本連載は「越境ジャンキー」であるワタクシ(高橋)が、これまでハマってきた様々なモノへの「フェチ」を起点に、ヨコやナナメへと遊行/連想を広げつつ「編集」を語ってゆくコーナーです。
「フェチ語り」を起点に「編集を語る」端緒として、前回は「給水塔」について言及した。給水塔は、広い区域に水道水を安定供給するために「高所に水槽を配置し/水圧を補う」機能を有する。周囲よりも背の高い構造物となるため、地域の「ランドマーク」としての役割を担うことも求められた。それ故、世界各地に実に様々な形状の給水塔が誕生することになったのである。
以下にその一例として、日本の団地給水塔の多様な姿形を示す。団地というと「標準化された住棟」がフラットに立ち並ぶイメージがあるが、こと給水塔に関しては「ランドマーク」の機能を担うため、実に多様なバリエーションが存在する(写真撮影:筆者)。
A:東京都の団地に多いのは、エノキ(左)と懐中電灯(右)の二種だが
B:メガホン、ネジ、ハンマー、櫓、ラムネなど多様な変種がある
C:大阪府の団地給水塔はその異形具合が突出している(赤い給水塔!)
D:関東近県にも、エノキの変種、一点モノの異形給水塔などが存在
この「姿形の多様性」こそが、「あつめて/わける」タイポロジーを誘発/惹起するのだろう。前回言及したベッヒャー以外にも、給水塔の写真集は日本国内でも既に数冊出版されている。
その中のひとり、写真家の比留間幹は「予想だにしない大きさと形状で突如、町なかに現れるその姿」に圧倒され、被写体として給水塔を追い続けながら、次第に「自分は媒体にすぎない/撮っているのではなく撮らされている」と確信するに至ったという。
出典:比留間幹(2015)『給水塔 Beyond The Water Tower』リトルモア
M・セールの「準-客体」を起点に、B・ラトゥールらによって提唱された「アクターネットワーク論(ANT)」は、ヒト(主体)がモノ(客体)を観察・分析するという近代の世界観を覆した。そこでは「ヒトがモノに働きかけコトを起こす」のではなく、モノがアクターとなって、エージェントであるヒトとの関係を仲介的に取り持ちながら、コトを起こしてゆくという関係性の逆転が提示されている。
比留間が給水塔から感じたという感覚は、このANTの考え方と重なるのではないか。そして、このモノ主体の存在論を紐解く鍵になりそうなのが、モノ自体の力を紐解く「フェティシズム」概念の形成過程、そしてANTの登場により改めて問い直されている「アニミズム」という相互包摂的な存在論なのである。
そういえば、守の編集稽古001番「コップは何に使える?」では、当初は辞書的な抽象のコップを軸足に連想をしていたのが、気が付けば「具体にイメージしたコップ達の形状/質感/重さ」などにアフォードされて連想を広げている。まさに「ヒト主体」だと思い込んでいたら、いつのまにか「モノにヒトが導かれる関係」へと反転しているのだ。
ということで、モノに宿る力の不思議を少しづつ紐解きながら、次回以降もユラユラとモノ達と戯れてゆくことに。
併せて読みたい千夜千冊!
高橋陽一
編集的先達:ヘッド博士の世界塔。古今東西の幅広い読書量と多重なマルチ職業とディープなフェチ。世界中の給水塔をこよなく愛し、系統樹まで描いた。現在進行中の野望は、脳内で発酵しつつある物語編集の方法を「社会実装」すること。
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