霧中からひらく新たな「わたし」――今福龍太さん・第3回青貓堂セミナー報告

2024/08/30(金)12:21
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 「写真をよく見るためには、写真から顔を上げてしまうか、または目を閉じてしまうほうがよいのだ」(ロラン・バルト『明るい部屋』より)。第3回目となった青貓堂セミナーのテーマは「写真の翳を追って――ロラン・バルト『明るい部屋』を読む」。このセミナーは、イシス編集学校のアドバイザリーボード「ISIS Co-mission」のメンバーの一人である人類学者・批評家の今福龍太さんが、滋賀・長浜の小さな長屋で「ふれる よむ かく──本の銀河へ」と銘打って開く座である。申込手続きと同時に『明るい部屋 写真についての覚書』を注文した。以来、通勤中の読書を日課にしてきたものの、霧の中をいくように遅々として進まない。端正なテキストをわかりたい。が、いつの間にか、ただ文字を追うだけになる。栞の位置が動かぬまま、7月28日当日を迎えてしまった。

 

 

 琵琶湖が近いとはいえ、長浜も相当な気温だ。「暑い中ようこそ」と奥様の今福明子さんが描いた猫が迎えてくれる。このセミナーの主催は明子さんだ。長浜に残っていたおばあさまの家を青貓堂と名付け、念願だった本と人が混じる場を構想された。銀色と白い和紙で丁寧に編まれた冊子を手渡される。Gato Azulという手製本の出版工房を営む明子さんが一冊ずつ編んだものだ。セミナーのテーマに合わせて毎回装いが異なる冊子が用意される。『韵hibiki』(川満信一×今福龍太著)、『リングア・フランカへの旅』(今福龍太著)、、、私の手元に増えつつあるGato Azul製の本も、余白と手触りが心地よい。テキストのらしさが、本の姿から立ちあがってくる。奥の和室に入ると、花の文様のシャツに帽子姿の今福龍太さんが出迎えてくれた。前方の小さなテーブルの上に、喋りたそうな表情をした本たちが設えられている。もちろんロラン・バルトのものだ。

 

 

 「このセミナーでは、本にふれる・よむ・かくのうち、とりわけ「ふれる」を大切にしたい」。今福さんの挨拶で場が開き、語りは一気にロラン・バルトへと向かった。
 バルトを崇拝してやまない23歳の今福青年は、バルトに少しでも近づきたいと春休みのフランス旅行を目論む。が、フライトの前日、新聞の訃報欄でバルトの逝去を知る。そんな偶然があるだろうかと一座が今福さんの次の言葉を待つ。「フライトをキャンセルできなかったから、仕方なくフランス飛んだ」。一同がホッと胸をなでおろす。青年は、半ば投げやりにフランスを出て欧州各地を巡る。浮草のような数日間の後、やっと気持ちが落ち着いて、心の処理をすべくパリに向かう決意を固めた。その時、ふと目をやった小さな本屋さんの店頭にバルトの本が並んでいるのを見つける。「バルトから逃げていたのに、バルトに迎えられた」。とるものもとりあえず、本を買いもとめて列車の中でむさぼり読む。「今でも理由がわからないのだけれど、そういう気持ちになれなかった」と今福さんが訝しげな表情で続ける。青年は、フランスで列車を降りることをせず、スペインに着いた。2年後、そのスペインからラテンアメリカへの道が開き、今福さんは生涯をかけて探究していくテーマに遭遇することになったという。このときの本が『明るい部屋』だった。

 

 切片のような自分が、世界とつながる瞬間は突如としてやってくる。世界から自分は見捨てられるどころか、世界から呼ばれていたことに気づいていなかっただけ。世界との融和とも言えよう(むしろ、再会というべきだろうか)。同時に、主客転倒、いや、主客消滅の瞬間でもある。バルトを解き明かしたい、バルトを所有したい。今福さんからバルトに向いていた強力な矢印が消え、相手(バルトの本)と私(今福さん)の境界すら、綯い交ぜになる。新たに生まれた方向に、ただただ身を委ねる。そんな今福青年の姿が見えた。

