▼桜の花は枯れない。枯れずに散ってしまう。花盛りになったと思ったら、翌日には散り始め、3日後には花吹雪だ。散りゆく桜は、短い命、いさぎよい死、哀しい別離を連想させ、そのイメージを美しくいろどってくれる。けれど、西行の歌「ねがはくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」があまりにも有名なので、もはやそのイメージをおいそれとは使えない、と日本人のアーティストなら自主規制がはたらきそうだ。
▼それをあっさり突破してしまったのがモーリス・ベジャール(1927~2007)である。20世紀を代表するバレエの振付家であり革新者だった。ベジャールは1993年に東京バレエ団のために「M」という作品を振り付けた。Mとは三島由紀夫だ。またフランス語の死mort、海mer、謎mystere、変容metamorphose、音楽musique、神話mytheであり、どれも三島と縁のあるモチーフといえる。音楽は黛敏郎が作曲した能楽っぽいもののほか、ヨハン・シュトラウス2世やワーグナー、シャンソンなどを組み合わせた。
▼ベジャールは、日本贔屓で「ザ・カブキ」という作品も作っている。三島由紀夫の小説や戯曲をよく読んでいたというし、パリで三島の演劇「近代能楽集」の演出をしたこともあった。
▼「M」では、三島の分身らしき4人の男と、詰襟・半ズボン・制帽の少年が登場する。能や武道を思わせる直線的な所作とバレエが融合し、祖母に手を引かれる少年、禁色、金閣寺、聖セバスティアン、鹿鳴館、豊穣の海などのイメージが次々に現れる。
▼ラスト近く。楯の会みたいな制服姿の男性たちが桜の枝を持ち、連なって踊る。その枝は歌舞伎の小道具のようにいかにも作り物だ。音楽はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」のピアノ版。否が応でも陶酔感をさそう曲だ。詰襟の少年は舞台のど真ん中に座る。彼の前の三方にのった細長いもの。丁寧に手に取り、持ち直し、それを我が身に……! 音楽が最高潮に達したとき、細長いものは彼の顔の前で開かれた。扇だったのだ。顔を隠した少年の後ろにはもう誰もいない。天から大量の花びらが舞い落ちてくる。桜吹雪のなか、少年はゆっくりと前に倒れる。
▼初演がテレビ放映され、私はそれを見ていた。天から舞い落ちた桜がなまめかしく見えたことを今でも覚えている。放映が終わると友達から電話がかかってきた。パリで「M」の公演があるから一緒に行かないかという。行く、即答していた。この桜吹雪をナマで見たくてたまらなかった。
▼このバレエは三島由紀夫の一生を描いたものではない。断片を組み合わせ、見た人の持つ三島のイメージや知識を組み合わせながら見るコラージュのような作品だ。三島の分身らしき登場人物が何人かいるが、しまいには女性たちもふくめて小説のキャラクターたちまでが、たくさんの三島にみえてきた。鹿鳴館の場面のワルツや、能楽っぽい黛の音楽も、ワーグナーも三島なのだと思えて、彼はそういう人だったろうか、とまた問いながら見終わった。
▼三島が自決したのは1970年。このバレエが初演された1993年には、三島事件のことをリアルタイムで知った世代の人も大勢いたはずだ。影響力の大きい人気作家だったが、その切なる願いは理解されず、その死は不可解なものとされてしまった。
▼三島由紀夫の死を、ベジャールは「愛の死」と桜吹雪で受けとめた。あまりにもベタな美しすぎる死の場面である。東京バレエ団のプロモーション映像を見てほしい。三島が自決したのは11月だったが、ベジャールは桜吹雪で彼を送りたかったのだ。三島が求め続けた「日本、及び日本人」のシンボルによって。
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原田淳子
編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。
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