電気グルーヴのテクノ情報生命―52[守]師範、数寄を好きに語る

2023/11/21(火)12:09
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数寄のない人生などつまらない。その対象が何であれ、数寄を愛でる、語るという行為は、周囲を巻き込んでいく――。
52期[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイシリーズ。今回は高校時代に電気グルーヴを聞いて人生を踏み外し、52〔守〕開講直後にもZeppNagoyaでのライヴに赴き「感動のあまり寿命が10年延びた」という石黒好美師範による「テクノ・日本・電気グルーヴ」の三位一体リミックスだ。


  酸素は猛毒なのだ。

 原初の生命である嫌気性細菌にとって、強い酸化作用で糖も脂質もタンパク質も核酸も壊してしまう酸素は毒ガスに他ならなかった。ところが、27億年前に出現したシアノバクテリアは、あろうことか光合成によって地球に酸素をどんどん放出し始めたのである。

 

 電気グルーヴは日本のテクノシーンにおけるシアノバクテリアだ。

 かつて日本でテクノといえば「テクノポップ」であった。シンセサイザーで作られた音楽ジャンルを指す言葉でありながら、テクノポップは音楽そのものよりも、それにまつわるファッションや思想の方が偏重されていた。60年代、70年代の熱い政治と闘争の季節、そしてその敗北を経て、80年代の人々は重苦しい重力から逃れるようにクールな態度と感情を排したプラスティックな文化を求めたのだろう。

 

◆Come and join the TECHNO Union!

 石野卓球は違った。11歳でYMOと出会ってからというもの、電子音そのものにフェティッシュな愛を注ぎ続けていた。それ故にテクノポップに代表されるような80年代のスノビズム、上辺だけ気取ったバブル期の成金趣味にうそ寒いものを感じるセンサーが鋭くなったのだろうか。1991年に始まったラジオ番組『電気グルーヴのオールナイトニッポン(ANN)』で執拗に繰り広げられる露悪的なジョークやくだらなさを極めたバカ話は、バブルの幻想にしがみついたままの社会へ嫌がらせのような異臭を放っていた。

 しかしこの毒ガスをこそ求めていた生物がごまんといた。トレンディドラマにリアリティを感じられなかった多くの若者たちが、深夜にひとりラジオに向かっていたのだ。

 

 テクノポップ一辺倒の日本をよそに、シンセサイザーが反復するビートを奏でる「テクノ」は世界各地で「セカンド・サマー・オブ・ラブ」とまで呼ばれる大きなムーブメントになっていた。海外でこれを体験した石野は、ANNで猛然と「テクノ」をかけ始める。マニアックな1ジャンルにすぎなかったテクノがANNの翌日には飛ぶように売れ出した。「レコードで聞け」「クラブに行け」石野は「テクノの楽しみ方」にも熱弁を振るった。

 

 ステージで演奏するスターを崇めに行くコンサートではなく、「テクノ」は演奏者と観客の境界が曖昧な「クラブ」や「レイヴ」が主体だ。さらに、テクノのクラブは80年代のディスコのように着飾って行く社交場でもなかった。石野は野田努との共著『テクノボン』で、ロンドンのクラブのフライヤーに「汗をかいても大丈夫な服で」とあった驚きを述べている。気取らずに出かけて、それぞれが思い思いに楽しみながら、緩やかなつながりを作っていく。主義主張や党派制で結束する集団でも、知識やセンスの良さをひけらかし合うサロンでもなく、個人がつながりあう方法がそこにはあった。電気グルーヴが発する酸素は皮肉から「テクノ」そのものになっていった。リスナーが求めていたのは、新たな共同体の姿だったのだ。

テクノのパーティの様子。(クリアで迫力のある音質で国内外からのDJやテクノ・ファンに定評がある名古屋のClub Magoにて)

 

◆美しさを増す電気グルーヴの楽曲

 かくて石野卓球はRNAウイルスとなった。

 石野は欧米で生まれたテクノのDNAをコピーし日本の音楽シーンのあらゆるセントラルドグマに入り込んで行く。コミカルなラップを封印し、テクノに振り切った電気グルーヴのアルバム『VITAMIN』『DRAGON』のヒットを後ろ盾に、ソニーから海外の最新のテクノ・ヒット曲を集めたコンピレーション(『電気グルーヴのテクノ専門学校』)や、馴染みの薄かったDJというアート・フォームを啓蒙すべく『MIX-UP』というテクノのDJミックスCDを連打する。篠原ともえをはじめとする女性アーティストのプロデュース、岡村靖幸、Cornelius、少年ナイフ、エレファントカシマシ、安室奈美恵など様々なジャンルのアーティストのリミックスを手がけ、J-POPのフォーマットに次々と「テクノ」を感染させていった。

 2002年には横浜アリーナで日本初かつ日本最大の屋内レイヴ『WIRE』を開始する。当時、石野は「本当はWIRELESSで繋がれるのがいいけど、まだWIREが必要だから」と語っていた。ヨーロッパのレイヴの型を守り、その型をうつす。それは日本と日本の音楽シーンの閉塞感を破り、旧来の常識から離れて新たな共同体のフォーマットを作る試みだった。

 

 21世紀に入り、DJもクラブもテクノも珍しいものではなくなった。電気グルーヴはメンバーが脱退したり一時は活動を休止したりしつつも、『Shangri-La』『FLASHBACK DISCO』『Nothing’s Gonna Change』『TROPICAL LOVE』『Set you Free』と、気の遠くなるように美しい楽曲を世に出し続けている。震災と原発事故、終わらない不景気、野放図なポピュリズムと、世の中が底が抜けたかのようになればなるほど、今度は電気グルーヴのほうが真っ直ぐに人間と世界の可能性を信じる態度を取っているように見える。今も彼らは猛毒であり、エネルギーの源泉でもあるものを放出し続けているのだ。

 

(文・写真・イラスト/石黒好美)

  • 石黒好美

    編集的先達:電気グルーヴ。教室名「くちびるディスコ」を体現するラディカルなフリーライター。もうひとつの顔は夢見る社会福祉士。物語講座ではサラエボ事件を起こしたセルビア青年を主人公に仕立て、編伝賞を受賞。