[AIDA]ボードインタビュー:田中優子さん◆前編:「時間」との関係を問い直す〜「編集的社会像」に向けて

2022/09/29(木)09:00
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田中優子

今年もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]の季節がやってくる。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、次なる2022年、あらたな「あいだ」に迫るべくプロジェクト・チームの準備が刻々と進んでいる。Season3の開催とEdistでの記事公開を楽しみにお待ちいただきたい。それまで、いまいちど[AIDA]をご一緒に振り返っていきたい。

 


 

はじめに(前編)

 

いま、社会はあちらこちらで行き詰まっています。政治や経済、教育や家庭、ひとりひとりの人生の選択から環境と人類の関係にいたるまで。それらすべてに「世界や社会をどう捉えるか」という問いが関係しています。編集工学研究所が主催するHyper-Editing Platform [AIDA]では、新しい時代の社会像を「編集的社会像」として掲げ、この問いをめぐる思索と活動を進めています。固定化された価値観から脱却し、本来の生き生きとした社会を描くために、いまわたしたちは何を考えるべきなのか。[AIDA]ボードメンバーである法政大学名誉教授・江戸学者の田中優子さんに、近代以降の日本が抱える問題とこれからの「編集的社会像」について話をお聞きしました。編集工学研究所の皆が慕う「優子先生」は、ここでも力強い社会像を示唆してくださいました。前編・後編でお送りします。

 

田中優子(たなか ゆうこ、1958年10月7日〜):法政大学名誉教授、江戸文化研究者

1952年、横浜市生まれ。法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了。法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』(ちくま文庫)で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、毎日新聞書評委員などを歴任。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。

 

 

◆現代の時間感覚は、工場労働からつながっている

 

―― Hyper-Editing Platform [AIDA]では、「編集的社会像」をめぐってさまざまな角度から議論をしてきました。優子先生はその中で、まず「時間」について考え直さないとならない、とおっしゃっています。働くことや生きることと「時間」の関係について、いま何が問題になっているでしょうか。 

田中優子さん(以下、田中) 今の私たちの仕事や学びは、工場労働時代の時間のフォーマットが基盤になっています。「働き方改革」の前も後も、基本的にこのことは変わっていません。つまり、会社にいる時間や、授業に出ている時間を、1日8時間の「労働時間」を根拠に管理するというものです。けれど、テレワークの推進がこの「労働時間」についての考え方を崩しました。「何時間働いたか」よりも「いかに成果を出したか」ということが、より明確に問われるようになっています。ここに生じているズレは、ある意味でわたしたちに張り付いた「時間」の捉え方を問い直すチャンスであるとも言えます。

 本来時間というものは、生命の変化そのものです。制度としての時間は、それを抽象化し一般化したもので、私たちの暮らしを管理するための目盛りに過ぎません。そうした制度としての時間に自分を合わせながら生きるという時代が、近代以降長らく続いてきました。集団的に一斉に同じことをするのが最も効率的で経済的だと信じられてきた常識を、今改めて疑ってみる必要があります。特に、労働と時間の関係について、新しい見方が必要でしょう。

 

―― 労働と時間の問題については、昨今では「ワークライフバランス」ということがよく言われています。労働(ワーク)と暮らし(ライフ)は、別々のものとしてバランスを取るようなものなのでしょうか。また、江戸時代の日本人の労働観はどういったものだったのでしょうか。

 

田中 人間と労働は切り離せるものではありません。江戸時代にも、人々は農業という労働に従事していたし、家の中で紙をすいたり織物を織ったりといった家内制労働もありました。ただこの頃ではまだ自然界と関わらないと物はつくれなかったので、自然界との折り合いの中で工夫をしながら働いてきたのです。作物を育てる土や種や肥料も、紙をつくる原料も、織物に使う染料も、すべて自然界からもらってきたものです。そのため、気候の変動や天体の動きと物をつくるという行為が、非常に深い連動をしていました。人間の側にも自然界と共に存在して行動しているという自覚があったのです。自然界と人間の側の都合をうまく連動させるためには、合理的に一斉にことを済ませるというわけにはいきません。太陽が出れば働き始めるけれど、時間が先に決まっているわけではない。そういった非常にフレキシブルな時間感覚の中で、人々は生きて物を生産しそれによってまた生きて、それで十分だったわけです。

