実はこの数ヶ月というもの、仕事場の目の前でビルの解体工事が行われています。そこそこの振動や騒音や粉塵が避けようもなく届いてくるのですが、考えようによっては“特等席”で解体ショーを観覧できるわけですから、せっかくなので持ち前の観察者ぶりを発動させて写真を撮ったりしています。
定点観測:旧小田原市民会館 大ホールの解体工事(撮影/深谷もと佳)
■解体作業は、建物裏に民家が密接しているため打壊せずデリケートにカッターで壁や柱を切り分けながら、パーツごとに一つづつ大型クレーンで取り除いている。■それら解体片は地上に下ろされた後、重機によって粉砕され、コンクリート礫と鉄類等に分別されて運ばれて行く。■こうした一連の作業がイカツイ重機を器用に操作して行われる様が興味深く、ついつい見入ってしまう。何であれ職人仕事は尊い。
この建物は昭和30年代に建築された市営の多目的ホールで、実家からも程近く、落成とほぼ同時に生まれた私にとっては原風景の一部でした。当時としてはモダンで先進的なデザインだったのでしょう、祖父は好んで幼い私を連れて散歩にきたようです。解体作業が進むにつれ、日ごと広がる空の青さに心が躍る反面、実家を出た10代後半頃までの思い出が順不同に去来して、思いがけず人生を振り返る機会になっています。
私は覚えていないけれど、ここでウルトラマンに頭を撫でられて石のように固まったこと。学校帰りにランドセルのまま菓子職人の展示会を見にきて、砂糖の家を齧ったら酷く不味くてみんなで吐き出したこと。公開収録番組の入場を待つ列で観覧券を失くして半ベソをかく私に、どこからか券を見つけて届けてくれたチャラい兄ちゃんが、実はブレイク直前の志村けんさんだったこと。文化祭のステージでアレンジを変えて伴奏したら、「レコードと違う」と級友に詰られたこと。期末試験の最中にサザンオールスターズのツアーが来て、もちろん学生服のまま観に行ったこと___。これら脈絡のない雑多な断章はすべて、眼前で瓦礫化されゆく解体物と私との間に所在なく漂う「場所に紐づけられた記憶」なのです。
閑話休題。
上に書いたきわめて冗長度の高い無駄話は、つまるところ「或る解体工事のスコア」に添えられた“余録”です。余録という言葉が上品すぎるなら“ノイズ”と言い換えても構いません。何であれ情報伝達にノイズは付きものですから、普通に考えれば雑味や余計を省いた方が情報交換は効率が良いでしょう。
けれど、前段でふれたような「情報経済圏のための簿記」を構想する作業は、情報交換に伴うこうした冗長性や余録やノイズをいかにスコアリングするかを考えることに他なりません。なぜなら、私たちがスコアしようとする情報は“意味”や“背景”や“文脈”や“物語”と不可分だからです。
情報と情報は局所的には結節点(ノードやシナプス)を見出すことができるけれど、その“点”において情報と情報はハイパーリンク状に交差しあって線や面や立体へ展いているわけです。情報が結節点に差し掛かっていよいよインターチェンジ(交換)されようとするとき、その様相は「超情報」と呼ぶのが相応しいでしょう。情報は情報のままでは目の前を通過するばかりだけれど、何らかの作用によって活性化して「超情報」となり、超情報の様相をもって情報は編集資源となり得るのです。
実のところ私は目の前の解体工事をトリガーに、いくつもの連想と類推のハイパージャンプを経て「超情報」という着想に至ったのですが、その思考の道筋を可視化して共有するためには、壮大な無駄話をマクラにして語る方法がかえって手っ取り早いように思えたのでした。
私たちが見るもの、聞くもの、触るもの、嗅ぐもの、味わうもの。それらは見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうという動詞(動き)によって活性し、情報から超情報へ相転移する___。この出来事は、まさに「アフォーダンス理論」によって説明されるところなのですが、多くの人には「発見的アナロジー」あるいは「本能的アブダクション」などと言い換えた方が得心しやすいかも知れません。大事なことは、ワタシとセカイのアイダに何らかの「動き」が差し挟まれることによって、ワタシはこれまでと違う「感じ」を体験する、というところだと思います。
参考:髪の毛のキューティクル構造
■左は健康毛。右はダメージ毛。わずか数ミクロン(ミクロンは1/1000ミリ)のキューティクルの様子の違いを、私たちの「触覚」は感知して、ツルツルやガサガサといった「感じ」を知覚している。■ところが、人体の触覚神経はミクロンどころかミリ単位の点をようやく感じ分ける程度にしか分布していない(!)■では、私たちはどのようにして粗い触覚センサから高解像度の情報を得ているのだろう?■この現象を理解するためのヒントは「動き」である。私たちは髪に指を置いたまま静止するのではなく、なぞるように動かして振動刺激を感知することで触覚の解像度を高めているのだ。
(参照『触楽入門』朝日出版社)
さてこのノイズに満ちた拙文を、私は「測度感覚」の話へ着地させようとしています。
はじめに紹介した「定点観測」は、“点”こそ固定されているものの時間の動きを借りることで“点を立体化”させるスコアリングでした。そして、上に引用したキューティクルの手触り感は、粗い感覚器官を変位させることで高解像度の入力情報を得る事例です。つまり私たちは動くからこそ情報と遭遇し、動きによって測度感覚を最大化させ、そうすることによって情報は活性して超情報化し、ようやくワタシとセカイは交換可能な「編集的振動状態」を迎えることになるのです。
花伝式部抄(スコアリング篇)
::第10段:: 師範生成物語
::第11段::「表れているもの」を記述する
::第12段:: 言語量と思考をめぐる仮説::第13段:: スコアからインタースコアへ
::第14段::「その方向」に歩いていきなさい
::第15段:: 道草を数えるなら
::第16段::[マンガのスコア]は何を超克しようとしているか
::第17段::「まなざし」と「まなざされ」
::第18段:: 情報経済圏としての「問感応答返」
::第19段::「測度感覚」を最大化させる
::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
::第21段:: ジェンダーする編集
::第22段::「インタースコアラー」宣言
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
<<花伝式部抄::第21段 しかるに、あらゆる情報は凸性を帯びていると言えるでしょう。凸に目を凝らすことは、凸なるものが孕む凹に耳を済ますことに他ならず、凹の蠢きを感知することは凸を懐胎するこ […]
<<花伝式部抄::第20段 さて天道の「虚・実」といふは、大なる時は天地の未開と已開にして、小なる時は一念の未生と已生なり。 各務支考『十論為弁抄』より 現代に生きる私たちの感 […]
花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
<<花伝式部抄::第19段 世の中、タヨウセイ、タヨウセイと囃すけれど、たとえば某ファストファッションの多色展開には「売れなくていい色番」が敢えてラインナップされているのだそうです。定番を引き […]
花伝式部抄::第18段:: 情報経済圏としての「問感応答返」
<<花伝式部抄::第17段 イシス編集学校は「インタースコア編集力」を、「編集的な場」において、「編集的な作法」によって学ぼうとする学校です。 といっても、[守][破]で学ぶ学衆にとってはイ […]