われわれが望むべきは評判ではない。今後の社会に示されていくべきは評判のランキングではない。ましてその集計結果ではない。「評価」(evaluation)の内実であるべきである。「いいね」のヒット数などではなく、「いい」をめぐる対話を交わすことなのだ。
(千夜千冊1604夜『勝手に選別される世界』)
名だたる企業のオフィスビルや真新しい高層マンションが立ち並ぶ、名古屋・丸の内。清洲越しの時代から東西の交通の要衝であったことを偲ばせる「伝馬町通り」から少し外れたところに、「ぎゃらり壺中天」は静かに佇んでいる。暖簾をくぐると骨董、書、掛軸、版画、茶道具、焼き物と、亭主の服部清人さんの趣向と数寄にあふれた品々に目を奪われる。まさに都会の別天地といった趣だ。
階段を上がれば、ひときわ熱気を放つ空間が現われる。2022年6月18日、ここでは「阿弥(あみ)の会」という座が開かれていた。普段から壺中天を訪れる「目利き」、名古屋の旦那衆が集まるこの座では、これまでには茶の湯や陶芸、古筆見などをめぐる対話が交わされてきた。第六講となる今回のテーマは「松岡正剛とは何者か?」というもの。会場には編集学校の名古屋支部「曼名伽組」組長の小島伸吾の手による、松岡正剛の著書を使ったオブジェがしつらえられた。
求龍堂版の『千夜千冊』からマニア垂涎の『全宇宙誌』(工作舎)まで。『千夜千冊エディション』のブックフェアでも躍如したモビールや、ドン・キホーテ擬きセイゴオも。さながらパンクな「本の座敷飾り」だ。
かねてから服部さんと「曼名伽組」は「面影座」のプロジェクトを通じて名古屋の座と遊芸を濃く編集してきた。今回は小島伸吾と『うたかたの国』の編集者である米山拓矢の二人を発句に、松岡正剛をめぐる雑談(ゾウダン)に興じることとなった。当初は10名ほどの小さな座を予定していたが、30名以上が集まった。「編集学校の外でも、松岡正剛への関心が地熱のように高まっていると感じる」と小島。もちろん編集学校からも、名古屋在住の小島崇広師範代、山口イズミ師範代、近江からは阿曽祐子師範も駆けつけた。
写真奥、向かって左から亭主の服部清人さん、小島伸吾、米山拓矢。
◆1冊で語る松岡正剛?-本気の本合せ
侘び茶はひとつひとつの「部分」が侘び茶なのである。侘び茶という「全体」があるはずもなかった。
(松岡正剛『フラジャイル』(筑摩書房)
膨大な著書、1800夜を越えてなおハイペースで更新され続ける千夜千冊、編集学校の校長にして編集工学研究所の所長。国や自治体とのプロジェクトのディレクターであり、今なお全国の書店に刺激を与え続ける『松丸本舗』のプロデューサー。中部日本放送(CBC)のテレビ番組『ときの探訪』の監修を手がけ、田中泯・宮沢りえ・石原淋・山本耀司と見たことのない舞台を作り上げる、などなど、などなど…。手がけた仕事を挙げるだけでも膨大な情報量になる松岡正剛を、2人は4分33秒ならぬ「2分33秒で語ります」と始める。
「松岡さんは自らを「私は本だ」と言ったことがありました。そこで、著書を1冊ずつ紹介することで、松岡正剛とは何者かに迫ります。
たった1冊の本ですが“断片”にこそ“全体”が宿っている、というのは、編集工学を貫く重要な考え方です。」(小島)
小島が米山に会場の「本のオブジェ」からランダムに1冊を選ぶ。選ばれた本の内容を米山が2分33秒で解説する。次は米山が小島に別の本を選ぶ。「歌合せ」ならぬ「本合せ」と名づけられたこの試みは打合せなしのガチンコ勝負、松岡の著作を読み込んでいる2人ならではのアワセとキソイである。
小島が選んだ1冊目は『知の編集工学』(朝日文庫)。米山はこう応じる。
「サブタイトルの「情報は、ひとりでいられない。」。この言葉に編集工学は尽きると言っても過言ではありません。「ひとりではない」ということは、仲間がいて、持ち物があって、過去があって、未来があるということ。松岡さんは「What=何か」よりも「どのように=How」を重視して、情報をどんどん柔らかく移していく。その概念を書いたのがこの1冊です。
