[破]には、3000字の物語を書く物語編集術がある。[守]の稽古を終えて卒門した学衆の多くは、この編集術に惹かれて[破]へ進む。
本日紹介するのは、石黒好美さんのテレス大賞作品である。石黒さんは54守番匠ロールを担いながら[破]を再受講して突破した編集アスリートだ。テレス賞は知の情報を豊富に含み手触りのある虚構世界を精緻に作り上げた作品におくられる。
本作品は戦前戦後にかけて活躍した鈴木しづ子という実在の俳人を主人公に、事実と虚構を巧みに織り交ぜて精妙に作り上げた物語だ。
匂ゐ立つやうなしづ子の句を、旧かなづかひが釀しだす時代のかをりとともに味わゐませう。
53[破]≪アリスとテレス賞≫「物語編集術」
【テレス賞:大賞】
■石黒好美(声文字X教室)
『新しい女』
原作:エイリアン
一 年逝くや句を知りそめし花の頃
「挺身隊と一緒に部品を組み立てながら、私も女学生と等しくお国の為に奉仕できると誇らしく感じてをりました」
最初に鈴木しづ子を見たのは、日吉にあつた工場の俳句部である。日米開戦から間もない三年ほど前。部長で「樹海」同人の矢澤尾上に乞われ指導に当たつた。しづ子の大きな瞳にはまだあどけなさがあつた。俳句は流行りの新詩の影響か、甘つたるい感情を連ねた酷いものであつた。厳しく添削し突き返すと、へこたれるどころか毎日十句も二十句も書いて見てくれとせがむ。尾上も自分も仰天した。
そんなしづ子が、『春雷』なる句集を出すといふ。
「尾上さんに相談しましたら、必ず巨湫先生に序文を書いて貰へと」
「自費出版募集」の広告を見て出版社に句を持ち込むとはいかにも恐いもの知らずである。明朝までに序文を届けねばと、しづ子は我が家に押しかけてきた。書きあがるまで待つと引かない。それでこれまでを思ひ返しては、処女句集につける文を捻り出してゐる。
火鉢の熱とともにしづ子の迷いがじわり伝わる。俳句を始めて三年だ。勢いで出版に漕ぎつけたものの、惑うのは当然である。
- 霜の葉やふところに秘む熱の指
しづ子の句には肉体がある。心情を直截に描写する若々しさがある。俳句としては拙い。しかし、技巧に走らず真摯に写生するひたむきさには見るところがある。序文を読み聞かせると、しづ子は感極まり嗚咽しはじめた。
「これからも指導しますから、何句でも持つてきなさい」
「新詩も小説の真似事もしました。俳句を選びましたのは、先生に添削されて何度も推敲し、共に創り上げるよろこびがあるからです」
しづ子は原稿を掴み、音を立てて戸を開け夜の闇へと駆け出した。
二 情慾や乱雲とみにかたち変へ
驚くべきことに『春雷』は五千部も売れた。
「瑞々しい感性」「汚れなき心」「繊細なる風流」句誌は絶賛した。嘘なく真に心に感じたことを写す。気鋭の新人として注目され、あちこちの句誌から寄稿を求められてもしづ子は変はらなかつた。
「しづ子が伝統派の「樹海」から出たことも驚かれたのでせう」
尾上は自分に語つた。季語に拘り、定型に拘り、封建的な結社に閉ぢこもる伝統俳句は時代遅れと叩かれてゐた時分である。
- 夫ならぬひとによりそふ青嵐
しづ子は会社の同僚と結婚していたが「樹海」の大学生とも恋仲であつた。しづ子は三角関係の葛藤も俳句にした。今度は私生活を赤裸々に暴露する俳句がたちまち話題になつた。
「巨湫先生、もつときはどい句を選んで句誌『樹海』に載せませう。伝統派でも新しい俳句ができる。『羅生門』の真砂のやうでせう。貞淑な女が変化する様を、みな見たいのです」
尾上はしづ子を奔放なアプレガールとして売り出し、樹海の名も上げやうと考へた。実際に『春雷』を読んで「樹海」に入る者が増え、同人の句集も売れてゐた。
しづ子は離縁した。生活のことを何でも俳句にして発表するので夫と喧嘩が絶えなかつたのだ。工場も辞めたしづ子は、親戚を頼り岐阜に移ると言ふ。自分はかう言つた。
「俳句は続けて下さい。二冊目の句集は「樹海」から出しませう」
三 黒人と踊る手先やさくら散る
「巨湫先生、これは一体どういふ事でせう」
岐阜から怒り狂つた手紙が届いた。雑誌「俳句往来」に柳沢秋二なる人物による小説『なめくじ』が掲載された。女流俳人佳子が結社の主宰者宅に押しかけ一夜を明かし、大学生と不倫するといふ筋である。どう読んでも佳子はしづ子で主宰は自分である。
実は柳沢は尾上であつた。
「可憐な女流俳人しづ子が今や夜の女に。第二句集はこれでいきませう。現にしづ子は今、岐阜でダンサーになつてゐるじゃアありませんか」
