▼そこに愛はあるか
『美味礼賛』。うん、すごいタイトルだ。「あなたが普段食べているものを言いたまえ、あなたがどんな人か当ててみせよう」、ブリア・サヴァランのかの名著『美味礼賛』を思い出す。さぞ、ご馳走が並ぶに違いない、と思って頁をめくると──「饅頭こわい」。…まん、饅頭ですか…。桂米朝師匠の口演をテーマ別にまとめた八巻だての最終巻にふさわしく冒頭からの肩すかし。しかし読み進めると、各噺の冒頭に置かれた米朝師匠の口上こそが、極上の美味だと気づく。上方落語復活の中興の祖といわれる師匠は、芸達者だった先達の芸を懐かしく語り、熱演のポイントを外す今の落語家をちくりと刺す。
繰り返されるのは「死語でしょうが」「今は通用しない」「言葉の説明から始めないといけない」という言葉。文化を残すためには、その時代の言葉がわからなくてはいけない。単純な置き換えでは面白さが半減、といって丁寧に説明しすぎると冗長でこれまた面白さ半減。師匠は巧みにその間のバランスを取る。だからだろう、関東者にはより遠い上方文化にも、なんとなしの懐かしさを感じ、師匠が「残しておきたい」と言うと、知りもしない筈なのに「本当にそうだなぁ」と納得する。
お国なまりを取り上げた「テレスコ」という落語の口上では、方言をあざけるネタではないと指摘し「根底に愛情がなかったら客席から快い笑い声は、けっして起こるものではありません」と言う。そうか、笑いには愛が必要なんだ。
▼純度高くパッケージ
「ジーヴスも2、3冊待機しています」。有能な執事ジーヴス、彼に頼りっぱなしのご主人様バーティとその友人達が巻き起こすドタバタのシリーズは、美智子皇后(当時)のコメントで一躍有名になった。同じ著者が書いた『ドローンズ・クラブの英傑伝』は、日がな一日クラブ(英国の伝統的な男性専用の社交場「クラブ」である点にご注意!)にたむろし、シーズンになると田園にあるマナーハウスに出かけ、年中、恋とかおしゃれとか、何かしらのばかげたことばかりしている若き有閑紳士たちが主人公だ。
ドローンズ=のらくら、の名のとおり、何一つ生産的なことをしない。ナンセンス過多のため、一冊丸々を読み通すのが時に辛くもなるが、頭を使い過ぎて脳が栄養分を求める時に、頁をはらりとめくって目を通す、そんな笑いのサプリのような本でもある。
ウッドハウスは英国の作家として有名だが、1909年、20代の後半には米国に拠点を移し、生涯のほとんどをニューヨークで過ごした。しかしウッドハウスが描いた小説の大半の舞台は、自身が離れる頃の英国だった。離れてしまったからこそ、むしろその当時─1900年代初頭の英国─を自らの内に持ち続けることができたのだろう。そこにいれば、むしろ変わってしまったかもしれないもの、しかし、ウッドハウスは「古き良き」と言われる時代を純度の高いままパッケージ化した。パッケージのどこを切り出されても、変わらぬ安定感がある。だからこそ、心が緩み、ふっとリラックスするに違いない。
▼小林秀雄好き、ドーダ??(ささやくように)
小林秀雄を好きだ、というのには勇気がいる。言いづらい理由の一つは自らへの問い。全作品どころか、代表作ですら満足に読めていないのに好き? おこがましい。そしてもう一つ、そう公言した時の他人の反応だ。「今どき?」という反応か、あるいは「本当にわかっているのか?」と詰問されるか。そう聞かれたら、穴に潜り込むしかない。
鹿島茂『ドーダの人 小林秀雄』には「わからなさの理由を求めて」というサブタイトルがついている。ゆえに、この程度の小林秀雄好きでも安心して読める。なにしろ、わからない理由を懇切丁寧に解説してくれているのだから。いや、解説ではない、鹿島茂が「ドーダ」を軸に小林秀雄を斬る! 「ドーダ」とは東海林さだお創設のドーダ学の言葉。一言で言うと「自慢」。
鹿島は小林秀雄の批評を「伝わってくるのは小林秀雄のドーダ的メッセージのみであり、それ以外のものは今日的評価には耐えない」と言い切る。
ところが大正末期から戦後を経て高度経済成長期までのインテリは、このドーダ的態度にノックアウトされた。小林秀雄はインテリのドーダをくすぐる存在になった。クラシック音楽を好むインテリ、演歌を愛する大衆。芸術を指向するインテリ、実生活を重んじる大衆。大学の入試問題には必ず出題され、受験生を苦しめることになる。
しかし1980年代、サブカルチャーの台頭は、インテリも大衆も飲み込んでいく。かつての「批評の神様」は、やがて大学入試問題にもかえりみられなくなる。
では小林秀雄の「神様性」は、二度と帰らぬものなのか。鹿島は鹿島自身が「ドーダ!」とかます中で、小林秀雄の「ドーダ!」をなで斬り、小林秀雄の持つ本当の魅力─「魅力」というのが愛情過多による言い過ぎであれば、その「パワー」─、を明らかにした。そのパワーとは、対象とするものを自身の中に取り込み、力強く押しだしていく姿勢そのものなのである。パフォーマティブであること、それこそが小林秀雄の持つ根元の力だった。
インテリと大衆の二元論が溶け去る中に、勘違いの熱狂もされず、といって忘れ去られるのではない、小林秀雄が復活する時が来るのだろう。
…ん? とすると、その小林秀雄はもはや「ドーダ!」とは言わないのではないだろうか!?
Info
⊕ アイキャッチ画像 ⊕
∈『美味礼賛』桂米朝/ちくま文庫
∈『ドローンズ・クラブの英傑伝』P.G.ウッドハウス/文春文庫
∈『ドーダの人、小林秀雄』鹿島茂/朝日新聞出版
⊕ 多読ジム Season07・秋 ⊕
∈選本テーマ:笑う三冊
∈スタジオふらここ(福澤美穂子冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結型
『美味礼賛』→『ドローンズ・クラブの英傑伝』→『ドーダの人、小林秀雄』
⊕ 著者プロフィール ⊕
∈桂米朝
1925年生まれ。兵庫県姫路市出身。1947年、四代目桂米団治に入門。滅亡寸前の上方落語を、故松鶴、春団治、文枝らと力を合わせて現在の反映まで導いたリーダーで、数多くの滅んでいたネタを復活させた。上方落語の研究家でもある。1996年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2005年、文化功労者に選ばれた。2015年没。
∈P.G.ウッドハウス
イギリスの小説家。ロンドンの銀行勤めのかたわら小説に筆を染め、20世紀初頭のイギリス上流階級に属する奇矯な人物の生活をユーモラスに描いた膨大な数にのぼる長短編小説で一代の人気を博した。
∈鹿島茂
1949年神奈川県生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程中退。91年に『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞受賞、インターネット書評無料閲覧サイト「ALL REVIEWS」を運営、明治以来活字メディアに発表されたすべての書評を閲覧可能にする書評アーカイブの構築を目指す。
相部礼子
編集的先達:塩野七生。物語師範、錬成師範、共読ナビゲーターとロールを連ね、趣味は仲間と連句のスーパーエディター。いつか十二単を着せたい風情の師範。日常は朝のベッドメイキングと本棚整理。野望は杉村楚人冠の伝記出版。
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