ちなみに『知の編集工学』が編集工学のアーキタイプ(原型)ならば、『知の編集術』(講談社現代新書)はメソッド的に「実際の編集とは何だろう」ということがまとめられているプロトタイプ的な本です。」(米山)
米山が小島に選んだのは『遊』。「松岡さんが20代の頃に作った雑誌です。中でもこの号は「相似律」、「似ている」とは何かを特集しています。僕は美術の学校でいつも「個性を出しなさい」と言われ続けていました。でも松岡さんは「似ている」ことこそ面白い、似ているということはそこに何かの「面影」があるからだ、と言ったんですね。」(小島)
『情報の歴史21』でも「いくつものテーマの年表を並列するアイデアは、松岡さんが高速道路の車線を見て思いついたそうです」(米山)と、画期的な歴史編集に潜んでいた相似律が明らかに。
続いて『フラジャイル』が選ばれると「では、これは僕が」となんと亭主の服部さんが参戦。
「弱さやしなやかさといった、どちらかと言えば負のイメージがあるものが実は人間の表現に非常に密接に関わっていると書かれています。1995年の本です。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を経て、グローバル化と新自由主義に向かう2000年代を前に、強さや覇権よりも「負け組」にこそ可能性があると、先んじて看破しています。」(服部)
座衆として参加していた八事山興正寺の住職・西部法照さんも続く。「私も最初に読んだ本が『フラジャイル』。情報は主体的に取りにいかないと自分のものになりませんよね。松岡さんがすごいのは、主観で情報を見つめたあと、再び客観に戻して普遍的な知にしていくところ。『空海の夢』でも、空海の一つ一つの文献を主観をもって詳細に読み、また曼荼羅の世界観に戻していく手腕に素晴らしさを感じます。」
「尾張高野」とも呼ばれる興正寺は、かつては尾張徳川家の祈願所でもあった名刹。
◆松岡正剛の断片、断片の松岡正剛?-『うたかたの国』解説
座はさらなる「超部分」へと迫る。松岡正剛の著書と千夜千冊から「うた」に関する文と部分を選って再編集した『うたかたの国』(工作舎)。この本の編集者である米山が自ら「うたかたフラグメント」として、『うたかたの国』を解説する。
歌が歌を求めて漂泊をする。歌人がさまようのではなく、歌そのものが「さすらい人」という日本古来に芽吹いた母型をつかって漂泊をする。(344夜『読みなおし日本文学史』)
「これは人間が主体となって言葉を使っているのではなく「歌が人を歌わせている」ということです。本居宣長は言葉自体に意志があって、自然のうちに完結していると書いていますし、折口信夫は「うたは日本人に取り憑いている“もののけ”である」と言っています。ドーキンスは「人間は遺伝子の乗り物(ビークル)」だと言いましたが、私たち自身も「うた」の乗り物にすぎないのかもしれません。」(米山)
「うた」を考えるにあたり、文字が生まれる以前の「声」に注目することから始め、和歌を日本文化における情報編集装置と位置付ける。うたや日本の見方をダイナミックに変えながら、俳句の一首、単語一つ、文字の一字に注視しイメージの深層に分け入っていく。大きな歴史の流れとルビのように小さな部分を高速に、かわるがわる見る松岡正剛の方法が『うたかたの国』から厳選された断片のそこかしこにあらわれる。
米山の解説に触発された会場の座衆とも熱のこもった交わし合いがなされた。
「紀貫之がかな文字によって表現したかったことの萌芽が、すでに万葉の時代からあったように感じられます。」(座衆)