尾上の言ふとほりであつた。しづ子は進駐軍の「キャンプ岐阜」に仕事を求めた。しかし採用されるのは女学校を出た英語に堪能な子女ばかり。その後柳ヶ瀬でダンサーとなつた経緯は分からない。捨て鉢になつたのか、華やかなる世界に憧れたのか。垢抜けて美しくなつたしづ子は、ケリー・クラッケなる黒人兵に見初められる。
- 薔薇白く国際愛を得て棲めり
しづ子はケリーとの生活も句にした。尾上は「勤労少女が黒人のオンリーに!」とにやにや笑つた。噂は瞬く間に広がり、何を詠んでも好奇の目で見られた。
- 體内にきみが血流る正坐に耐ふ
「亡き母を詠んだ句も男と寝た後のことだらうと言はれます。最近の「樹海」が句をいやらしく解釈し、煽情的な文とともに掲載されるのに戸惑つてをります」
「その様な意図は有りませぬ。秀句を選んでゐるだけです。寧ろ貴女の女としての成熟が自然と現れてゐるのは喜ばしいことでせう」
偽らぬ本心であつた。しづ子は「新しい女」となつたのだから。
四 朝鮮へ書く梅雨の降り激ぎちけり
「私に求められてゐるのは「新しい俳句」なのですね」
投句はますます増え、毎月三百を超えた。しづ子は猛然と詠み、読者は米兵の愛人たるダンサーの日常を覗き見た。
- 夏みかん酸つぱしいまさら純潔など
「樹海」はこの句に一席を与えた。
句集の予告広告にはしづ子の写真を大きくあしらつた。コールドパーマの髪にスカーフを巻き、濃い口紅でこちらを流し見てゐる。評判もうなぎ上りだ。なのに「句集どころではありませぬ」と、しづ子の心は沈んでゐた。
- 傲然と雪墜るケリーとなら死ねる
しづ子はやがて朝鮮戦争に出征したケリーの訃報を受け取つた。そこで「樹海」は彼女を励まさうと、第二句集『指環』の出版記念会を大々的に執り行おうと計画した。
五 寒浪のすさるに似たり詩心いま
名だたる俳人、評論家、出版関係者が集まつた。賑やかに俳論が展開され、しづ子に短冊を頼む者もあつた。ずけずけと夜の仕事について聞く者や、しづ子に説教を始める者もあつた。しづ子は静かに微笑み伏し目がちに相手をした。促されしづ子は遂に登壇した。
「巨湫先生と一緒に幾度も推敲し切り取つた世界の輪郭に最も相応しい言葉を探す。俳句を始めた頃からひたすらにさうして参りましたら、新しい女と言はれるやうになりました。私自身は何ひとつ変はりませんのに不思議な事です。不思議と言へば、新しい時代に合つた新しい男はゐるのでせうか」
会場の男たちが、はたとしづ子を見た。
「『指環』は鈴木しづ子の句集です。私の句集ではありません。新しい女、鈴木しづ子は「樹海」のものでございます。好きに使つて下さい。それでは、みなさん、ごきげんよう、さようなら」
その後、しづ子からの便りはない。岐阜に帰つたのかも分からない。自殺したともアメリカに渡つたとも噂された。手元には、何千句もの俳句だけが残されてゐる。
◆講評◆
「何もかも捨ててしまいたい気持ちにさせられます。それでも時折、不意に、此の世に未練がましいものが頭をもたげてきます。俳句もそのひとつ。」と、句集の跋に記して、世間から姿を消した俳人鈴木しづ子の生き様を描いた作品です。石黒さんは、俳句結社「樹海」の松村巨湫や矢澤尾上との関係、様々な憶測を生んだ私生活などの事実の断片にしづ子の句や独白を重ね合わせ、句に寄り添うような旧かなづかいで物語を紡ぎました。心の拠りどころであった俳句結社が、しづ子を時代の寵児として売り出そうとする異質なものに変わっていく様子は、彼女にとって、まさに『エイリアン』の貨物宇宙船の内部のようであり、俳壇からの決別もリプリーの闘いを彷彿させます。SFホラー映画を翻案した物語が、鈴木しづ子という実在の人物をめぐる事実の断片を組み合わせること生み出されたことに、改めて編集の力を実感させられました。そして、事実で語ることで、幻の俳人とも言われたしづ子に実体を与えたいという石黒さんの強い意思があってこそ、その力が活かされたのだと思います。
男たちの薄っぺらな理解を越えたしづ子の姿は『エイリアン』を安直なフェミニズムで読み解くことに対する警鐘でもあるのでしょう。何千もの句を残し消えた鈴木しづ子に関する記述の網羅を元に、名前のない『新しい女』と呼ばせなかった女性の姿を描いた石黒さんの作品にテレス大賞を贈ります。
講評=評匠:北原ひでお
テレス大賞 石黒好美さん
戸田由香
編集的先達:バルザック。ビジネス編集ワークからイシスに入門するも、物語講座ではSMを題材に描き、官能派で自称・ヘンタイストの本領を発揮。中学時はバンカラに憧れ、下駄で通学したという精神のアンドロギュノス。
53[破]第2回アリスとテレス賞大賞作品発表!アリス大賞 高橋澄江さん
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