わたしは歴史だ。母に産み落とされてからいまこの瞬間にいたるまで、おびただしい量の時間が堆積している。24時間を映画10本分と数えれば、少なく見積もっても、人生は1年で3000本、20年で6万本の映画に等しい。そのハイライトだけを見せるとしたらどんな方法があるだろうか。
[破]ではクロニクル編集術の稽古が始まっている。この稽古が扱うのは年表だ。校長松岡正剛は、今春に増補された『情報の歴史21』に言葉を寄せている。
「歴史は記号の羅列ではない。色分けされた現象の地図ではない。歴史は情報の叫びであり、渦巻く情報の複雑な動向そのものなのである」
イシスでは、もっとも身近な歴史である「わたし」を題材にして年表を作る。自分史だ。見慣れているこの自分でさえ、年表というメディアに移し替えることによって、人生という大河ドラマの名シーンだけが切り出される。そのダイジェスト集は、方針ひとつでシリアスドラマにもコメディにもなる。
◆ ◆ ◆
今期の伝習座にて、師範代へのクロニクル編集術レクチャーを担当した天野陽子(師範)は求龍堂版『千夜千冊』全集に含まれる通称「黒本」をひもといた。総重量13.0kgの全集は、真紅の7冊とともに、黒光りする「書物たちの記譜」と名付けられた1冊の特別巻とで成っている。その黒本には、松岡の年譜も綴られているのだ。
天野は、松岡の歴象を精読した。
一九四四(昭和一九)年 〇歳
○一月二十五日、父・太十郎、母・貴久の長男として京都冨小路の横田病院に生まれる。父は滋賀県長浜出身で呉服商を営んでいた。母も京都の呉服商「殿定」の娘だった。「正剛」の名は前年末に自決した中野正剛にちなんでつけられた。
107文字に凝縮された生誕の記述。天野はここに2つの重要な編集方針を強調する。
ひとつめは具体性だ。生誕地を「京都」とせず「冨小路の横田病院」とまで限定し、呉服商の屋号まで盛り込む。極めて具体的に、限定的に記述することで、のちの歴象との接点が生まれやすい。
ふたつめは、その出来事の背景だ。ここでは名付けの理由が明かされている。松岡の場合は、「誕生と自決」という対比的な歴象が同居させることで、中野正剛という直接は関わりのない人物から何かを託されたように見えてくる。名付けに込められた乱暴な願いや「セイゴオ」の表記を好む理由などは575夜『人間中野正剛』に詳しい。
太田香保(総匠)が手がけた松岡正剛二万二千夜譜、一部抜粋しよう。
一九四七(昭和二二)年 三歳
○正剛は江ノ島電鉄の踏切で電車に撥ねられそうになったことと、そのときの母の顔を幼年期の原初の記憶としている。
一九四九(昭和二四)年 五歳
○日本橋の東華幼稚園に入園。泣き虫の少年だった。初めてのお遊戯でも泣いた。同じクラスの横島たか子によくかまわれた。正剛の初恋だった。
はじまりのトポスに、もっとも古い記憶。はじめて尽くしの幼少期の、切れ端のような思い出をパッチワークすることでその人固有の世界がたちあがる。さらに重要になってくるのは、思い出のなかで
どの図柄を切り出すかということだ。日本の保育史からセイゴオの子ども論までが語られた千夜『日本の幼稚園』を見れば、五歳の泣き虫少年が抱いていた「オトナ社会に連れ去られてきたぞ」との切なる焦りが詳らかにされている。千夜と年表、異なるメディアであれば同じ出来事も表情を変える。
一九五一(昭和二六)年 七歳
○運動場で遊んでいるうちに、顎を打って割り立花病院で五針を縫う大ケガをした。
一九五二(昭和二七)年 八歳
○正剛はこのころ吃音に悩んでいた。東京語と京都弁の落差によるのかもしれない。この体験がのちの言語思想に多大な影響をおよぼした。
○一家で嵐山や八瀬に行き、そこでホタルを知って感動した。また琵琶湖に海水浴に行ったときは、カニに魅せられて絵日記にカニの絵だけを描いた。
当時はただの悩みのタネであっても、いま振り返ればそこから出た芽や枝が見えてくる。出来事に自分なりの意味を引き出していくことも、年表編集の意義である。
一九七四(昭和五一)年 三〇歳
○このころ正剛の思想学習はピークに達していた、と後に振り返っている。
一九七六(昭和五一)年 三二歳
○二月、同時通訳会社フォーラム・インターナショナルを引き受けた。すでに通訳者として活躍していた木幡和枝・村田恵子・内田美恵らが参画した。彼女らは、通訳を引き受けた著名アーチストや研究者をしばしば工作舎に案内したため、正剛の対話の相手がたちまち国際的に広がっていった。
