多読ジム出版社コラボ企画第二弾は工作舎! お題本はメーテルリンク『ガラス蜘蛛』、福井栄一『蟲虫双紙』、桃山鈴子『わたしはイモムシ』。佐藤裕子、高宮光江、中原洋子、畑本浩伸、佐藤健太郎、浦澤美穂、大沼友紀、小路千広、松井路代が、お題本をキーブックに、三冊の本をつないでエッセイを書く「三冊筋プレス」に挑戦する。優秀賞の賞品『遊1001 相似律』はいったい誰が手にするのか…。
SUMMARY
ガラスのような気泡を纏い、水中で覚束なく泳ぐミズグモ。老境に差し掛かったメーテルリンクがその生態に自然が綾なす神秘を感じ取る。幼心に突き動かされ、虫たちの秘密にのめり込むその背景には何があるのか。
最新科学と執着心を携え、トーマス・シーリーはミツバチの分蜂の謎に挑む。途方もない数の個体識別を行い、驚くべき集団知のメカニズムを明かす。エイドリアン・チャイコフスキーは昆虫愛と想像力を梃子にクモの可能性を拡張した。人間をも凌駕するクモ文明に刮目するばかりだ。
最大のライバルである虫との差異は人類に自らの限界を突きつける。それでも私たちの虫への偏愛はやむことを知らない。水中生活を送りながらもミズグモは水かきをもたない。進化の果てに類まれな能力を身につけたと同時に「弱さ」を抱え込んだその姿に私たちは似た者同士ゆえの愛着を感じるのだろう。
◆ 幼心がつなげるイト
故郷を離れたメーテルリンクの元に届いたジャムの瓶。そこには水晶玉のような潜水服を纏うミズグモの姿があった。ベルギーの田舎の祖父の家で過ごした幼少期を想起しつつ、自然の深淵を覗き見る冒険が始まる。
ミズグモは自らの生き方をひた隠しにする。お尻の周りに生まれる空気のガラス玉は水から出たら跡形もなくなる仮の衣装だ。そして、水中での暮らしに慣れ切ったミズグモは空気中ではほとんど動けないのだ。我々はルーペを片手に、ガラス越しに彼らの所作を見つめる観衆とならざるを得ない。そして、ある朝、水中に生まれた空間で寛ぐクモを目にすることになる。一晩で建造された釣鐘型の潜水機のような巣。彼らの手練れは人智を超える。誰からも教えられずにどうしてできるのか。
人間にとって驚きの連続であるミズグモに隠された進化の秘密。メーテルリンクは独自の神秘主義的世界観に駆られ、自然が手探りしつつ編み上げたその過程に人間の知恵の源泉を探る。その結晶が『ガラス蜘蛛』など、晩年の博物文学だろう。
◆科学で辿るイト
昆虫に幼心をくすぐられ、昆虫愛に浸る。イェール大学教授のトーマス・シーリーもその一人だ。養蜂家としての一面も持つメーテルリンクと同様、ミツバチの生態にのめり込む。何万ものミツバチがダンスを通じて巣の位置を示し、目利きし合う。それは言葉を伴わない民主的意思決定だ。そして、誰が音頭を取るわけでなく、整然と新居に旅立つのだ。この分蜂の謎を科学という最新鋭のレンズが迫る。
その秘密は個ではなく、彼らが集団で行動することに尽きる。新しい巣の候補を探す探索バチは自らの発見に固執しない。決定は多数決ではなく、定足数を満たすことを基準に行う。一定の数以上の合意があれば十分。ミツバチが人に平和に満ちた生き方を教える神の使者だと言われるのも頷ける。自らの持論を守るために頑なになり、多数派工作や少数派の取り込みが日常茶飯事の人間とはまさに対照的。なるほど、我々は「人間が地球上唯一恐るべきライバル」に学ぶべきかもしれない。
◆想像で途切れかけるイト
集団知だけではない。虫の進化の驚異も人間に未知を突きつけ、想像力を解発する。虫の知を拡張したら進化の果てに何が見えるか。エイドリアン・チャイコフスキーは『時の子供たち』で、クモが自らの文明を築き上げる様を克明に描く。人間が開発した進化を促進するナノウイルス、それを偶然取り込むことになったクモたちが独自の進化を始める。自らの身体の特質を駆使し、糸や化学物質で構築された文明は創造主である科学者の想像を超えた。地球という故郷をなくし、宇宙を彷徨う人間たちが、最後の望みとして辿り着いた惑星には糸でできた通信網が張り巡らされていた。クルーたちがクモの惑星に感じた驚き、恐怖は計り知れない。
科学やSFで描かれる虫の可能性は人間社会の縮図をあぶり出す。科学者であるシーリーがイラク戦争の経緯に皮肉まじりで触れたように、自分たちのエゴに絡めとられていく人間の限界すら感じさせる。
◆弱さでつなぎ直すイト
ただし、メーテルリンクがミズグモに魅かれたのはそれだけではないはずだ。嬉々としてミツバチの生態を科学の言葉で描いたシーリー、学生時代から昆虫のゲームに興じ、クモの進化を想像力で加速させたチャイコフスキー、彼らを突き動かすのももっと根源的な何かだ。
その何かを手繰る糸がミズグモのぎこちない泳ぎに見出せる。自然はなぜか彼らに水かきを与えなかった。水の中にしか生きられないのにも関わらず、その独壇場での彼らの動きはどこか覚束ない。私たちはそこに自分たちと通ずる「弱さ」を見つけだす。奇跡を成し遂げつつも、どこか人間と類似しているからこそ、我々は虫にぞっこんになる。どれだけ意思決定に優れていても分蜂の渦中で女王バチを喪ったミツバチの群れは糸がきれたように元の巣に戻る。クモ文明では雌の圧倒的な優位が容易に崩れない。交尾の後に雌が雄を食べる習性はクモ社会の宿痾でもあった。人も虫も進化に与えられたちぐはぐさを抱え、時に立ち竦む。
虫の「強さ」は人間にとって驚異だが、「弱さ」は人間と虫に細い糸をつなげる。このフラジャイルさは子ども心に感じた虫の儚さや脆さだけではない。メーテルリンクが感じた、自然の悪戯が生み出したミズグモの「弱さ」は生まれた直後のひ弱な生物としてのヒトを想起させる。この進化の不思議や神の気紛れとも言える「覚束なさ」に虫も人も真正面から向き合い、時に戸惑う。『時の子供たち』でクモたちが自らの創造主を崇め、交信を試みたことがその好例だろう。その背後には好奇心だけでなく、自分たちの存在への不安がある。かけ離れているようでどこか近い。この根源的な類似があるからこそ、人は虫からどうにも目が離せないのかもしれない。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈『ガラス蜘蛛』モーリス・メーテルリンク/工作舎
∈『ミツバチの会議:なぜ常に最良の意思決定ができるのか』トーマス・シーリー/築地書館
∈『時の子供たち』エイドリアン・チャイコフスキー/竹書房文庫
⊕多読ジムSeason11・夏⊕
∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ
∈スタジオNOTES(中原洋子冊師)
佐藤健太郎
編集的先達:エリック・ホッファー。キャリアコンサルタントかつ観光系専門学校の講師。文系だがザンビアで理科を教えた経歴の持ち主で、毎日カレーを食べたいという偏食家。堀田幸義師範とは名コンビと言われ、趣味のマラソンをテーマに編集ワークを開催した。通称は「サトケン」。
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