 ところが、技術の革新も相まってもっとたくさんの量を一気に生産できるようになり、あるいはしたくなり、工場生産が必要になりました。工場でベルトコンベアを動かすためには、一定の時間に一定の人数が同じところに集まらないとならない。そうして、制度としての時間に人間の側が合わせる工場労働のフォーマットができあがり、今に続いている、ということです。

 

―― 「一斉に仕事をする」というのは、人類の歴史から見ればごく最近になって定着した習慣なのですね。

 

田中 そうです。それが顕著に現れているのが、実は教育現場なんです。小学校から大学までだいたい同じようなプロセスで進み、校内の活動は時間割というものによって管理されています。教室では教師が前に立ち、生徒は机を並べて前を向く。時間的にも空間的にも、一斉に同じ方向を向くということが前提になります。

 こうした教室の姿は、明治以降になってから出来上がったものです。大勢を一斉にという教育スタイルが確立したことで、教育の裾野は広がりました。けれどその中でずっと過ごしてくるうちに、一様であることが当たり前の状態になってしまった。いま躓(つまづ)いているのは、このことなんです。

 1人ひとりの個性を大事にしようと、さまざまな教育改革のアイデアが生まれても、既存のシステムの中で処理しようとするので、なかなかうまくいかない。個別の事情を抱えた人たちが、個別の才能をひらいていくという仕組みが、実はまだ存在しないのです。

 

田中優子

法政大学総長室でインタビューに応じる田中優子さん。2016年に「法政大学憲章」として「自由を生き抜く実践知」という言葉を掲げた。(法政大学憲章「自由を生き抜く実践知」へ

 

 

◆管理される学びから、選び取る学びへ

 

―― 個別の才能を引き出すのは、外部にある知識だけでなく、人それぞれの内側にあるリズムや兆しや身体感覚と大いに関わりますよね。そこを担保する仕組みがないというのは、考えてみれば異様なことですね。

 

田中 このちぐはぐな状況が、今回のコロナ禍で鮮明になりました。そして、一斉にひとところに集まるというスタイルがとれなくなったとたんに、まず空間的な制約がなくなりました。オンラインでのリアルタイム授業は時間が決まっていますが、これからオンデマンド化もどんどん進んでいく中で時間の縛りからも開放されていくでしょう。空間的な一斉がすでになくなっているところに、時間的な一斉もなくなる。考えてみれば、これはとても大きなチャンスです。ひとりひとりが自分のために学ぶ上で、どういうふうに学ぶかという自由度が、圧倒的に広がっていくということです。学び方は誰かから学ぶ必要があっても、学ぶ内容は自分で選択していくことがきます。

 学びの成果や目標を自分で決めてもいいわけです。これまでは「自分で考えよ」と言われるものの、到達点もそこにいたるプロセスも全部決められていました。そこが崩れることによって、自分の学びを1人ひとりが選び取ることができるようになるかもしれません。今はインターネットがありますから、仕組みの面でも実現しやすくなっています。

 江戸時代には、師と弟子が直接向き合うだけではない、横のつながりによる学びがありました。いまで言えばチューターですが、そのチューターが個々人の面倒を見るという仕組みを用意することで、学ぶ側の個性に対応していました。教員と生徒の間に誰かが入るという場を設計することで、1人ひとりに合わせた学びの環境は作れるんです。

 

―― 編集工学研究所が運営する「イシス編集学校」では、「師範代」が学ぶ側の個性に対応します。優子先生は「イシス編集学校」の非常に熱心な「学衆さん」でもいらっしゃいますが、「師範代」をはじめとしたイシス編集学校の仕組みはどうご覧になっていますか?

 

田中 「師範代」の仕組みは、一斉の「教育」ではなく、学衆が個々の学びを実現していく上で、重要な仕組みだと思っています。今後、個々の学びを実現していくには、教師と学生の間に立つ師範代のような存在は必須です。今までは教育の裾野を広げるだけで精一杯で、そのために空間を大きくし、教師の数も増やしてきました。今後は働きながら学ぶ人々も増えていきます。社会の変化が大きく、学ばないでいることは、できなくなるからです。学ぶ人の年齢も経歴もまちまちで多様になります。だからこそ、個々の事情と能力に合わせて導く師範代のような存在が必要なのです。しかもそれはインターネット社会だからこそ可能です。なぜなら師範代も仕事を持っていて専従はできません。時間に融通をきかせながら導き学ぶ、という方法がとれるからこそ、持続できます。互いに仕事の現場を持っていることで理解し合える面もあります。「学位」や「資格」ではなく、能力そのものが必要な人たちにとって「イシス編集学校」の存在は価値があるはずです。

