近畿大学ビブリオシアターのプロモーション映像のために、ひとつの曲が書き下ろされた。手掛けたのは、鶴澤清志郎。人間国宝・鶴澤清治の弟子であり、文楽座命名150年の記念すべき令和4年4月公演においては、第一部「義経千本桜」の幕開けを三味線ひとりで務めた名手。彼がなぜ、この映像のために新曲を用意したのか。その真意を聞くべく、収録後インタビューを行った。
▼シリーズ
【近大文楽】義太夫三味線レコーディングの段(5月15日公開)
【近大文楽】三味線・鶴澤清志郎インタビューの段(5月19日公開)
【近大文楽】吉田玉男一門、図書館ロケの段(5月21日公開予定)
聞き手:梅澤奈央
◆「利休の茶碗に色を塗るような」
先人の作品を、後世に伝える覚悟とは
――当初は、一谷嫩軍記の熊谷陣屋直実の段のパロディにするという予定でしたね。「一枝 (いっし)を切らば一指 (いっし)を切るべし」という義経のセリフを、「一冊読めば三冊読むべし」など言い換えて演じるというものでした。このオファーを聞いていかがでしたか?
最初は戸惑いました。いままでパロディをやったことがないので、どうしたらいいのかわからなったのが正直なところです。文楽の作品というのは、僕らのものではないので……。
――といいますと?
作品は、過去のみなさんから受け継いできたものなんですね。僕らは借りているだけ。僕らの務めは、それを大事に、次の代へ渡していくことなんです。だから、熊谷陣屋直実の段を言葉だけ変えてパロディにするというのは、いわば、利休の茶碗の色を塗り替えるようなものなので、「これに色塗っていいんかな?」って立ち止まりました。
――なるほど、だから今回は清志郎さんが新曲を書き下ろしてくださったんですね。
そうなんです。吉村さんがいい原稿を作ってくださったので、イチから新しい曲を書こうかとも思ったんです。ですが、この曲は学生さんが聞いてくださるということだったので、できる限り文楽の名曲を使って、文楽の匂いを感じてもらえるような曲に仕上げました。
――おぉ、文楽のリミックスベスト盤がこの曲ということなんですね。
はい。たとえば、最初は熊谷陣屋の原曲なんですが、その次は「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」の「いろは送り」との合体ですね。ラストは「義経千本桜 道行初音旅の段」にある旋律です。
――太夫さんとはほとんど打ち合わせしないとおっしゃっていましたが、もともとあるメロディだから歌いやすいのでしょうか。
旋律はわかるから、そこへ字を配っていくのだと思います。ただ、ふだんとは言葉がだいぶ違うので太夫さんも苦労されたとは思います。僕はふだんと同じように弾いているだけなんですが。
◆古典は、練り上げられた一級品
新しい文楽のために何ができるか
――伝統芸能の世界のなかでは、今回のように新作を作ったり、変わったことをしたりするのは難しそうな印象がありますが、清志郎さんは新しいことをしてみたいという野望などお持ちですか?
じつは、あんまりないんですよね。僕も新作を作らせてもらったことはあるんですが、古典に敵わないんですよ。練度が違う。いま残っている曲は、過去の天才たちが何千人とかかって練りあげた曲なので、とても勝てるわけがないんです。
――シェイクスピアの「テンペスト」などが文楽で演じられたこともありますが、やはり古典が人気なんですよね。
再演って練りあげに大事なんですよ。演じられるたびに、どこを捨てるか加えるか試行錯誤しているので。古典はそれを何百年もかけておこなっているものなので、人間ひとりで太刀打ちできるものではないんですよね。
――なるほど、数百年の練磨をうけた古典は圧倒的なクオリティを誇るんですね。
しかも当時、文楽に関わっていた人たちはいまよりもずっと裾野が広く、今でいえば米津玄師さんとか藤井風さんみたいな天才たちが練りあげた曲ですから。
――聞けば聞くほど、小手先の新作ではどうにもならないことがわかります。
文楽が新しくなるとすれば、ビートルズやサザンオールスターズみたいな人たちが現れて、あたらしい音楽ジャンルを作るくらいでしょうか。だから、僕らができることとすれば、今あるものを後世にパスする。そして、将来現れるかもしれない天才が文楽をどう料理するかを待つということでしょう。そのためにも、文楽をいいかたちで、のちの人へと渡していきたいですね。
◆三味線は「音程の出せるドラム」
太鼓としての三味線の弾き方
――三味線を弾くと、やっぱり爪って割れちゃうものなんですか?
割れますね。いま中央が割れてきたので、すこし脇へずらしているところなんです。
――ああ痛そうです……。三味線は爪で弦をおさえるんですよね。私はマンドリンを弾いていたのですが、あの楽器は指の腹を使うんです。
いやいや、そっちのほうがよっぽど痛いですよ。爪のほうが楽です。マンドリンの弦ってスチールですよね?
――そうです。だから弾き始めると、指の腹は真っ赤に腫れますね。三味線の弦は毎日変えるとお聞きしましたが。
いちばん細い三の糸と、次に細い二の糸は毎日変えますね。絹糸で出来ているので、変えないとブチって切れちゃうんです。
――同じ弦楽器でも西洋でまったく違うんですね。三味線って弦を弾くだけじゃなくて、バチを皮にばしんばしんと当てますよね。マンドリンでは、楽器のボディには絶対ピックをあててはいけないので、あの弾き方にはとても驚きました。
極論かもしれませんけど、三味線ってトーキングドラムみたいなものなんですよ。「音程の出せる太鼓」という感覚ですね。
――そうだったんですか!
だから太鼓を叩くように、けっこう強くバチをあてるんです。皮にバチをあてるほうがメインといってもいいくらいです。バチをあてているときに、たまたまあいだに糸が挟まっていた、という感じですね。太鼓に弦がついているというイメージは、たしかに弦楽器のなかでは特殊かもしれません。
人形浄瑠璃文楽座は、竹本義太夫が貞享元年(1684)に道頓堀に旗揚げしたところから始まった。300年以上にわたり人々が練りあげてきた文楽という芸能を、真摯に演じることで後世へ届けようとしている。
現在、文楽協会に加盟する三味線弾きは鶴澤清治氏を筆頭にたったの21名。三味線の糸を作る工場も激減するなか、鶴澤清志郎さんは数百年の響きを今日も舞台で届けている。
撮影:木藤良沢
▼シリーズ 近大文楽
【近大文楽】義太夫三味線レコーディングの段(5月15日公開)
【近大文楽】三味線・鶴澤清志郎インタビューの段(5月19日公開)
【近大文楽】吉田玉男一門、図書館ロケの段(5月21日公開)
>>> 【近大文楽】吉田玉男一門、図書館ロケの段 へつづく
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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