事実は一つ。であっても、それに対する解釈は無数に。「なぜ」と「どうやって」は見る人の数だけあるのでしょう。大河ドラマもまた、ある時代・ある人物に対する一つの解釈です。他の解釈を知れ
ば、より深く楽しめるに違いない。
さて、ご覧になりました? まひろが宣孝からプロポーズされた、と告げた時、「なぬっ」と振り返った瞬間にぎっくり腰になった為時パパの白目を向いた顔。しみじみした場面から一瞬にして笑いへ
と。このアップダウンがたまりません。
◎第24回「忘れえぬ人」(6/16放送)
さしづめ、「純愛のみやこ・打算の鄙(ひな)」といったところではないでしょうか。
一条天皇は、母である詮子の病を癒やすために、追放されていた伊周・隆家兄弟の罪を許す。さらに、母の力も借りて中宮・定子を内裏に呼び戻す。「娘の顔も見ず、中宮にも会わずに生き続けられない」。公卿たちが騒ぐのを承知の上で、それでも「最初で最後のわがままだ」と言う一条天皇の言葉を聞いて、詮子が弟・道長に「お上の言うことを聞くように」と静かに命じる。公卿たちの非難もものともせず意志を貫く一条天皇。
一方、越前では、周明がまひろに一緒に宋に行こうと誘う。そのために左大臣・道長に、宋との交易を認めるように手紙を書け、と。まひろは、周明が自分に近寄ってきた理由に気づく。甘い誘いから、一転して、逆上して壷を割った欠片を持って脅しにかかる周明。
まひろもまた、自らの心が道長にあることを自覚しながら、宣孝との結婚を決める。遠く九州の地に離れた友人の死、子どもを産んでみたい、という気持ちが、思っても結ばれない道長のことを知りながら、それごと受け止めると言った宣孝の元へ行く後押しとなったのでしょう。
もう一歩進めると。
とはいえ、純愛の裏にある打算(政務なおざりで定子のことに通い詰める、とか、定子に与えるために越前に着いた宋人たちが持つ唐物の中から、おしろいは寄こせ、だの。公卿たちが呆れるのも無理はない)。
故郷の対馬を見たいと言って越前を去ったことにしたぞ、と朱仁聡に声をかけられた周明が見上げた空に飛んでいた鳥に、打算の底にある一抹の純情を感じる回でもありました。
今回は、番組最後に流れる「光る君へ紀行」に肖って寄り道です。この著者の「あやかしもの」数寄は、『源氏物語』の「もののけ」に通じるのか、はたまた師である尾崎紅葉の『源氏物語』好きに由来したのか。
◆『泉鏡花集成7』「雪霊記事」「雪霊続記」泉鏡花・種村季弘編/ちくま文庫
◆『鏡花短篇集』「栃の実」泉鏡花・川村二郎編/岩波文庫
「誰もいう……此処は水の美しい、女のきれいな処である」。鏡花の紀行文「栃の実」の一節だ。同じく「雪霊記事」でも武生の女性の美しさに触れられている。中でも評判の美人だったのが武生の宿・蔦屋の娘のお米(よね)さん。「雪霊記事」「雪霊続記」は、旅の途中、病に倒れたお米さんに優しく介抱された主人公・関が十数年後、大雪の中、懐かしく、慕わしいお米さんに会いに行く、という物語。鏡花らしく、大雪の中で立往生する現在・二十年近く前の初の邂逅・現在から遡ること二年前の五月のお米さん再訪と、時空が自在に変わるのは、雪にまみれ前後がわからなくなる中で、死の直前に記憶をたどるかのよう。
「雪霊続記」では、遭難しかかった雪の中、突然、現れた大犬の道案内の元、主人公は中学校へとたどり着く。大犬が導いたのはお米さんの家とは反対の方角。死への道筋から生へと導きだったのか。
紫式部も、武生で雪に降りこめられて都が懐かしくなることがあったのだろうか。
「栃の実」は、そんな恐ろし気な気配とはうってかわって、武生から上京する行程で、茶屋のきれいな娘から栃の実をもらった、という小さな優しさが心に残る小編。
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ一
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ二
紫~ゆかり~への道◆『光る君へ』を垣間見る 其ノ三
相部礼子
編集的先達:塩野七生。物語師範、錬成師範、共読ナビゲーターとロールを連ね、趣味は仲間と連句のスーパーエディター。いつか十二単を着せたい風情の師範。日常は朝のベッドメイキングと本棚整理。野望は杉村楚人冠の伝記出版。
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