▼正月気分がやたらに短い年明けだった。相方の帰省にくっついて、石川の加賀で年越し。元旦、親戚がえっさほいさ集まって、さぁ何から呑むかと始まりかけて、揺れた。地面を突き上げるような震動。3.11とも全然違う。恐怖よりショックが先行して、間も無くテレビが「津波が来ます!逃げてください!」と叫び始めてから、ようやく恐ろしさに気がついた。
▼その晩、能登に向かう自衛隊ヘリのプロペラ音を聞きながら眠れない一夜を過ごした。きっとすぐ近くでは、津波も火事も倒壊も大変なのに、自分は息をひそめて余震に備えるしかない。駆けつけることもできない。無力感に打ちのめされながら思考はどんどん渦巻いて、ポツンと思った。龍が出たのか。
▼龍は空を駆けて、高く昇る。どこから空に昇るのかといったら、地の底から飛び出すんじゃないか。そう思った。不謹慎な連想かもしれない。でも、「こんな巨大な力の前で、一体どうすれば」という寄る辺なさの中では、不自然なほどに腑に落ちた。(ちなみに『大辞林』では、龍はふだん海や湖などの水中にいることになっていた。)
▼『図説動物シンボル事典』(ヴェロニカ・デ・オーサ著、八坂書房訳編)は、龍を「原初の恐怖の投影」と見る。いわく、「洋の東西を問わず、広く語りつがれてきた空想上の動物。おそらくは、人類が巨大な翼竜類とともに暮らしていた先史時代の恐怖にみちた記憶がその核となっているのだろう」。龍はプテラノドンだったのか!?
翼竜類の主食は昆虫や魚だったと考えられている。哺乳類は捕食しなかったかもしれないけれど、大きな影が頭上を飛び交うのは、それだけで恐ろしかっただろう。むしろ食物連鎖の中で直接対峙する相手じゃないからこそ、底知れぬ不気味さを感じたかも知れない。
▼つらつらと龍の面影を追いながら、改めて十二支を眺めていて思った。うぅん、これは、ずいぶん思い切った不揃い編集だ。ネズミもウシもトラもウサギもヘビも…、みんな見たことのある動物なのに、辰だけは実在しない。このリレーコラムでも、福田さんや林さんがこのことに注目されていた。みんなやっぱり、「辰だけ、なんか違くない?」と思うのだ。
11匹の実在動物と、1匹の空想動物。ズラし編集は好きだけれど、こんなに「ズラし」の存在感が大きいことって、あるだろうか。
…いや、待てよ。もしかして古代中国期には、龍だって”実在”していたのではないか。
▼元旦の地震から一夜明けて、まだそわそわと落ち着きない心を抱えつつ、何かに導かれるような気持ちで安田登さんの著書『見えないものを探す旅 ー旅と能と古典』を読み耽った。
安田さんは、こんなふうに捉えている。見えないものとは、「(正確にいえば)見えないわけではないし、ないわけでもありません。ただ、ふつうには見えない。見えるということが共有されない『なにか』です。」「私たちには、『見えないもの』を見る力が備わっています。『目』を使わないでものを見る力です」。
こう言い切ったうえで、見えないのに見えるものの例に、夢を挙げる。夢は確かに、目を閉じているのに「見える」。何かを見る器官は、目だけに限らない。
▼もしも古代の人々には龍が「見えて」いて、現在の私たちには見えなくなっているのだとしたら?それは単に龍が見えなくなったということではなくて、龍的なものを見るのに必要だった感覚器官ごと、私たちが失ってしまったということではないか。
▼大きな地震に襲われるたびに反射的に考えてしまうのは、「もっと正確に地震を予知する方法はないのか」ということ。家から飛び出す時間さえあれば、火を消す時間さえあれば、そう思ってしまう。だけど、人間の科学が「龍」の動向を完璧に予測できると考えるのは、それはそれで傲慢でもある。龍もナマズもミミズも、私たちには測り知れない何かを秘めているはずだ。
すべてを理解しきってコントロールし尽くそうとするよりも、目に見えないものとの共生や折り合いを模索したい。安田さんが演じるワキは、能において、彼岸と此岸を仲介する役だ。土地に眠る古人の記憶、その声を聴くワキの佇まいに、教えてもらうことはきっと多い。
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◢◤山本春奈の遊姿綴箋
秘密のサンタクロース(2023年12月)
地の中の龍(2024年1月) (現在の記事)
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山本春奈
編集的先達:レオ・レオーニ。舌足らずな清潔派にして、万能の編集ガール。定評ある卓抜な要約力と観察力、語学力だけではなく、好奇心溢れる眼で小動物のごとくフロアで機敏な動きも見せる。趣味は温泉採掘とパクチーベランダ菜園。愛称は「はるにゃん」。
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