何かが渦巻く場所を求めて、チーム渦の面々がウズウズとあちこちを歩き周りレポートする紀行エッセイ「うずうず散歩」。第3回目は「青熊書店」までの道のりを東京・自由が丘の歴史とともにパサージュします。
(今回の書き手:羽根田月香/エディスト・チーム渦)
■■ふるさとのクロニクルでBPTを描く
「青熊書店」への道程は、吾が故郷-自由が丘という町がもつパサージュ性を思い起こさせる。
書店最寄りの自由が丘駅に立つと、巨大再開発のクレーンが真っ先に目に飛び込んでくるようになった。令和5年から始まった初の駅前大開発は、小さな路地裏に個人商店が並び、自由が丘らしさを際立たせていた一角を、いまや巨大な穴ぼこにしてしまった。見えなかったビルの背面が見え、空がやたらと大きい。
※2年後には地上60mの複合ビルが建つ。
「ほぼ自由が丘」に生まれ育った自分には(最寄りは隣の都立大学駅)、100年に一度と言われる東京大改造の波にちゃっかり便乗したようなこの開発が、どうしても街の気概と相容れない。おしゃれな街、雑貨の街、スイーツの街など、たくさんのやわらかい顔をまとってきた自由が丘であるが、じつは剛毅と団結と自主独立の街だからである。
自由が丘という地名の原型となったのは、昭和2年に手塚岸衛が創設した「自由ヶ丘學園」だった。画一性を廃した自由教育を掲げ、筍や麦を産する小さな農村にすぎなかった村の、わずかに盛り上がった小山を強引に「丘」に見立てて學園はスタートした(本当は自由學園と名付けるつもりが、羽仁もと子が大正10年に創設した自由学園が既に存在した)。思想はのちの「トモヱ学園」に引き継がれ〝窓ぎわのトットちゃん〟を現在の黒柳徹子たらしめた。トモヱ学園はほかにも女優の津島恵子やエネルギー物理の山内泰三など個性ある人材を輩出している。
※ギネス認定のロングセラー。
先進的視座のもとに文化は華ひらく。手塚岸衛の友人だった舞踏家・石井漠が昭和3年、この地を気に入り舞踊研究所を開いたことを皮切りに石川達三、石坂洋次郎(『陽のあたる坂道』は界隈が舞台)など錚々たる文化人が集うようになる。先見は往々にして全体主義から疎まれるが、自由が丘はこうした人々を大らかに受け入れて来た。
知名度を武器に、彼らは自由ヶ丘の住所で手紙を出し合い、そして「碑衾町」だった地名を半ば既成事実的に自由ヶ丘へと替えてしまった。
こんな地名史、ほかに知らない。
※文化人のひとり澤田政廣制作の女神像は街のシンボル。
話はまだ続く。
同じころ、東京横浜電鉄(現・東急東横線)の延伸に伴い旧駅は「衾駅」へと改称が内定していた。しかし住民らの強い要望を受け、駅名は自由ヶ丘駅へと覆えされた。戦時中は「自由」の言葉が時勢に合わないと軍から改称を求められたが、住民らは守りとおした。
※自由ヶ丘の地名は昭和7年正式登録。昭和40年から「ヶ」がひらがなに。
こうした武勇伝に折々に触れて、地元っ子は育ってきた。ベンヤミンが『パサージュ論』で描いたパリの「外側のない家か廊下である、夢のように」というパサージュ性は、細い路地が商店をつなぐ回遊性でもって、自由が丘では具現されてきた、屋根のない特異なまとまりとして。なのに。
◆◆◆
パサージュのビル化を嘆いてばかりいても、旅は始まらない。駅隣の「自由が丘デパート」をベースとして、ターゲットの青熊書店まで、まずは歩き始めるとしよう。
空襲から立ち上がり闇市を前身とした同デパートも、街の剛毅の象徴といえるだろう。細長い鰻の寝床に店舗がひしめく様子は当時とあまり変わらないように思える。古い総菜屋や呉服屋、地下移転した荒物屋は昭和27年から続いている。
※闇市っぽさが残る自由が丘デパートは昭和28年から鉄筋建てに。
デパートはそのまま「ひかり街」へとつづき、屋根のあるアーケードは雨の日にはかっこうの散歩道となる。出口は、祭事の中心たる熊野神社への入口。かつて神社の対面には自由が丘最後の映画館「武蔵野館」があった。貯めたおこづかいで名画を観てモンブラン発祥の洋菓子店「モンブラン」でケーキを食べる、サンリオショップで贈り物を買う。大人への通過儀式が懐かしく思い出される。武蔵野館もサンリオショップも既になく、再開発に伴いモンブランは移転した。
※熊野神社。自由ヶ丘の地名決定に貢献した名士の像も。