一九七七(昭和五二)年 三三歳
○パリでコーヒーをがぶ飲みして、帰国後東京の喫茶店で一杯のコーヒーを口にしたとたん、胃が受け付けなくなった。以降、正剛は緑茶・紅茶党になる。
一九九五(平成七)年 五一歳
○五月、スーザン・ソンタグが木幡和枝とともに青葉台を訪問し、夜半まで話しこむ。
一九九九(平成十一)年 五五歳
○ITが主体となった編集工学研究所のために、六月、青葉台から赤坂七丁目六番六四号に移転。初めての独立した仕事場となり職住一致はかなわず、しばらく青葉台ホームズに正剛の住居を残すことになる。
51歳の歴象として、たったの1文に収められたスーザン・ソンタグの来訪。「夜半まで話しこむ」とごく簡素に記されたその体験は、実際にはどんなドラマだったのだろうか。千夜千冊ではその出来事が、字数を尽くして活写されている。
ところで、ぼくが『フラジャイル』(筑摩書房)を書いたとき、ぼくは本書のことを知らなかった。晶文社から翻訳が出て、知った。
その『フラジャイル』を渋谷恭子や木幡和枝が英訳をしようとしていたころ、スーザン・ソンタグが何度目かの来日でぼくの青葉台の仕事場を訪れた。黒いソファにふわりと座り、チャーミングに笑い、いつものように白髪をかきあげて、そしてジャックナイフをパチンと鳴らすように、言った、「今日は二つのことをセイゴオに持ってきたの。ひとつは質問、ひとつは称賛です。質問は、なぜオウム真理教事件はおきたのかということね。いったいあの計画は何なの。かつてから日本に潜んでいたものの?」。ぼくはこのとんでもない難問に答えざるをえなくなった。ちょうど麻原彰晃が逮捕されたころのことである。
なんとか矢継ぎばやの質問を切り抜けたあと、「じゃあ、今度はセイゴオへの称賛です」。そしてニッコリとして、言った、「フラジャイルという本のタイトルは最高です。よくぞ日本人がそういうタイトルを思いついたわね。で、どういう内容なの?」。
あれこれ説明した。ソンタグはふん、ふんと頷きながら話を聞き、ぼくがあらかた話終るのを待って、言った。「それって、ルイス・トマスが考えていることよ!」。ああ!
会場にはいっぱいの招待者や日本からやってきたデザイナーもいたのだが、会場の真ん中をハリケーンのように通り抜け、ぼくにまっすぐ近寄ると「セイゴオだけに会いたくてね」とニコッと囁いて、本当にそれだけを言い残して、また風のように去っていった。
オウム真理教の事件に日本が混乱していたときは、やはり突然に仕事場にやってきて、「今日は二つのことを交わしたい」と言ってどっかとソファに脚を組んだ。ひとつは、「セイゴオが最近書いたという『フラジャイル』のことを木幡さんから聞いたけれど、その感覚のスタイルについての宣言は最高です。15分だけもう少し説明しなさい」ということを、もうひとつは、「他の日本人の誰もが説明できなかった麻原彰晃について30分で説明してほしい」ということだった。
これだけをまくしたてると、さあ、ではセイゴオの番よというふうに、ゆっくりソファに凭れたものだった。695夜 スーザン・ソンタグ『反解釈』
同じ体験であっても、文脈が変われば、彼女のセクシーでインテレクチュアルな足さばきを強調するのか、ルイス・トマスへの露払いとするのか変わってくる。ましてや、字数の限られる年表であればいわずもがな。「スーザン・ソンタグに仕事場を襲撃された」のか「『フラジャイル』について15分で解説をおこなったのか」のか、あるいは「マグネティックな魅力に惹かれた」のか、被写体は同じであっても画角や構図によって写真はいかようにでも変わる。
クロニクル編集術で学衆に与えられた文字数は、75文字×50項目。自分史という大河ドラマのどの地点で一時停止をし、どこにピントを合わせるか。学衆は、一コマ一コマをかきだしていく。このプロセスで、歴史は変わらぬ姿でどっかとあぐらをかくのではなく、編者が粘土細工のように形づくってゆくものだと体感する。
森本康裕(あたりめ乱射教室師範代)は「ポイントはWhy、Howを書くこと」と告げる。「すばらしいコートを翻し」「会場の真ん中をハリケーンのように通り抜けて」出来事の背景や様子にこそ、書き手の見方がにじみでるものである。
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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