デジタルネイティブの対義語をネットで検索してみると、「デジタルイミグラント」とか言うらしい。なるほど現地人(ネイティブ)に対する、移民(イミグラント)というわけか。
私は、学生時代から就職してしばらくするまで、ネットだのデジタルだのと全く無縁に過ごしてきた世代だ。逃げも隠れもなきデジタルイミグラントである。
そういう世代には珍しくないことだが、私は文章が全く書けなかった。
ある時期までは、よほど筆まめな人でないかぎり、いい大人が仕事以外で文章を書くなんて、普通はしなかった。だから私のようなタイプは、さして珍しくもなかったのである。
とはいえ、私はかなり極端な方で、メールなどが徐々に普及してきて、自分も、おずおずとそれに係わらざるを得なくなってからも、なかなか馴染めなかった。
ほんの数行で済む簡単な連絡メールですら、文字通り何時間もかけて推敲し、あまりにも読み返しすぎて訳がわからなくなるので、数日間、塩漬けしてから、もう一度読み直すなどしていたのである。そうやって途方もない時間をかけ、ようやく送信する、という有様では、まともなコミュニケーションなど取れるわけがない。
ましてやネットに書き込みをするなどという恐ろしい所業は、想像することすらできなかった。
そんな私が、気がついたら当サイトで「マンガのスコア」なる連載まで始めて、膨大な文章を書き散らしている有様である。
いったい何が起こったのか。
原因はハッキリしている。編集学校のせいである。
2008年の秋、恐る恐るこの学校の門を叩いたのが全ての始まりだった。
数日おきに繰り出されるお題に回答するのに、いちいち逡巡しているヒマはない。とにかく文章を仕上げてから送信ボタンを押すまでの、ためらいの時間がどんどん短くなっていくのが自分でもわかった。気がつくと、誰よりもたくさん書き込み、聞かれてもいないことまでしゃべりまくる、ちょっとイタイやつになっていた。
十人ぐらいのクローズドなサークルだったのもよかったのだと思う。これはちょうど「苗代」のようなものだ。
日本では昔から稲作は直播きでなく、苗代を作った。小さく短冊形に区切った一角に種籾を播き、大事に育てた後、足腰が丈夫になったところで、あらためて田植えをする。
苗代は、いわば仮の「シロ」である。初期条件を減らして、身軽な状態で、とりあえず何かを動かしてみる。これがいいのである。
いきなりデカいことをやろうとしても上手くいかない。
『描かない漫画家』(えりちん)の器根田刃先生のように、妄想の世界は、いつまで経っても現実に着地しないのである。
(えりちん『描かないマンガ家』白泉社)
1Pもマンガを描いたことがないのに
心はレジェンド級の大巨匠となっている
器根田刃(←自分で考えたペンネーム)先生
一方、『これ描いて死ね』(とよ田みのる)の主人公、安海相は、マンガの描き方など、まるで知らないのだが、とりあえず数ページ描いて、ホチキスで綴じ、一冊100円で即売会に出す。当然、まったく売れない。しかし、そこから彼女の苦しくも楽しい「まんが道」が始まるのである。
(とよ田みのる『これ描いて死ね』小学館)
とにかく、小さな場所で、ちょっと小当たりに当たってみる。
イシス編集学校の場合、最初のお題は(一見すると)とても簡単なものだった。これぐらいなら、手早く書いて送信しても大丈夫そうな気がした。送信すると、すぐ指南が返ってくる。ときどき不足気味の回答を書いてしまったときも、やんわりとヒントのようなものをくれ、筋道をつけてくれる。
本番のような、シミュレーションのような、曖昧な感じ。それでも一人でやっているのとは違う。「少数なれど熟したり」なのだ。
「守」→「破」→「離」というシステムは、とてもよくできていて、気がつくと、とんでもないところまで連れて行かれてしまっていた。
2020年からは当サイトで「マンガのスコア」という連載を持った。自分一人では、とうていやろうとは思わない、想像すらできないほどの大プロジェクトに巻き込まれていた。
編集学校に出会っていなければ、これらのことは全て起こっていなかった。
別の世界線での私は、今でも「ボクは文章が書けない」という思い込みのまま、かたくなにネット世界からは距離を取り、シーラカンスのような暮らしを続けているのだろうか。
そっちの世界もちょっと覗いてみたい気がするが…。
オマケマンガ
アイキャッチ画像:いがらしみきお『かむろば村へ』①小学館
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夢も現も彼岸まで(2024年5月)(現在の記事)
◢◤遊刊エディスト新企画 リレーコラム「遊姿綴箋」とは?
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堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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