「いまはなき失われたふるさとを辿ることができるのも、じつは本屋なんですよね」
学園通りと名付けられたバス通りから青熊書店に入ると、店主の植田フサ子さんは笑顔で迎えてくれた。イシス編集学校の師範で評匠。昨年、雑誌編集者から本屋店主へと転身を遂げた。
※「本屋の女将になりたい」と言う植田さんは場づくりの名手。
店で読書会やエディットツアーも。
店内は4坪の狭さに本がひしめいていた。青森と熊本の本が隣り合うのは、夫でイシス師範の岡村豊彦さんと植田さんの出身地をインタースコアさせる試みで、店名の由来でもある。
青森と熊本というほぼ日本の端と端が、自由が丘という真ん中で混じり合い、なにが醸し出されたのか。
※店名にも本棚にもトポス性が滲み出る。ほか貴重な古書なども。
「トポスは移動遊園地のように動いても良いんだという実感かな。夫の故郷青森が熊本育ちの私のふるさとになり、熊本が夫の第二のふるさとになっていったように、人には自分が生まれ育った以外にも、ただいま、と言いたくなる場所がありますよね。作者が紡ぐ本の中にも必ずトポスとしての場はあって、ふらっと来店する人の中にある遠いふるさとへと、物語は距離を飛び越えていきます」
土地を感じることをキーに評伝や音楽CD、雑貨も置く。高橋竹山、ナンシー関が並ぶ青森の本棚から日本が揺さぶられるかと思えば、熊本の棚には石牟礼道子と渡辺京二が佇み、うつろう日本の面影を訴えてくる。
※インテリ紳士も見入っていたという松岡正剛コーナー。店主の思いが宿る。
本屋をやりたいと、編集学校校長・松岡正剛氏に話したとき「場所は関係ないよ」と言われたそうだ。確固たるふるさとが心に根づいていれば、どこにトポスをつくるかは自分次第なのだと、受け止めた。
「私たちが売るのは読書の自由。青森と熊本の本を並べる化学反応も、そのきっかけのひとつです。自由が丘に出店したのは偶然でしたけれど、私の中に熊本という根があるので移動遊園地になれるんですよね」
自由が丘で一番感動したのは、商店街の人々の熱さと誇りと地元愛だった。現在の店舗は東京都の助成事業で1年の期限が設けられているため、来年からは近くの大岡山に拠点を移す。
※青熊書店のある学園通りは、街の礎たる学校から名付けられた。
帰路は学園通りを南下して、トモヱ学園があった場所に赴いた。跡地には地元に愛されたピーコックがあったが、昨年AOEN系モールに姿を変えた。ゆるやかな斜面に「丘」の名残りが感じられる。
※トモヱ学園跡地。右奥へとゆるやかな斜面を描く。
――大衆の音頭をとるのはつねに最新のものである。だが最新のものが大衆の音頭をとれるのは、実はそれがもっとも古いもの、すでにあったもの、なじみ親しんだものという媒体を使って現れる場合にかぎってなのである(ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』岩波文庫)。
そうか。記憶も心象風景も場も移ろわないものはないけれど、トモヱ学園の碑は継承され、石井漠舞踏研究所は石井漠記念バレエスタジオにその名が残された。自由ヶ丘學園は自由ヶ丘学園高等学校となって、学園通り沿いにいまも在る。
なじみ親しんだ媒体を使って現れるはずの、最新のビルを楽しみに待ってみようか――。剛毅で自由な書店の帰り道、そう思いながら自由が丘駅というベースへ戻った。
※自由ヶ丘學園とトモヱ学園の碑。
《うずうず散歩のスコア》
■■青熊書店への行き方
東急東横線または大井町線「自由が丘」駅から徒歩5分。
駅から書店への行き方多数。パサージュを楽しんでいただきたい。
■■汁講オススメ度 ★★★
本というツールも、エディットツアーの名手というロールも揃った書店で、忘れられない汁講を。
■■近隣の飲食店:自由が丘デパートの「キッチンカントリー」は超老舗のハンガリー料理店。カジュアルだけど大使館御用達。
註:BPT(ベース・プロフィール・ターゲット)はイシスで学ぶ編集の型。BからTへと連想/類推を働かせPを生き生きと描くことをめざす。
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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