君のクイズを日常に-アブダクション考-【おしゃべり病理医72】

2023/07/16(日)08:40
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◆アブダクション・ブーム

 

イシス編集学校で学んでいると、編集学校内で当たり前に使われてきたキーワードが、世の中でにわかに取り上げられ始める、ということがよくある。“編集学校あるある現象”の筆頭にあがると思っている。

 

最近は、chatGPTへの関心の高まりに伴い、言語や思考についての学術書が注目されることも増えたせいか、「アブダクション」という言葉をよく見聞きするようになった。例えば、今井むつみさん・秋田喜美さんの『言語の本質』(中公新書)では、人間の言語習得の謎を解明するうえで、オノマトペの効能とともにアブダクションに注目している。

 

 

先日開催された大澤真幸さんの編集工学特別講義でも、一番の重要キーワードとしてアブダクションがあげられていたが、さすが社会学者の大澤さんは、アブダクションという言葉が持つ歴史思想的、かつ社会的な深い意味(これをイシス編集学校では「アーキタイプ」として学ぶ)について解説してくださっていた。


◆アナロジーとエディティング・ハイ

 

大澤さんの講義で、久しぶりに私は“エディティング・ハイ”になった。かつて競泳選手コースに所属していたこともある私の夫は、しばらく泳いでいると、このままどこまでも泳げそうなスイマーズ・ハイ状態に到達できるらしいのだが、私は25メートルを泳ぎ切るのがやっとな自称“陸の女”だし、かつ、持久力不足ランナーのため、スイマーズ・ハイもランナーズ・ハイも残念ながら体感したことがない。でも、自分の思考がどんどん速く広く深くなっていくようなエディティング・ハイ状態になることはあって、自分にとってとても大事な編集契機となっている。

 

みなさんもきっとそれぞれの「エディティング・ハイ」があるんじゃないかと想像するのだが、私の場合はどんな状態かというと、ある何かの考察から枝葉のように次々と考察が重なっていく感じである。大澤さんの講義の時も、集中して話の文脈を追いながらも、頭の一部では、話の中に登場するいくつかのキーワードが連鎖的にトリガーとなり、幾筋もの別の思考が同時並行で進んでいった。途中で、大澤さんのお話に自分の思考が三つ編みのように絡み合い、一気に、色々なものがつながっていく。とても爽快な感覚なのだ。

 

大澤さんは講義の中で、その状態を「アナロジーに近いかもしれない」とおっしゃった。いや正確にはそうではない。大澤さんがそう言ったことに対して、ハイな状態の私が、今の私のことを大澤さんが説明してくれたと勝手に思ったのだ。往々にしてエディティング・ハイな時は、“なんでもつながっちゃう状態”なので、後で冷静になって、今の私のように書いてみながら再検討することが必要になる。

 

大澤さんは、千葉雅也さんの『勉強の哲学』(文藝春秋)も紹介された。この本を読んだのは数年前だが、私もとても印象に残っている。「勉強とはなんぞや」の哲学的考察があり、それを踏まえながら後半部はかなり実践的な勉強の方法が語られていて、こんなに概念的なことから実践論につなげられるのはすごいなと思っていた。そして何より目次から面白いのも特筆すべき本書の特徴であると思う。大澤さんもとても面白い本なんだよと紹介しつつ、「唯一、ここだけは僕とは違うなと思ったんだけど」と、こんなことをおっしゃった。

 

 

「千葉さんは、勉強しなくちゃいけないことが多くてどれから手をつけていいかわからないと思うことがあるだろうというけれど、僕はそういうことは全くない。“これしかない”と思う、ただひとつのことがあって、そこから手をつければ、他の部分はおのずとつながっていくのだ」と。さらに「それはアナロジーに近いかもしれなくて、実に愉快な体験なんです」と続けた。

 

つまり、大澤さんは私の表現でいうところのエディティング・ハイな状態で勉強しているのである。アナロジーの連鎖によって、つまり類似するもの同士が思考を継続させる手すりとなって、おのずと学びのルートがつながっていくのだ。

 

そして、アナロジーの連鎖によって形作られるものこそが「アブダクション」である。大澤さんの講義自体の構成も、ちょっとした事例が小さな仮説となっていて、講演のキーワードであるアブダクションにそれぞれ接続するように組み立てられている。すなわちいくつものアブダクションで構成されているのだ。

 

◆大きすぎる世界と小さなオタク

 

大澤さんの編集講義では、真理から疎外された状態にある現代社会において、アブダクションは「世界からの呼びかけ」に応答する究極の方法なのだと語っていた。真理が見つからないということは、言い替えるならば「生きる意味が見出せない」ということだろう。世界に主体的に関わっている充足感に多くのひとが飢えているのである。

