02:モノオトに耳を澄ます【高橋陽一の越境ジャンキー】

2022/06/13(月)08:38
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 前回は「給水塔の多様な姿形」を起点に、「モノに宿る力の不思議」を紐解いてみた。今回は、モノの姿形を見るという「視覚」だけでなく、モノの音に耳を澄ます「聴覚」にもこだわってみたい。そこで、この「モノオトとヒトの関係」を紐解くために、まずは1910年代の「モダニズム」の時代に遡ってみることにする。

 

モダニズムとモノオト:サティとルッソロ

 

 1910年代といえば、エリック・サティが「家具の音楽」を着想し始めた頃である。サティは「傾聴すべき対象(図)」であった筈の音楽を、自らを取り囲む環境(地)に後退させ/カーソルを向けないよう仕向けた(その背景には、蓄音機などの普及により「音楽を聴き流す」ようになった、当時の人々への皮肉という面もあったようだ)。サティの狙いはおそらく、そのネーミングから連想するようなモノオト(環境音)に耳を澄ますような「家具の音楽化」ではなく、図を地へと入れ替える「音楽の家具化」を通じて「音楽とヒトの関係」を問い直そうとしたのだろう。

 

 そして同じ頃、まさに「モノオトの音楽化」に着目したのが、未来派の画家であったルイージ・ルッソロである。非楽音である雑音(モノオト)に新たな可能性を感じたルッソロは、1913年に「The Art of Noises(雑音芸術)」という宣言文を発表。主だったモノオトをオノマトペを駆使し六つに分類すると、それらを楽器のように鳴らすことができる装置「イントナルモーリ」を開発し、雑音オーケストラを編成した。

 

 1914年4月の「未来派音楽会」で、ルッソロは指揮者かつ演奏者として、ステージ上の16台の「イントナルモーリ」の間を飛び回っていたという。当日の雑音オーケストラの編成(使用したイントナルモーリの種類)は、ブンブン型3台、ダンダン型2台、ヒューヒュー型3台、ゴロゴロ型1台、ガラガラ型2台、ドクドク型2台、ガシャガシャ型とキーキー型とゴーゴー型が各1台であったという。

 

 なお、未来派の過激なイメージから、ルッソロに対しても激しい騒音(工場や戦場など)への偏向をイメージしがちだ。しかし、1916年に執筆した『自然と生活の騒音』で、彼が「ごくわずかな物音」に深く耳を傾けることの重要性を指摘している点は見落としてはならない。このように、人々のカーソルが向かわない微かなモノオトにまで耳を傾け/環境へと意識を開くことで、ルッソロは「モノとの新たな関係の構築」を模索していたのかもしれない。

 

  • ルッソロの面影を感じる後継者たち
    :フランソワ・ベイル(シェフェールとシュトックハウゼンに師事)は、コマの回転音などの具象音に電子音を巧みにブレンドする名人芸が光る!
    :ハリー・ベルトイア(ワイヤー家具のデザインで有名)の「サウンド・スカルプチャー」は、ベリリウム銅フェチが生み出した新たなイントナルモーリだった?


植物とのインタラクションに耳を澄ます:プラントロン

 

 音楽を環境音へと反転させたサティ、そして本来の環境音(非楽音)から音楽を聴き取ったルッソロ、この二人のモダニストによる「地と図」のダブルターンが、ジョン・ケージへと引き継がれ、沈黙(サイレンス)を介してモノオトに耳を澄ます『四分三十三秒(1952年)』として結実する。

 

 そして時は流れ、1990年代になると「音を発しないモノ(モノのサイレンス)」に耳を澄ますという新たな動きが現れる。それが、植物の生命活動を音に変換する「プラントロン」というシステムだ。銅金裕司が基本システムを開発し、藤枝守がサウンドシステムを構築した「プラントロン」は、1992年にインスタレーション作品として展示巡回した後に、1994年に「エコロジカル・プラントロン」としてCD化された。

 

 

 「プラントロン」は、植物の葉の表面でセンシングされた電位変化を「譜面上の音高」に変換した後、シンセサイザーで鳴らすというのが大まかなシステム構成のようだが、実際に鳴っている音に耳を傾けると、チョロチョロと水が流れるような旋律の背後で、雅楽のような持続音が何層にも重なってユッタリ鳴っているのがわかる(後者は、同じデータに対して「音高の変化をゆっくりさせる」フィルターをかけているらしい)。


 ここで重要なのが、そのままでは意味を捉え難い「電位変化(波形)」について、ヒトが慣れ親しんできた音楽の構造(ここでは雅楽というアーキタイプ)に転写(スコア化)し、ヒトから植物への働きかけのフィードバックを音として感じ/聴き入ることで、物言わぬ植物とのインタラクションを模索している点にある。

 

 「エコロジカル・プラントロン」は、これまで廃盤で入手が難しかったのだが、2022年に待望のリマスター再発が行われた。そのブックレットの冒頭で、植物がヒトに語りかけてくるという古老の言葉を引きながら、植物にヒトが話しかけると/植物がそれに応じてヒトに話しかけてくる、そんな装置として「プラントロン」を構想したと銅金は述べている。


 「プラントロン」が明らかにしたように、モノの内部に潜んでいる「スコア化可能性」を手すりとすることで、ヒトとモノとの関係性はより相互包摂的になってゆくのかもしれない。今回の「エコロジカル・プラントロン」の再発は、そんな可能性を改めて考える契機になった。

 



 ところで、今回のエディスト記事は「エコロジカル・プラントロン」の再発が契機だったのですが、そのことをエディスト編集部で呟いたところ、46破師範代時に同じチームだった品川師範代が、藤枝守さんと「ひびきの旅」というイベントを共同企画・運営されていることを知りました。

 

アートカフェ・トーク「ひびきの旅」 〜 第1期「ひびき」を弾ずる 〜

記事:https://sasatto.jp/article/entry-1710.html

公式:https://faam.city.fukuoka.lg.jp/event/14300/

 

 さらに、九州でのイシス編集学校の活動母体ともいうべき「九天玄氣組」の皆さんとも、藤枝さんが親しくされていると伺い、これはもう「博多詣を計画しなくては」とアワアワする高橋なのでした/汗

 

参考資料:

秋山邦晴「現代音楽をどう聴くか」晶文社(1973年)
藤枝守「響の生態系」フィルムアート社(2000年)
銅金裕司/藤枝守「エコロジカル・プラントロン」エム・レコード(2022年)
François Bayle「Erosphère」INA-GRM(1990年)
Harry Bertoia「Sonambient」Sonambient(1978年)

 


  • 高橋陽一

    編集的先達:ヘッド博士の世界塔。古今東西の幅広い読書量と多重なマルチ職業とディープなフェチ。世界中の給水塔をこよなく愛し、系統樹まで描いた。現在進行中の野望は、脳内で発酵しつつある物語編集の方法を「社会実装」すること。

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