 

 ゾクゾクした。何度か似たような体験をしたことがある。イシス編集学校で、一つめの回答を見たまだ会ったこともない師範代に心の奥底に閉じ込めてきた数寄を言い当てられた衝撃、クロニクル編集のお題で、杉浦康平氏の年表とジョーゼフ・キャンベルの『神話力』と私の年表との間に強い関係性を見出したときの驚嘆、そして、離の火元から「自分があらわそうとしているモノゴトを世界ごとの表象と見てはどうか」とアドバイスをもらったときの感奮。いずれも痛みと喜びを感じながら、自分が紛れもなく世界に参画していたこと、自分も世界のあらわれの一つであることを知った瞬間だ。そして、自他の境はいくらでも揺らぎ、ときに混ざる。自分で何かをなそうとせずとも場に委ねればいいことも知った。知ったというよりも、本来そうだったことを思い出したというほうが正しいかもしれない。

 

 今福ブラウザーによる世界との融和のシーンに立ちあった後の休憩時間、テーブルの上の『明るい部屋』の原著と邦訳の初版本に触れてみる。几帳面な書き込みの文字を読んでいると、「3回来てみてどう?」と今福さんに話しかけられた。ぴったりな言葉が見つけられずにモゴモゴと口ごもりながら、言葉の可能性と限界と面白さをいっぺんに触知するような感覚を得ていること、自分の中に根強く残る言葉への恐れと畏れがひととき開放される体験を重ねていることを伝えた。今福さんが「自由になれているといいね」と応じてくださった。

 

 後半は、今福さんの新著『霧のコミューン』にあやかって、たくさんの「霧」を巡るお話だ。私たちにとっての霧は視界を悪くするもの。どちらかと言えば、煙たく思うものではないだろうか。が、今福さんの見方は違う。霧によって見通しが悪くなることで、かえって私たちが見損なっているものが見えるようになるという。確かに、私たちは霧のかかった天気の際には、見えないながらも目を凝らし、耳を澄ませ、探るように足先を踏みだす。かえって感覚が研ぎ澄まされ、普段は捉えていない情報をとりこむことができる。

 

 合点がいった。今福青年にとって、パリ出発直前のバルト逝去という事件は、霧の発生に相応する出来事だったのだ。見通しの悪い中、何とか前に進むことができないか、その藻掻きが『明るい部屋』との出会いをつかむことを可能にしたのだ。私も、ひるまずに『明るい部屋』を彷徨う日々を過ごしてよかった。そのそぞろ歩きがあったからこそ、今福青年の体験にのっかって、世界とのつながりを再確信する機を得ることができた。

 

 

 入手したばかりの『霧のコミューン』で重くなった鞄を抱えて、長浜からの家路を急いだ。日常へと戻る帰り道は、いつもため息が出かかる。電車にのって取りだした本のグレーの帯にはこうある。「霧は、同時代の混沌から私たちの自由と幸福を守るための拠点である。分別だけで塗り固められていない、希望のくにへ」。霧は、決して目の前の話ではないのだ。そこに霧があると見ることができるかどうかが大切なのだ。ささやかな渇望や満たされぬキズ、靄に包まれた状態から「ないもの」へと向かったから、今福青年にも私にも新たな世界の見方が開いたのではなかったか。目に見えるわかりやすい出来事に一喜一憂するのか、そこに顕わになっていない可能性や予兆を見るのか、それは私たち次第なのだ。大きな太陽が琵琶湖に沈み、あたりが薄墨色に包まれはじめた。私たちに、目を凝らし、耳を澄ませ、足を踏みだすときがきている。

 

青貓堂セミナーを主催する今福明子さん。室内のそこかしこに今福龍太さん撮影の写真が飾られている。

 


★今福龍太さんは、イシス編集学校 第84回感門之盟「25周年 番期同門祭」のDay1に登壇されます。

【感門之盟通信 Vol.02】タイトルは「25周年 番期同門祭」 

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イシス・コミッション DO-SAY 2024年8月

  • 阿曽祐子

    編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso