山上たつひこ 奇人流転【マンガのスコア LEGEND27】

2021/04/30(金)10:28
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■「少年チャンピオン」の時代

 

 かつて、この世界には五大少年週刊誌というものがありました。「サンデー」「マガジン」「キング」「ジャンプ」「チャンピオン」の五誌です。いまは「少年キング」が抜けて四誌になっていますが、「ジャンプ」以外は、ちょっとひっそりしていますね。

「ジャンプ」は1970年代半ば以降ずっとトップを走っていて、90年代後半に一時「マガジン」に抜かれた以外は、ずっとナンバーワンでした。一方、60年代末から70年代初頭にかけて「少年マガジン」黄金時代があったことをご存じの方もいるでしょう。

 しかし、「少年チャンピオンの時代」というものが、かつてあったことをご存じでしょうか。70年代後半、ほんの短い期間でしたが、この雑誌が天下を取っていた時代があったのです<1>。

 それまで最後発の少年誌として、他誌の後塵を拝していた「少年チャンピオン」の部数を、あっという間に倍増させ、いっきなりトップの地位に引き上げたのが、他ならぬ山上たつひこの『がきデカ』(秋田書店)でした。

『がきデカ』の登場により「少年チャンピオン」の部数は、半年から一年の間に、八十万部から、いっきに百八十万部へ跳ね上がったと言われています。これほどの爆発力を持った作品は空前絶後でしょう。

 その後、『ドカベン』『ブラック・ジャック』『マカロニほうれん荘』などのヒット作に支えられ「少年チャンピオン」は我が世の春を謳歌することになります。

 

■革新的なスタイル

 

 ギャグマンガ史において、赤塚不二夫の起こした革命に続く、次のフェイズで大きな仕事をした作家として、谷岡ヤスジと山上たつひこの名を挙げることができます。谷岡が1970年に「少年マガジン」に連載開始した『ヤスジのメッタメタガキ道講座』(実業之日本社)と、山上が1974年に「少年チャンピオン」に連載開始した『がきデカ』(秋田書店)は、ともに大きなブームを巻き起こしました。

 この両者は、全く別のスタイルを持ち、やがて、それぞれ異なる道を歩んでいくことになります。谷岡は、後続に続く系統樹を作ることがなく、孤高の作家としての道を突き進んでいきました。一方、山上たつひこは、マンガ界全体に激震のようなインパクトを与え、山上以前/以後といっていいような変化をもたらすことになります。

 今回は、そんな山上たつひこの最大のヒット作である『がきデカ』を模写してみようと思います。

 

山上たつひこ「がきデカ」模写

(出典:山上たつひこ『山上たつひこ選集』⑳双葉社)

 

 今で言う【リズムネタ】を紙上で、いち早く取り入れたのが、山上たつひこでした。今見ると、なんてことないですが、当時は腹がよじれるぐらい面白かったといいます。

 一コマ目中央の男性は、肩幅も狭く頭身自体はギャグマンガ調ですが、その上に乗っかっている顔は劇画タッチです。栃の嵐(犬)も二本足で立っていますが、毛並や骨格は、かなりリアルに描写されています。ギャグマンガにこのようなリアルなタッチを入れるのも、当時としては斬新でした。

 一方、コマの割り方は、かなり【保守的】です。ほとんどのページが四段割りで、大ゴマの使用頻度も控えめですね。その分、一コマ一コマの密度が高い。【背景】も、かなりしっかり描き込んでいます。

 話法の大人しさとは対照的に、内容はかなり大胆。とにかく主人公のこまわり君は意味もなくやたらと【下半身】をさらすんですね。しかも、ちょっと汚くてグロい描き方になっています。これが当時の子どもには、けっこうウケた。「トイレット博士」や「まことちゃん」から「Dr.スランプ」の”うんちくん”にいたるまで、いつの時代も子どもは下ネタ大好きではありますが、「がきデカ」のエゲツなさは飛びぬけています。山上の、初期の頃からの【グロテスク】に対するこだわりと偏愛が、形を変えてずっと続いているのですね。

 

■山上のわかりにくさ

 

 70年代半ば以降に登場するギャグマンガは大なり小なり、みな、山上たつひこの影響を受けています。『がきデカ』ブーム直後には、あからさまにそっくりなマンガもたくさん出てきました。多くの模倣者、フォロワーを生んだという点で、山上たつひこは、少し後に登場する大友克洋に近いものがあります。

 ただ、大友に比べると、山上が当時巻き起こした激震の大きさは、今となっては、ちょっと見えにくくなっているかもしれません。

 赤塚不二夫の時にも触れましたが、ギャグマンガの場合、浸透と拡散による鮮度の劣化が激しいのですね。革新的なギャグも、すぐに当たり前のものになってしまい、当初のインパクトが分かりにくくなってしまうのです。

 赤塚不二夫が、いわばギャグマンガのOS、あるいは普遍文法を作ったとすれば、山上たつひこは個別言語を作ったと言えます。

 生まれたばかりの乳児は、多くの母音子音を聞き分ける能力があるそうですが、成長するにつれ、母語の音韻体系に取り込まれてしまい、識別能力が制限されていくと言います(母語マグネット理論)。

 山上たつひこ以後のギャグマンガは、すべて「山上たつひこ」言語になってしまったのですね。あまりにも当たり前になりすぎて、あらためて取り出されても何がすごいのかわからなくなってしまっているのです。

 NHK「BSマンガ夜話」(2000年3月6日放送)の中で、夏目房之介氏は、山上たつひこを巨大隕石の落下に例え、周辺の森林が全て同じ方向になぎ倒されてしまったと表現していました。本来、別の方向に才能を開花させていたかもしれないのに、山上たつひこのおかげで、その方向を変えさせられてしまった人もいたはずだ、というのが夏目氏の指摘です。

 

■山上たつひこは、これを読め

 

 それほど凄い業績を残したにもかかわらず、いやそのことによってかえって、山上たつひこの魅力を若い人たちに説明することが困難になっています。

 若い世代で山上たつひこの熱心な愛読者、というのはあまりいないかもしれません。しかし、古くからのファンも多いためか、アンソロジーや作品集がたびたび刊行されています。92年に双葉社より刊行された大規模な『山上たつひこ選集』(全20巻)をはじめとして、『単行本未収録傑作選』(全3巻)、『山上たつひこ初期傑作選』(全3巻)、『山上たつひこ選集』(全5巻)(以上、小学館クリエイティブ)などのコンセプチュアルな作品集も何度か出ています。『単行本未収録傑作選』は貸本時代<2>のものをはじめとした初期の激レア作品ばかり集めたもの。江口寿史監修による五巻本の『山上たつひこ選集』は、とってもおしゃれな装丁で、全然山上たつひこの本には見えませんが、ギャグ作家としてブレイクして以降の主要な作品を中心にセレクトした優れものです。『光る風』(小学館クリエイティブ)のような前期の代表作も復刊されました。また、山上の最も重要な作品である『喜劇新思想大系』は、これまで何度も刊行されていますが、表現上いろいろ問題があるため、全てを収録した完全なものは一度も出ていなかったのです。それがついに2004年、『完全版・喜劇新思想大系』(上・下)という形でフリースタイルより刊行されました。

 

(山上たつひこ『山上たつひこ選集』①~⑤小学館クリエイティブ)

おしゃれな装丁(でもよく見ると変な写真)の『山上たつひこ選集』

 

 というわけで、山上たつひこビギナーのために、手っとり早く山上たつひこの全容を掴む方法をお教えしますと、まずはじめに『単行本未収録傑作選』(全3巻)を読み、つづいて『光る風』に進み、さらに『完全版・喜劇新思想大系』(上・下)→『がきデカ』<3>→『山上たつひこ選集』(全5巻)と進んでいくというものです。すみません。全然手っとり早くありませんでした。しかし、これで山上たつひこのドラスティックな変遷の軌跡は味わえるでしょう。

左から右へ読み進んでいこう

 

 とにかく、山上たつひこといえば、変化の振幅が半端ではないのですね。俗に「バケる」という言い方がありますが、山上たつひこほど過激なバケ方をした人はいないんじゃないでしょうか。

