はじめてみちのくの夫の実家に行った帰り道、「どこか行きたいところある?」と聞かれてリクエストしたのは、遠野の近くにある続石だった。「よし、東北を探究するぞ!」と思って、そのころ何度もページをめくったのは、『荒俣宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅』(実業之日本社文庫)。なんとも香ばしく妖しいスポットがたくさん載っていた。その中のひとつが、二つ並んだ石の上に幅7メートルもの巨石が乗っている「続石」。『遠野物語拾遺』第11話に「続石は、此頃学者の謂ふドルメンといふものに良く似て居る。」とあり、古代人の墓とも言われている。巨石まで10分ほど歩く山道で足元を見ると、ちいさな流れの底がきらきらと輝いていた。砂金だった。みちのくという異郷にいることを感じた。
それから、荒俣・高橋両氏がとりわけ熱をこめて語っていた丹内山神社にも行った。遠野の西隣、花巻市の南東部にある。ここのご神体は、高さ3メートル以上あるアラハバキ神の磐座。アラハバキ神とは、縄文から信仰されてきた神、先月の龍にもつながりそうな蛇の神、境界を守る塞の神、陰陽和合の神、足の神、旅の神、製鉄の神、とさまざまな謂れのある、記紀神話に登場しない謎の神だ。そしてなにより、エミシの神であった、という説がもっとも定着している。平安初期に征夷大将軍としてエミシ征伐をおこなった坂上田村麻呂は、アラハバキの神をおそれ、ケヤキの一本彫の仏像として日本一の4.73メートルの毘沙門天を、丹内山神社を睨むように祀ったという。
東北有数の温泉地、鳴子温泉郷の中に、鬼首と呼ばれる地がある。その名は岩手山に住んでいたエミシの長、大武丸を田村麻呂の軍が斬首した際に、その首が飛んできたと伝わるところから来ている。鬼とは、大和朝廷を築いた人たちとは多少風貌の異なっていた、エミシだったのだ。
その死をもって「征夷の時代は終わった」とされたエミシ、アテルイは遠野・花巻に接する奥州市を本拠とした。そのすぐ南に平泉がある。奥州藤原氏は、産金や独自の北方貿易を背景に平泉を京に次ぐ都市にした。その初代・清衡は、自らを「東夷の遠酋」「浮囚の上頭」、つまりエミシの頭と名乗っていた。
平泉の中尊寺には清衡からはじまる4代のミイラ化した遺体が眠っている。その頭骨をさまざまな角度から測った数値を、中世鎌倉人・アイヌ・現代東北人・現代京都人と比較した研究があった。その結果は、奥州藤原氏は鎌倉人やアイヌよりも東北人に近く、それよりも京都人に近い、というものだった。それもそのはず、清衡の父は、平将門を追討した藤原秀郷の6代子孫、京都の藤原氏の血を引いている。
ただ、面長・狭くて高い鼻などの「貴族的特徴」で見ると、清衡・基衡・秀衡の三代は、「個体間変異」がかなり大きいという。基衡は徳川将軍家と同じぐらい貴族的で、清衡・秀衡は時代や地域を問わず貴族的特徴の弱い一般集団に近い。親子なのに、しかもその間の基衡だけなぜ、ほかのふたりから離れているのか。あたりまえのことだけれど、子どもは父から生まれてくるのではない。基衡の母は「北方平氏」とされる京都系の女性、清衡・秀衡の母はエミシの一族・安倍氏の女性だった。だから、京の人とエミシの面差しが異なるほどに、三代の印象は違っていたのだろう。
「鬼」と名指したものをおそれ、豆を投げながら、この身の内にもその「鬼」が宿っているかもしれない。それは父方だけを追った一本の系図ではわからない。それでは10代前でも1/1,024だ。残りの1,023人(先祖の同じ人もいただろうから、もうちょっと少ないかもしれないけど)はどこでなにをしていたんだろう。
「鬼」という言葉は、「隠(オヌ)」からきているという説がある。隠れているということは、はじめから存在していたのだ。この目に見えてなかっただけで。この国には、「反」の歴史も「裏」の生も、もとは「外」だったところもあった。まだ鬼は隠れているのだろうか。「もういいよー」と言いながら、見つけられるのを待っている鬼がすぐそばにいるかもしれない。
参照文献:「再考・奥州藤原氏四代の遺体」 埴原和郎(2011年)
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/6200
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林 愛
編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。
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