 法政大学ではいま、学内雇用という制度を取り入れていて、学生がチューターとして仕事をしています。オンラインに移行したと同時に、この学内雇用の人数制限をとっぱらいました。それによって、間に立つ学生という役割が生まれて、学びの環境に柔軟性が生まれ、教員も学生も非常に助かっています。役割を担う学生自身にとっても、教える側に立つという経験は、非常に大きな学びになります。

 加えて、オンデマンド型の授業も増えてくると、時間割という概念も変わってきます。リアルタイムの授業はある決まった時間内から選ばないとなりませんが、オンデマンド授業はそれこそ自由に組み合わせて選択できます。学校が用意した限られた選択肢に自分を合わせるのではなく、希望する学びに応じて選択肢ごと自分でつくれるようになるのです。それはつまり、自分自身の時間に対するマネジメント能力が必要になるということでもあります。大学の4年間という範囲すら、なくなっていくかもしれません。短期間で卒業してもいいし、何年在籍してもいい。人生における自分の学びの時間を、自分の判断でマネジメントすることになっていきます。そうすると今度は、他人が設定した時間の中で漫然と生きているような人が、生き残れない時代になっていきます。自分自身の時間を編集するスキルが、誰にも必要になるということです。

(参考:法政大学 総長ブログ「イシス編集学校とは」2016年02月23日掲載

 

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◆自分の時間を取り戻す

 

―― そうすると、教育機関は何を提供することになるのでしょうか?

 

田中 学校は、学ぶための時間と場所を提供するところではなくなります。これまでの時空の捉え方ではもう無理です。時空にとらわれない「考えるための拠点」を提供することが、教育の役割になっていくと思います。学ぶ側は、自分が学ぶというとについての思考の拠点を確保すると考えればいいし、同じ拠点を共有している人たちと会いたければ会えばいい。大学であれば、その拠点の中に用意されているものを自ら選んで、自分の時間をマネジメントしながら単位を取得していくということになるでしょう。そうなっていくと、自分にとっての時間というものを、自分の中に取り戻すことができるはずなんです。それが当たり前になれば、大学を卒業して就職する、という人生の時間の流れを規定していた一律の順番がなくなっていく可能性が出てきます。働いてから学ぶ、働きながら学ぶ、いろいろと自由になります。もっと言えば、大学以外の拠点で学んでもいいわけなので、学歴というものの価値も変わっていくでしょう。

 

―― 企業の側も、人材に対する考え方を大きく変えていかないとならない時期ですね。

 

田中 その通りです。一方、現状としては、企業もそれぞれに大変な状況の中にあって教育を施す余裕がなくなっているので、大学に多くを求めるようになっています。大学である程度仕上げてから社会に出してください、と言っているわけです。でも人が「仕上がる」とは何か、という話です。大学には今、実務家教員と呼ばれる、たとえば、企業の社長や定年後の官僚が多く採用されるようになっていますが、その理由のひとつは、そういうバックグラウンドを持った教員に教わることで、社会に出てすぐに使える実践力を身につけられる、という幻想がある。あるいは、個性のある人、主体性のある人、クリエイティブな人が欲しい、とも言いますが、これも、保守的になってブレイクスルーを必要とする企業が、アイデアを持った若者に来てもらって短期的に利益をもたらしたい、ということに過ぎないように思えます。人が「仕上がる」ということは、他者の短期的な要求に答える準備をすることではないはずです。

 

 1人ひとりが、自分の人生において自分自身の時間を取り戻すこと。これからの社会を考える上でまず、これが大切であるし、「編集的社会像」の課題だと思います。教育改革や働き方改革も、近代的時間を改めて問い直すことが必要だと思います。

 

 

後編へつづく

 

 

取材/執筆:安藤昭子(編集工学研究所)
取材/撮影:吉村堅樹(編集工学研究所)
撮影:川本聖哉

編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)

 

※2021年2月9日に公開した記事を一部編集・転載

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。