 ギャグマンガ家としてブレイクする以前の山上たつひこは、暗い情念のみなぎるシリアスな作風の作家として知られていました。

この時期を代表する作品の一つに、1970年、「少年マガジン」に連載された『光る風』が挙げられます。

 軍国主義の復活した近未来の日本を舞台にしたポリティカルフィクションなのですが、一読、間違いなく強いインパクトがあります。現在のマンガにはちょっと見受けられないような野蛮な迫力があって、作品の出来がいいのかどうかよくわからないものの「とにかく凄い」と誰もが思うでしょう。

『光る風』で最も印象に残るのは、なんといっても物語後半に登場する驚異の脱獄シーンです。脱獄を扱った創作物は多いですが、『光る風』に出てくる脱獄シーンは、脱獄もの史上、最高にして最悪のものであることは間違いありません。

 

(山上たつひこ『光る風』小学館クリエイティブ)

 

 とにかく初期の山上たつひこは、シリアスには違いないのですが、過剰な情念が渦巻くあまり、それが「シリアス」の器からあふれ出て、黒い哄笑に転じていくところがあるのですね。とりわけ『喜劇新思想大系』で大バケする直前の作品には、真面目なのかふざけているのかわからないような不思議な作品が散見されます。「少年サンデー」に連載されていた『旅立て!ひらりん』など、今で言う異世界転生ものなのですが、どんなスタンスで読んだらいいのか読者を当惑させるような作品でした。

 

■「大バケ」からの山上たつひこ

 

 山上たつひこが、突如としてギャグ作家として開花するのは、72年の『喜劇新思想大系』からということになります。この作品は『赤色エレジー』『男おいどん』に連なる四畳半ものという側面もあるのですが、とにかくその破壊的でお下劣きわまりないギャグの連打は空前絶後のものでした。今では絶対発表できないような悪逆非道でブラック過ぎるギャグの数々は、笑っちゃマズイような気がしながらも、読者をぐいぐい引きずり込まずにはいられません。

 この作品は、掲載誌がマイナー誌であったこともあって、一部のマンガファンの間でしか話題にならなかったのですが、その二年後に発表された『がきデカ』によって、山上たつひこは全国的大ブームを引き起こすことになります。

 貸本時代より培われた本格的な劇画タッチで、バカバカしすぎるギャグを連発する、という山上たつひこのスタイルは衝撃的でした。赤塚や谷岡までの、デフォルメの効いた記号的キャラクターに、突如として生々しい肉体が宿ることになったのです。ギャグマンガの方式に則り三頭身でありながら、骨格や筋肉がしっかり描き込まれ、その上に醜悪でリアルな日本人顔が乗っかっています。こんなギャグマンガはありませんでした。

「あふりか象が好きっ!!」「八丈島のきょんっ」などといったフレーズとともに、突然動物に変身してしまうというギャグも新鮮でした(こういったギャグの斬新さは、今となってはちょっとわかりにくいかもしれません)。血の通った人間の演じるリアルな空間と、それと相反するような不条理な展開の数々は、この上ない異化効果をもたらします。

「こんな描き方があったのか!!」と、当時のギャグ作家たちは、みな脳天を撃ち抜かれるような衝撃を受けたのです。

 

■その後の山上たつひこ、あるいは山上龍彦

 

 足かけ七年にわたり、日本全国に毒素を振りまいた『がきデカ』も、80年末にいったん終了。青年誌に舞台を移してからの山上たつひこは、さらにタガが外れてしまい、往年の『喜劇新思想大系』を思わせるような暴走ぶりを見せますが、やがて落ち着いたタッチを獲得しはじめます。温泉街を舞台にした『原色日本行楽図鑑』(双葉社)、『湯の花親子』(小学館クリエイティブ)などでは、味のあるギャグマンガを描いてみせました。かと思えば『鬼刃流転』(マガジンハウス)では、またしても暴走気味のギャグを連発し、山上たつひこ健在ぶりを見せつけます。