「松岡さんは「けしき」や「気配」を非常に重視されていますね。「情報」というとコンピュータやテキストデータをイメージされることが多いでしょうが、気配やけしき、メロディや息づかいといったものまで含めたたいへん大きなものまでを射程に入れた「編集」なのですね。」(服部)
米山の「うたかたフラグメント」を小島が同時進行でビジュアル・イメージに起こしていく。
◆6万冊の本を読む方法?-多読と目次読書
「読書はナイーブな行為である」「読書はフラジャイルである」ということです。
なぜなのか。これは決定的なことですが、そこには「他者」がかかわっているからです。読書は他者との交際なのです。
(『多読術』ちくまプリマー新書)
座では読書をめぐる対話も交わされた。
「千夜千冊が1800夜ということは、松岡さんは少なくとも1800冊は読んでいるということですよね。しかも、一夜の中に参考文献が何冊も紹介されていて驚きます。」(座衆)
「「本楼」には6万冊もの本があると聞きました。訪れた時に棚の本を手に取ると、どの本にも書き込みがあった。なぜこれほど多くの本が読めるのかと不思議です。」(座衆)
そこで山口イズミ師範代がイシス編集学校の目次読書法を紹介。
「すぐに読み始めないで、表紙や帯をじっくり見てどんな本かを想像します。その後目次を見て、キーワードを3つピックアップ。本をさっとめくってキーワードが書いてあるページを見つけ読んでいきます。この方法なら新書であれば30分くらいでも読めます。事前に自分の問題意識をクリアにして、得たい情報をキャッチしやすい状態で読むから、内容がスッと入ってくるんです。」(山口)
「その人にとって、その本がどんな本か、という読み方を重視しているんですね。」(座衆)
「松岡さんは「本はノートだ」とも言っています。著者の言い分を一方的に受け取るばかりではなく、自分が感じたことを本にどんどん書き込め、と。」(小島)
そして「ぎゃらり壺中天」ならではの遊びも。色紙と筆が配られ、座衆が今日の座で感じた気配やけしきを、それぞれに漢字一文字で表現しようというものだ。
亭主の服部さんは書家でもある。山口イズミ師範代、阿曽祐子師範も挑戦。
山口イズミ師範代の一文字は「鳥」(の鏡文字)。「「きょう感じた“気配”を一字の漢字に」と問われた瞬間、目の前にあったオブジェ(側方からの形)が「鳥」の鏡文字に見えました。長い首をしならせ、たくさんの校長の書物に込められた知をその場の方たちと共有し、いままさに羽ばたかんというところだったのかもしれません。
もう一枚、小さな色紙に描いたのは「調(しらべ)」。パブロ・カザルスのチェロが鳥の歌を弾き分けたように、世界の小さな声に耳を傾けて、ことばに表し奏でる編集を、との想いを込めました。」
阿曽祐子師範は「景」と「色」。「松岡さんはテキストだけの人はないんです。もっとイロイロなんです」と小島さんが会の冒頭で松岡校長を紹介しました。編集道の奥を進むほどそう実感しています。校長の生む場は、そのとき限りの色が放たれて、又とないトポスになります。この日も同じ。集った人が思い思いに想像の羽を飛ばした自由な時間の趣を表せないかとチャレンジしてみました。」
石黒好美は「多」。「皆さんのお話から「たくさんの松岡正剛」「たくさんの日本」が生まれたように感じたので」
問いを発し、数寄を語り、声と文字とを重ねてついに阿弥の会は一座建立となった。多様な価値のさかいをまぎらかし、豊かな評価と新たな文化を興していく座と同朋衆が、これからも名古屋の行く末を面白く編集していくに違いない。
文・編集:石黒好美
写真:石黒好美・阿曽祐子・山口イズミ
石黒好美
編集的先達:電気グルーヴ。教室名「くちびるディスコ」を体現するラディカルなフリーライター。もうひとつの顔は夢見る社会福祉士。物語講座ではサラエボ事件を起こしたセルビア青年を主人公に仕立て、編伝賞を受賞。
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