松岡正剛様。あなたはよく「代理」の重要性を語りました。「代」というのは不思議な、編集上大事な考え方だと、私は理解していました。
私は今そのことを思い浮かべながら、しかし、あなたの代わりになる人は、この世界のどこを探してもいないのだ、と大きな痛みとともに、改めて思い至っています。心の深淵に沁み込むようなあなたの声。突然、宇宙にも古代にも飛んでいくそのスピードと視野。包み込むことと容赦しないことが両立する、厳しいディレクション。そのどれも、あなたしか持ち得ないものです。
ならば、あなたを失った今、何もかもが終わりになってしまうのかと言えば、そうではない。そのことにも気づきました。代わりはいなくても、方法は残ったのです。
あなたは、ご自身の個人的な業績や名誉に執着したことがありませんでした。自らを、多くの人が学び使うことができる「方法」の側に絶えず開いていって、スタッフや学衆を含め、人々と共有できる方法を、開発し続けました。その時間と努力は、途方もないものでした。その結果、私たちには「方法」が残されました。
あなたはその方法の多くを言語化し、仕組み化しておいてくださった。その方法と仕組みは、イシス編集学校の師範代や学衆が使えるものとして、今日もこれからも、駆使されていくことでしょう。集うことができない多くの人々もまた、著書の中で能力とはそもそも何なのか、知ることができるでしょう。あなたの声も姿も動画や写真に残されています。記憶の奥を探せば、それは清涼な泉のように絶え間なく湧き出てきます。しかしもう、これから起こることに応えてはくれないと思うと、暗い空洞が、すぐにあいてしまうのです。
それでも、終わりにはできません。もう一度ここから始めたいのです。イシス編集学校の学びの方法を中核にして、本楼ではAIDAやさまざまな連が常に座談し、遊刊エディストが連打され、近江ARSが向こう側で動き続けている。そういう場を、再び作り続けたいのです。
それらの動きの中からこそ、さらに新たな方法と言葉が生まれるに違いありません。それはもしかしたら、古代の人が期待をこめて「福音書」と呼んだ、一連の出来事のようなものなのでしょうか。
正剛さんが最後に見ていたものはディストピアでした。それはやがて刊行される『昭和問答』の、苦しい息のもとで紙に書きつけた、短い「あとがき」で、皆に開かれるでしょう。ディストピアは、それ以上暗黒にはならない「始まりの地」です。足を蹴って浮かぶしかない水底です。
あなたのいないディストピアから、私たちはもう一度、出発します。あなたの代理はどこにもいない。しかしその面影をめざす私たちが、無数の「代」として、底を蹴り上げ、飛び立つ時がきたのだろうと思うのです。
ISIS co-mission 田中優子
『昭和問答』対談中の写真
田中優子
法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。『江戸の想像力』(ちくま文庫)、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)、松岡正剛との共著『日本問答』『江戸問答』など著書多数。2024年秋『昭和問答』が刊行予定。松岡正剛と35年来の交流があり、自らイシス編集学校の[守][破][離]コースを修了。 [AIDA]ボードメンバー。2024年からISIS co-missionに就任。