「日本マンガの最先端は?」と問われるならば、まずはこの人を見よ!
…といったマイルストーン的な位置づけに、かれこれ30年以上君臨し続けているのが松本大洋です。
60年代末に多くの内省的なマンガ青年たちを吸引した象徴的存在が、つげ義春だったとすれば、90年代のそれは松本大洋だったと言えるでしょう。
松本大洋が確立した一つのスタイルは、後続の若者達に多大な影響を及ぼしました。「こんな風にマンガを描いていいのか」という勇気を与えたのです。これは70年代初頭に「ガロ」系、「COM」系作家が果たした役割に似ています。
90年代頃の新人賞の応募作品には、松本大洋を丸パクリしたような絵柄のマンガが氾濫していました。パースの誇張された不思議なタッチは、ストリートアートっぽいカッコよさがあって、ちょっとこじらせ気味のアート志向の若者たちをコロリと参らせる力があったのです。
しかし、その影響力の範囲はアート系・マイナー系ばかりにはとどまりません。メジャーなところでは、『ONE PIECE』の尾田栄一郎なども松本大洋チルドレンの一人と言っていいでしょう。
ただ、松本大洋と聞くと、あまりにアートでハイブロウなイメージが先行しているため、もしかしたら食わず嫌いの人もいるかもしれません。しかしまあ騙されたと思って、いっぺん読んでみてください。実はけっこうエンタメしていて、読み始めるとハマること請け合いです。
■マンガ史上世界最速
そもそも、サブカル・アート系の代表格のように見られがちな松本大洋ですが、発表媒体自体は、意外とメジャーなんですね。
デビューは「モーニング」で、その後も長らく「スピリッツ」の作家でした。実は松本大洋は、浦沢直樹と同じ戦場で戦っていた人だったのです<1>。
当然、アンケート結果などのシビアな評価にもさらされながらの執筆でした。そうした中で『ZERO』から『花男』、『鉄コン筋クリート』、『ピンポン』などのディープな作品群が生み出されていったのです。
いまや90年代日本マンガのアイコン的存在と言っていい『鉄コン筋クリート』も、連載当時はアンケートの結果が芳しくなく、いつ切られるかわからない状況下で、風呂敷を畳むタイミングを気にしながらの執筆だったそうです。
そして、それに続く『ピンポン』で、松本大洋は初のスマッシュヒットを放ちます。当時、ダサいスポーツの代名詞として、しばしば笑いのネタにすらされていた卓球という種目を、超カッコいいスポーツに大変身させてみせたのです。
批評家の中条省平氏は「球の動きを描き出す白い閃光のような軌跡の描線は、松本大洋が発明した超絶的なテクニックとしていつまでも記憶に残るものです」と評し、特に最後の対ドラゴン戦では「ここに日本マンガ史上最高速が記録されています」とまで絶賛しています(『松本大洋本』より)。
そう言われると気になりますよね。
というわけで、今回はマンガ史上世界最速の動きとはいかなるものかを見てみるために『ピンポン』終盤のクライマックスシーンの一ページを模写してみることにします。
松本大洋「ピンポン」模写
(出典:松本大洋『ピンポン』⑤小学館)
一ページだけで“最速”感を再現するのはちょっと難しいのですが、雰囲気はわかっていただけるでしょうか。
前回の描き心地に味を占めて、今回も日本字ペンを使ってしまいました。本当は、松本大洋ならミリペンを使うべきなのですが。
それにしても、前回描いた浦沢直樹の絵とは、あらゆる面で対照的です。
人体のプロポーションは著しくデフォルメされ、パースも極端に誇張されています。ペコの左腕は異様に細長く、まるでテナガザルのようです。三コマ目の卓球台は、ひどく反り返っていて、とても試合には使えそうにありません。
さらにデフォルメの勢いは顔の造形にまで及んでいます。二コマ目の人物の形相なんて凄い迫力ですが、これでも一応高校生です(どんな高校生やねん)。
そして闘っている二人の瞳には光がありません。「悟空=ルフィ」状態になっていて、動物的ゾーンに入っていることを示しています。
そしてもう一点、浦沢直樹と正反対なのは、人物の周囲にはびっしり効果線を入れているのに、人物自体には全くブレ線を入れていないところです。身体の部分は、いわゆる【メビウス線】で陰影をつけており、むしろくっきりとした輪郭を出しています。
驚いたのは集中線の描き方です。定規を全く使っていない!しかも各線の【消失点がバラバラ】で一定していないのですね。フィーリングだけでズバズバッと引いてしまっているのです。これはよほど絵に自信がないとできません。
■幅広い作風
一作ごとに絵柄やテイストを変えていく松本大洋ですが、その中でも最もメジャーでポピュラーな作品が、ここで取り上げた『ピンポン』だとすると、もう一方の極には『鉄コン筋クリート』があります。
一般的な“松本大洋っぽい”イメージといえば、この『鉄コン筋クリート』に典型的に表れているものでしょう。非常に前衛的にトンガッた印象を与える作品で、松本大洋タッチを形容するときによく言われる「魚眼レンズのような」絵、クセの強い独特の構図と、歪んだパースによるアクの強いタッチでバキバキにキメた画風は、大手誌の連載マンガとしては、ギリギリ、セ…いや、はっきり言ってK点を超えていました。
この両作品、『鉄コン筋クリート』が1993~94年、『ピンポン』が1996~97年と踵を接しているのも面白いところです。
この振り幅のある作風はいったいどこから来るものなのでしょう。
(松本大洋②につづく)
◆◇◆松本大洋のhoriスコア◆◇◆
【メビウス線】74hori
細かい線を重ねることで陰影をつけるやり方は、俗に「メビウス線」などと言われています(有名なBD作家にちなんだ名称ですね)。メビウス線は晩年の手塚治虫も取り入れていました。すでに取り上げたLEGEND作家では、山本直樹もよく使います。初期の松本大洋は、これを多用していましたが、『鉄コン筋クリート』までの作品に比べると、『ピンポン』の頃のメビウス線は控えめです。
【消失点がバラバラ】81hori
絵に自信のない者にとって、消失点を決めずに線を引くのは、ちょっと怖いのですが、ここは「パースは狂っていてもいい。いやむしろ狂っていなくてはならない!!」と自分を奮い立たせました。
<1>浦沢直樹と同じ戦場で…
だいたい『ZERO』『花男』が、浦沢の『YAWARA!』の時期にあたり、『鉄コン筋クリート』『ピンポン』が浦沢の『Happy!』の時期に当たります。『YAWARA!』で柔道表現を極めた浦沢は、続く『Happy!』で、テニスにおける神速ショットをいかに表現するかの研鑽に邁進していた時期なので、同誌のライバル『ピンポン』には当然注目していたでしょう。パースの誇張や人体のデフォルメを禁じ手にしていた浦沢ですが、ショットの軌道表現などに『ピンポン』の影響があるかもしれません。
アイキャッチ画像:『松本大洋本』小学館・裏表紙
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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