看板娘ブーム」とやらが沸き起こり、歌麿が書いた美人を一目見るために店先に大行列。売り物の茶やらせんべいやらも大高騰です。推しのものに値段はあってなきがごとし、というところでしょうか。
 ところが、インフレには一際口うるさい定信が絵に看板娘の名前を入れることを禁じます。これが蔦重と歌麿の関係にも大きな影響を及ぼすことになるのです。

 

仏の顔も三度まで

 

 さて、なぜ歌麿は蔦重と手を切ろうとしたのか。
 蔦重は、美人絵を大量生産するために、弟子に描かせ、歌麿は名を入れるだけにしろ、という。これは滝沢瑣吉に京伝の名で書かせた時と同じ手ですが、歌麿はそれにはのれません。蔦重は、世の中に金を回すために必要なことだと言うのですが、絵師、つまりアーティストの歌麿は

俺は一点一点、ちゃんと心をこめて描きてぇし、蔦重、本屋にもちゃんと向き合ってもらいてぇ

 

と躊躇します。蔦重、をあえて「本屋」と言いかえたところに、歌麿の本音が見え隠れしました。歌麿は、少しずつ蔦重と自分の関係を、絵師と本屋という関係に転化させたいのでしょう。一方で、自分の絵にきちんと向きあってほしいのは蔦重一人だったに違いありません。

 

 続いて、蔦重が踏んでしまった虎の尾は、美人絵に名前を入れてはならぬというお達しが発端となりました。歌麿が描いた江戸の三美人の一人は芸者の富本豊雛だったのですが、折角、ご指名が続いていたのに、名前を入れられないのでは吉原の売り上げにつながらない。見番、つまり芸者を取り締まるのがお仕事のりつさんが声を荒げたとおりです。
 蔦重は

女郎なら名を入れてだせる

 

といって女郎の大首絵の揃い絵を提案します。ところが亡八の親父さんもさるもの。入銀なしで絵を描かせ、その分、蔦重の借金を返したことにしては、と言ってきます。

 歌麿に絵を描く機会を与えたかったのもあるでしょう、吉原を盛り立てたいという気持ちもあるのでしょう、定信を見返したい気持ちもあったかもしれない。もちろん、耕書堂をつぶしたくない、というのも奥底にあったにちがいない。
 しかし、それでも、肝心の歌麿に聞かずに引き受けてしまったのは蔦重、暴挙です。

それ、借金のかたに俺を売ったってこと?

 

と歌麿は言いました。頭をよぎるのは母親に、子どもの頃に客を取らされていたという記憶です。信頼していた、恋慕の情さえ抱いていた人から、絵を描く力を勝手に切り売りされた。実の身売りよりも辛いことだったでしょう。

そしてダメ押しが

ガキも生まれんだ


でした。自分よりもおていさんの方が大事。これが歌麿の心をずたずたにしてしまいました。

 

もう蔦重とは終わりにします

 

といった「終わり」には、仕事に自身の恋心を重ねての言葉だったように思うのです。

 

 

歌麿の読み方のひとつ

 

 前回の「べらぼう絢華帳」ではエドモン・ゴンクールで歌麿をご紹介しましたが、今回は小説の中の歌麿です。
 作者の藤沢周平は『喜多川歌麿女絵草紙』のあとがきで、

浮世絵師という存在に惹かれるのは、彼らの描き残した作品が、官製の匂いをもたず、自由に人間や風景を写していることのほかに、もうひとつ、彼らの素性のあいまいさということがあるように思われる。わからないものほど、興味をひくものはない。


と書きました。これが歌麿、と押し付けるのではなく、こうも考えられるのではないか、という見方の一つです。
 この小説と、大河ドラマ・べらぼうの共通点は、蔦重と歌麿の間に距離が出来ていること、そして、女を丁寧に描きたい、その内面までも、という絵に対する姿勢でしょうか。しかし距離が出来た理由も、対象とした女性との関係も、小説とドラマとではまったく異なっています。大体、この小説における蔦重は無口な本屋ですし。
 それでも、浮世絵界の頂点にいながら、自身の力の衰えを自覚し始めた歌麿に「筆が荒れているのではないか」と指摘することができたのは蔦重だけだったのです。小説の中で、軽い盃のやりとりで二人の間のこだわりが消える場面があります。べらぼうでも、またそのような機会がおとずれるのでしょうか。


 

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