 1989年に入り、突如として「がきデカ」が復活します。古巣の「少年チャンピオン」で、十年前のタッチを完全再現させた『がきデカファイナル』(秋田書店)で有終の美を飾りました。最後は虚無僧の姿に身を包んだこまわり君が、いずこともなく去って行く姿とともに「うしろすがたのしぐれてゆくか」という山頭火の句とともに終わります。

 

 この『がきデカファイナル』終了とともに、山上たつひこはマンガ家廃業を宣言。「山上龍彦」と表記をあらため、小説家として再出発することになりました。

 かと思うと2004年、突然『中春こまわり君』が始まります。この作品、ギャグマンガには違いないのですが、哀愁の漂うシリアスなタッチが通奏低音をなしていて、とても奇妙な味わいの作品になっています。『喜劇新思想大系』直前の、分類不可能な作品群を思わせますが、前者がシリアスなのにギャグ、なのに対して、今度はギャグなのにシリアス、とベクトルが逆になっているのが面白いところです。

 マンガ家山上たつひこ復活か?とざわめくファンの思惑をよそに、再び山上は、作家業の方に回帰していきました。いがらしみきおとのコラボレーションで『羊の木』を発表したことは、以前、当欄でご紹介したとおりです。あれは、まことに見事なアンサンブルでしたが、当初の予定だった山上先生ご自身の手による『羊の木』も読んでみたかった気もします。

 

 

◆◇◆山上たつひこのhoriスコア◆◇◆

 

【リズムネタ】75hori

「鶴居村に~~鶴がくる~~」「練馬名物あやつり納豆~」「ああ~っイオマンテェェ~っ」「禁じられたゼットォ~ッ」等々、いろいろなレパートリーがありました。

 

【保守的】58 hori

『光る風』の頃の大胆で実験的なコマ使いとは対照的です。

 

【背景】68 hori

特にトビラページに力を入れていて、写真資料を基にした細密な絵を載せていました。

 

【下半身】71 hori

『がきデカ』より少し早く連載が始まった『トイレット博士』(とりいかずよし・集英社)でも、主人公が、よくパンツを脱いでいましたが、こちらは赤塚プロの出身らしく、かわいらしく簡略化されています。

 

【グロテスク】89 hori

とりわけ「汚穢と禁忌」に向かうこだわりは初期の頃から一貫しています。

 

 

  • ◎●ホリエの蛇足●◎●

 

<1>Wikipedia「週刊少年チャンピオン」の項には「1977年1月には200万部を突破し、ついにトップに立った。」という記述があります(典拠は週刊少年チャンピオン1977年6・7号表紙)。ただ、このデータには若干疑問もあります。「少年ジャンプ」元編集長・西村繁男の手になる『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』(飛鳥新社)によると「(少年チャンピオンは)表紙に誇大な発行部数を刷りこみ、あたかも『少年ジャンプ』を凌駕しているごとく読者を惑わせていた。ジャンプは公称部数も自称部数もなく、正確な実部数を社外に公表するのをモットーとしていたので、『少年チャンピオン』の誇大数字は不愉快だった。長野が激怒して編集長に電話で抗議する一幕もあった。」とあります。いずれにせよ、70年代後半、この両誌が激しいデッドヒートを繰り広げていたのは事実でしょう。

 

<2>実は山上たつひこは貸本劇画の出身です。大阪の日の丸文庫で編集者兼作家として活動していた一時期がありました。

またまた出ました「貸本劇画」!そして「日の丸文庫」!

この零細企業、いったい何回出てくれば気がすむんでしょう(辰巳ヨシヒロ・水島新司(「鬼滅の刃」ホリエの蛇足<2>)・本宮ひろ志参照)。

 

<3>オリジナル版全26巻(秋田書店)そろえるのは大変な人には、宝島社『ベスト・オブ・がきデカ』、小学館クリエイティブ『がきデカthe best』(全3巻)、少し古いところで双葉社版『山上たつひこ選集』18~20巻(著者自選ベスト『がきデカ』1~3)などがあります。

 

「マンガのスコア」バックナンバー

 

アイキャッチ画像:山上たつひこ『がきデカ』③秋田書店

  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。