 

さらに、大澤さんは、現代社会におけるオタクを「世界にコミットしたいのにできない、という飢餓感を埋め合わせるために、自分が好きな小さなもので無理矢理、世界を写像しようとする人々のこと」と定義づける。さらに、小川哲『君のクイズ』(朝日新聞出版)を例に挙げて、クイズというのはオタクのオタク、メタオタクであると看破した。

 


たしかにクイズのプレイヤーは様々なジャンルの知識を網羅しながら、「クイズに答える」という行為で世界を写像しようとしているといえる。とても面白い視点だ。

 

ただ、ここで私の中にふたつの疑問が生じる。ひとつは、「世界とは何か」という疑問、そして、「オタクもアブダクションをしているのどうか」という問いである。

 

「世界」とは何か。私にはうまく答えられそうにない。社会と世界の違いも正直なところぼんやりしてしまっている。世界に似た言葉に「世間」もあるけれど、世間と世界の共通することと違うことはなんだろう? エディティング・ハイなため、類似的な情報がいくつもの問いを生み出していく。

 

少なくともふだんの生活において、世界そのものについて考察することはほとんどない。自分が参加しているなんらかのコミュニティから疎外されたと感じることはあっても、世界そのものから疎外されているとは実感を持ちにくい。世界はあまりに全体的な言葉だし、大きすぎて捉えどころがなさすぎる。だから、大澤さんのアーキタイプ的なアブダクションの説明が強く印象づけられた一方で、それならば「いったい私たちはどうしたらいいのか? そこまで深い意味を持つアブダクションをいったいどうしたら実践できるのか?」という新たな問いも生まれた。

 

松岡正剛の編集工学における編集は、情報を扱うことすべてを含む。情報をインプットしてアウトプットする。その間の過程はすべて編集である。だから朝、目を覚まして、夜、布団に入るまで私たちは無意識に編集をし続けている。だとすれば、アブダクションにたとえ歴史思想的な深い意味があるとしても、まずは日々の生活の中でのアブダクションを考えてみたい。いきなり世界を考える前に、今、会話をしている相手や目を向けている本や調理しようと手に取った食材から考えたい。

 

自分の身の回りのあらゆるものは、“世界の断片”である。世界の断片それぞれとのコミットメントの方法だってアブダクションである。会話をしている相手、手に取った本、そして食材というそれぞれの世界ピースに対して、主体的にコミットする実感があり、それが積み上げられれば、世界から疎外されているという感覚は少しでも薄れるのではないか、そう思う。

 

◆君のクイズを日常に

 

では、オタク、しかもオタクのオタクと大澤さんに定義づけられたクイズのプレイヤーは、アブダクションをしまくっているのだろうか。たぶん、そうなのだろう。人気番組の「東大王」の面々は、世界からの呼びかけに応答しているという快感を解答ボタンを押すたびに感じているように見えるし、実際、「問題!」と号令がかかってから、ただひとつの正解にたどり着くまでには、仮説的推論が不可欠だと思う。

 

ただ、オタクのオタク、メタオタクである彼らのアブダクションの場が、あくまでもクイズに答えるただその瞬間のみに限定されるのだとしたら、やはりオタクの限界があるように思う。クイズという世界で無理矢理、世界そのものを写像することはオタクの方法だけれど、それには世界は大きすぎる。

 

あらゆる世界の断片は、それぞれに世界であり、かつ世界を構成するピースのひとつである。全体は断片に投影されるだろうけれど、だからといって断片で全体を語ることはできない。それを意識して、断片を積み重ねていくことで大きな世界へとつながっていく、という認識の中で、アブダクションを連ねていくことが大切だろう。ひとつのものに固定するのではなく、地を変えたり、たくさんのわたしを持ち出して、見方や場を変えながらアブダクションを連鎖させていくことが必要なのだ。

 

大澤さんは、「つねに鋭く感じる必要がある」ともおっしゃっていたが、それは、一見全く関係のなさそうな事柄の間に類似性を見出すことを意味すると思う。見立ての力、アナロジカル・シンキングを鍛えろということである。様々な情報の類似に敏感になれば、アナロジーの連鎖が起こる。それは自ずとアブダクションを前に進めるだろう。問いの連鎖が起これば大きすぎる世界も少しは分節化できる。分節化できればつかむ場所が見えてくる。

 

問いを生み出す力はこれからの世界を生きる力になるのは間違いない。問いに溢れている状態とは、世界から引っ張りだこだということ。あちこちから呼びかけられて応答に迷うくらいであれば、疎外感など感じている暇はないかもしれない。

 

問いに溢れた人生を!君のクイズを日常に!

 

 


  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

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