発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

ぼくは半熟の議事録係だった。
君にぴったりな面白い会があるから参加してみないか? 大学生だったぼくは、いまから考えても不思議な会に誘われた。参加者は当時三十代の官僚やビジネスマンが中心で、彼らを束ねる塾頭という立場にいたのは当時、経済産業省の官僚だった鈴木寛(すずかん)で、ぼくを誘った張本人。その会の塾長として毎回、講話をされていたのが松岡正剛さんだった。塾の名前は半塾といった。30代だから半熟というのはぴったりだろうというしゃれだ。
唯一の20代で参加させてもらうかわりに、松岡さんが話したことのテープ起こしをするという議事録係の仕事を拝命した。たしか、友達の紹介で霞が関の近くの喫茶店ですずかんと会ったぼくは、民主主義の限界について悩んでいるとかそんな話をした記憶がある。初対面だったにもかかわらず、きっと憐れんだすずかんさんが、刺激になるかと思ってそんな機会を与えてくれたに違いない。
半塾ではいろんな話題があったが、松岡さんは日本文化の特徴について多くを語っていた。それは後に「うつろい」や「おもかげ」という言葉を中心に語られることになる。なにも存在しないところにすべてを生成するちからがある、空と全のリバースモード、それが日本という方法だというのだ。
だから、ぼくは文章から松岡さんの存在を知ったのではなく、入口はその語りからであった。それはもう、べらぼうに面白かったし、刺激的だった。松岡さんは、桑田佳祐を語るときもジェイムズ・ジョイスを語るときも、カオス理論を語るときも万葉集を語るときも、その語り口は一緒だった。それらがくっついて、いりまじって、奇妙な感動を覚える洞察を導くのだ。語りを直接聞いて膝を打ち、文字起こしをしながらまた深く考える、そんな時間だった。いまでも松岡さんの本を読むときは、松岡さんの声が聞こえる。きっと議事録係の職業病なんだろう。
松岡さんは、まさにうつろいの人だった。とどまることを知らず、変わり続けることを体現しようとした人だったと思う。その評価を没後ですら固定化させようとしたら、うつろうということがどういうことなのかわかってないと叱られてしまうだろう。人間はみな半熟なんだよと。松岡さんから直接なにを学んだかといえば、あなたは何者かと問われてもそれを同定させることを拒否するかのような生き様だったかもしれない。
そして、松岡さんは、うつろいを体現しただけではなく、そのように世界を観るための手法が再現可能であると思っていた。だから、編集工学なんていう不思議な言葉を生み出して、学校まで作ってそれを多くの人に伝えていったのだ。
そんなISIS編集学校という学校のco-missionによんでもらって、いよいよ一緒にいろんなコラボができるかなと思った矢先であった。もっといっぱい話しておけばよかったなと思いながら、カリフォルニアの青空を見上げる。消えゆく飛行機雲の中に、松岡さんがくゆらすタバコのおもかげが重なる。あなたの広範な仕事の全体をひとりでカバーすることは難しいけれど、すくなくともあなたの志の一部は引き継いでいくので、見守っていてください。
ISIS co-mission 鈴木健
鈴木健
2009年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士。東京大学特任研究員。著書に『なめらかな社会とその敵』(勁草書房)など。「世界中の良質な情報を必要な人に送り届ける」ことをミッションに、2012年にスマートニュース株式会社を共同創業。2014年9月SmartNews International Inc.を設立し、現在は米国に在住。2023年、編集工学研究所が主催する「ISIS FESTA. 情報の歴史21を読む」にゲスト講師として登壇。
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。